EP.30 取り戻した王都
治療室を出たオズワルド、ヴァレリオ、エルウィンの三人は、王城の階段を駆け上がった。扉の前で待機していた執事は、三人の顔を見るなり事情の切迫を察したのか、取り次ぎすらせずに扉を開く。室内には国王だけでなく、セオドアの姿もあった。
「ど、どうしたんですか」
セオドアが驚きの表情を見せる。
ヴァレリオは息を切らせたまま、挨拶より先に本題を告げた。
「突然の拝謁、申し訳ありません。北王国各地で魔獣が一斉に動き始めています」
「どういうことだ?」
「ギルド各支部から報告が入っています。詳細は分かりませんが、群れを成して王都の方へ向かっているとのことです」
「……王都に?」
ヴァレリオがエルウィンへ視線を送る。その意を受け、エルウィンが言葉を継いだ。
「旧礼拝堂で発生した、魔力結晶の爆発。恐らく、あれを契機に地下の魔力脈が乱れました」
続けて、エルウィンが書物で読んだという知識を国王へ伝えた。すべてを聞き終えた国王は低く、ふむ、と唸った。
セオドアが即座に国王へ向き直る。
「陛下、もし魔獣たちが本当に王都を目指してるのなら、民の避難を始めるべきです。王都が目的地だった場合、避難が間に合いません」
「百万を超える民を、どこへ逃がす」
国王の峻厳な問いに、セオドアは口を閉ざした。
「家財を積んだ荷車が一斉に門へ向かえば、街路は塞がる。行き先も分からぬまま人を動かせば混乱は止められぬ。進路を誤れば、壁を捨てた民を魔獣の前へ出すことにもなる」
オズワルドの脳裏に荷車と人で埋まった大通りが浮かんだ。百万人もの人間を、限られた街路と門から秩序を維持したまま移動させる大規模な群衆統制だ。ひとたび統制が崩壊すれば、混乱では済まない。滞留、圧迫、将棋倒し――魔獣と接触する以前に、多数の死傷者が出る可能性すらある。
「まず動向を確認し、退避が必要か判断する」
「ですが、そんな余裕は――」
セオドアの言葉を国王が遮った。
「安心せい。準備は今から始める」
国王が片手を上げると、執事が一礼した。
「魔獣の追跡は冒険者ギルドへお任せください」
ヴァレリオの申し出を受け、国王が頷く。
「任せたぞ。正式な依頼状と報酬の取り決めは追って行う」
◇ ◇ ◇
「官吏の多くを失った以上、国政の停滞は避けられまい。だが、まずは王都の防備を再構築せねばならぬ」
国王の言葉を受け、セオドアの表情が曇る。
「指揮を執る者がいません。王国軍帥は依然として見つからず、軍帥に代わる将軍たちも生存を確認できていません」
「それは、お前に任せる」
国王は一切の逡巡を見せず、椅子から立ち上がった。幽閉で痩せた身体が僅かに揺れ、執事が支えようと一歩踏み出すと、国王は片手でそれを制した。執事は何も言わず、壁に掛けられた剣を外し、両手で差し出す。
「セオドア・ベルジュ。前へ」
セオドアが困惑を露わにしながら片膝をつくと、国王は剣を抜き、平らな刃を彼の肩へ置いた。
なるほど。この王は決断を先送りしない。これが、この世界の王か。少なくとも、権威のみを纏って玉座に座る人間ではない。
「余は汝を、危機が終結するまでの王国軍帥に任ずる」
「は、拝命いたします」
国王は剣を執事に返した。
「各地の貴族へ急ぎ早馬を出せ。出せる限りの兵を率いて参集するよう命じる。生き残った官吏も集めよ。明日、議会を開く」
「直ちに手配いたします」
執事が一礼して退出し、その後、全員が部屋をあとにした。
廊下へ出たセオドアは足を止め、オズワルドの方へ振り返る。
「私は兵舎へ向かいます。生き残った将校を集め、指揮系統を立て直さなければなりません」
セオドアが足早に去っていく。オズワルドは窓外へ目を向けた。敵を視認してから戦理を組み立てるようでは遅い。勝敗の行方は接敵する前に決まる。その原則は、すでに二千年以上前の中国で言語化されている。
『致し方ないにせよ、百万人規模の都市の防衛情報を羊皮紙と騎馬で処理する方式は非効率です』
オズワルドは無言で中指を立てた。
『敵対的ハンドサインを確認。そのサインは、あなたがcrawlを覚えた頃には、すでに古典的な表現でした』
◇ ◇ ◇
煤けた天井。白い漆喰がぼやけて揺れ、目を開けているはずなのに焦点が合わない。薬草の匂いがした。ルナが身体を起こそうとした途端、左腕に痛みが走った。
「いっ……」
声に気づき、寝台の傍で俯いていたキリカが顔を上げる。大きく見開かれた目が潤み、椅子を蹴るように立ち上がった。
「ルナ!」
キリカはルナの肩を抱き寄せた。頬へ髪が触れ、抱き締める腕から温かさが伝わってくる。張り詰めていたものが緩みかけたけれど、腕の痛みに気を取られ、何とか涙を堪えた。
「キリカさん……ここは?」
「覚えてない? 王城の治療室よ。アンタ丸一日眠ってたの」
「……丸一日?」
言われて初めて、腕が添え木ごと包帯で固定されていると分かった。頭の奥には鐘を打たれたような痛みが残っている。
「腕が折れてて火傷もあったんだけど、エルウィンが治してくれたわ。ただ、爆発に巻き込まれて頭も強く打ってるし、腕も骨はつながってるけど、痛みが残るって」
「爆発?」
途切れていた記憶の奥で青白い光が瞬いた。人の背丈を超える魔結晶。亀裂の入った表面。
「あっ、魔結晶は……将校さんと、もう一人の兵士さんは?」
問いかけた瞬間、キリカの腕に力がこもった。
「……ほかの二人は死んだ。見つかったとき、アンタは崩れた壁の下敷きになってて、本当に運が良かった。建物が崩れるくらいの大爆発だったのよ」
ルナは息を止めた。
「二人とも……ですか?」
「ええ」
途切れていた記憶が一気に繋がった。もう少し早く振り返っていれば。羊皮紙を広げる前に、魔結晶から離れるよう伝えていれば――
「私が触らないように注意していれば……」
「……とにかく生きてて良かった」
喉の奥から漏れかけた嗚咽を噛み殺して、ルナはキリカの服を右手で握った。涙が次々に溢れてくる。
それから、どれほど泣いていたのか分からない。やがて息苦しさが薄れ、ルナは右手で涙を拭った。
「泣き止んだわね! 薬代はあとで請求するから」
「そ、そんなぁ」
「とりあえず、みんなを呼んでくるわ!」
キリカは笑みを浮かべて部屋を出ていった。
◇ ◇ ◇
「目を覚ましてくれて、本当によかった」
エルウィンが言うと、ゼッドもガドルも黙って頷いた。
「眩暈や吐き気は頭を強く打った影響でしょう。左腕の痛みはすぐ引くと思いますが、気分が悪くなったらすぐに休んでください」
「はい」
キリカがルナの上体を起こす。壁際に立っていたリアムと目が合った。みんながここにいる。けれど、みんなのほっとした顔を見ると、心配をかけた申し訳なさで目を伏せた。
「私が眠っている間に何があったんですか?」
その後、エルウィンとリアムから今回の全貌と、爆発した魔結晶が魔獣を王都へ呼び寄せている可能性について聞いた。青白い光が消えた瞬間が蘇り、左腕の奥がずきりと痛む。
ゼッドが険しい顔で口を開いた。
「王都にいた魔族は捕まえた。王都も取り戻した。まだ足りねぇのか?」
「それ自体は上手くいった。だが別の問題が起きてる」
リアムは両手を上げ、首を振る。
「魔族が成り代わっていた将校や官吏が想像以上に多かったようだ」
「成り代わられたやつらは、どこかにつかまってるんじゃねぇのか?」
ゼッドの問いにリアムは僅かに間を置いた。
「長く成り代わるつもりだったなら、本人を生かしておく理由もない。おそらく、もう生きてはいないだろ」
誰も言葉を返せなかった。顔も知らない人たちにも、帰りを待つ家族がいたはずだ。胸が詰まり、毛布を握る右手に力が入る。
「被害次第では、北王国は国家としての機能をほとんど失う可能性がある」
王城を奪い返せばすべて元に戻るのだと思っていた。魔族は北王国を内側から支える人々まで消していた。胸の奥にまた重いものが沈む。けれど、沈んだままではいられない。自分にもできることを探さなきゃ。




