EP.29 実れ、実れ。彼らが祈る、その食卓で
正門楼で正体を暴かれた一体を皮切りに、将校や官吏に擬態していた魔族は相次いで拘束された。夜明け頃には、魔族たちが武装兵に挟まれて王城の中庭を横切っていた。人の姿を保つ者もいれば、擬態が崩れ、黒い皮膚や角を晒す者もいる。
列の最後を歩く魔族がオズワルドの前を通り過ぎざま、顔を向けた。兵士に背を押されても視線は微動だにせず、薄笑いを刻むように口角だけを持ち上げる。
作戦目標は、すべて計画どおりに達成された。が、言い知れぬ不安が残る。
「ATHENA、どう思う」
『非効率ではありましたが、作戦目標は想定以上の精度で達成されています』
「何かが引っかかる。あまりにも物事がうまく進みすぎている」
『マーフィーの法則を懸念していますか。なお、Mr.オズワルドにS.E.N.S.E.が実装された記録は確認できません』
「……ユーモアレベル、上げ過ぎたんじゃないか」
『現在七十五パーセントです』
軽口で片づけられれば楽だった。現場では、必ず何かが想定から逸脱する。根拠を言葉にできない微細な異常――人間が経験則という曖昧な語で包含してきたそれに、オズワルドは幾度も生かされてきた。気のせいならいいんだがな。そのとき、外で待機していたヴァレリオの姿も見え、親指を上げた。
尋問の間では、先ほど視線を交わした魔族が椅子へ縛りつけられ、敗者には似つかわしくない笑みを浮かべている。
「恐れ入った。長き平穏に腑抜けた人族が、ここまで周到に動けるとは思わなんだ」
「お前たちの目的は何だ」
魔族の口元がさらに歪む。
「二百年前の借りを返しに来たに決まっているではないか」
復讐を語る声音に憤怒はなく、追い詰められた者特有の焦燥もない。なんだこの余裕は。そこでオズワルドの中に一つの仮説が浮上した。
「……まだ何か仕掛けているな」
その一言に魔族の笑みが消える。
「そうか……今回の件、貴様だな」
そこまで言うと、魔族は再び哄笑し、
「結構! 結構! そう来ないと張り合いがない」
セオドアの眉間に深い皺が刻まれた。
「王城と王都を調べさせましょう」
セオドアは扉脇に控えていた獣人将校を呼び寄せる。
「王都をくまなく捜索してください。ルナ殿にも同行を願ってください。何かあれば――」
そこまで告げると、セオドアは〈魔報〉の羊皮紙を将校へ示すように懐から覗かせた。
「わん!」
将校が駆け去ったあと、魔族の口元には再び薄い笑みが浮かんでいた。
◇ ◇ ◇
「王城にいた仲間は何人だ」
「捕らえた数を数えればよかろう」
「こちらで把握していない者もいるだろ」
「なら初めから問えばよい。いや、違うな。知りたいのは数ではなく、城外に指揮官が残っているか、だな」
椅子へ縛られたまま、魔族はオズワルドの瞳を覗き込む。
「外にも仲間がいるのか?」
「いないと信じたいのは貴様だ。確信があるなら、わざわざ問わない。首魁を取り逃がしたのではないかと恐れている」
数歩先の言葉まで推測している。
「国王を殺さなかった理由は?」
「死者は旗になる。生者は疑いを生む。我らが殺せなかったと考えているわけではあるまい」
「西門から逃げた二体も、同じ判断をしたのか」
「二体、か。実数を知らぬ者ほど、数字を置き、訂正を待つ。見くびられたものだ」
答えているようで、何ひとつ答えていない。
こちらの問いから保有情報の範囲を推し量り、推測を投げて反応を窺い、次の問いまで先回りしてくる。尋常ではない思考の速さ。語気を強めても魔族の呼吸は乱れず、薄い笑みも崩れない。
「我々は準備を進めている」
「準備とは、戦争のことか」
「来たる日に備えて」
魔族は笑みを深め、
「良き麦の間に毒麦を播け。刈る者にこれを選ばせ、挽く者にこれを粉とさせよ。彼らは、恵みの糧と思ひて口にする。実れ、実れ。彼らが祈る、その食卓で」
次の瞬間、舌先で奥歯を探るように魔族の顎が動いた。
小さな破砕音。
オズワルドが椅子を蹴って立ち上がったときには、黒い血が口端から流れ、首から力が抜けていた。
「口を開けろ! おい!」
すでに瞳は何も映していなかった。
捕縛され、退路を断たれてなお、あの余裕。躊躇のない自死。それに、最後の言葉……。セオドアも唖然としていた。
違う。あれは敗者の笑みではない。任務を完遂した顔だ。捕まる以前に、作戦目的そのものが達成されていたのだとしたら――
「セオドア! 罠だ!」
セオドアの表情が強張った刹那、遠方で爆発が轟いた。石床が大きく揺れ、天井から砂塵が降り注ぐ。
◇ ◇ ◇
王都の探索ってなんだろう。魔族が何か仕掛けていた?
ルナの胸の中に不安が広がる。
王城の中庭で、獣人将校が集まった兵士たちを見渡した。
「探索班を十隊に分けます。三人一組で行動し、各班に魔導士を入れて魔力の流れも確認してください。異変があった場合は〈魔報〉で連絡を。ルナ様は私とお願いしますわん」
兵士たちは短く応じ、王城内や市街へ散っていった。ルナも将校に続いたが、王城内の旧聖堂の前を通りかけたところで足が止まる。空気中を漂っていた魔力の筋が、建物の中へ吸い込まれている。
「待ってください。中に何かあります」
将校が兵士へ合図し、三人で薄暗い聖堂へ入った。祭壇の奥には、人環神様と山環神様を象徴する大きな聖具が祀られている。その周辺に魔力が集まっているように見える。聖具の後ろを覗くと、人の背丈を超える魔結晶が据えられていた。なに、これ……。
青白い光が脈打つたびに亀裂が広がり、欠片が落ちるたび、内部の明滅も速まっていく。内側に押し込められた魔力が行き場を失っているんだ。崩壊が始まっている。ルナの背筋に悪寒が走った。
「お、落ち着いて聞いてください……このままでは爆発します」
「ば、爆発ですか!」
「……ええ、先に皆さんへ知らせてきます」
急いで外へ出ると、〈魔報〉の羊皮紙を広げる。魔力を流そうとした瞬間、背後から結晶の軋む音が響く。振り返ると、亀裂が根元まで達した魔結晶が祭壇へ倒れ込み、聖具まで巻き込んで大きく傾いていた。すぐ傍にいた獣人将校が、倒れかけた結晶を支えようと手を伸ばした。
「待って! 触らないで!」
指先が魔結晶に触れた瞬間、青白い光が一斉に消え、聖堂の内部が暗闇に沈む。直後、闇の中心から白い閃光が膨れ上がった。轟音とともに旧聖堂の石壁が外側へ弾け飛び、押し寄せた爆風がルナの身体を呑み込んだ。
◇ ◇ ◇
王城の治療室で、オズワルドは包帯に覆われた小さな身体を見下ろしていた。命に別状はない。だが、爆発から一日経っても、ルナは意識を取り戻さない。自分が僅かでも早く罠に気づいていれば。
何度考えたところで、過去へ遡及し、起きた事実を書き換えることはできない。
寝台の傍らでルナの容体を診ていたエルウィンが窓外へ顔を向けた。
「あの爆発を機に、何らかの魔法が作動しました」
「何の魔法だ?」
「分かりません。見たことのない術式です。ただ、王都周辺では地中から魔力が溢れ続けています」
突然、机に置かれた〈魔報〉が慌ただしく鳴った。音の長短を数えたエルウィンの表情が変わる。
「……冒険者ギルドから緊急信号です」
しばらくしてから、扉が勢いよく開き、息を切らしたヴァレリオが飛び込んできた。
「北王国各地で、魔獣の活動が急激に活発化しているとギルドから知らせがあった」
「活発化?」
「ああ。それだけではない。各地の魔獣が、一斉に同じ方角へ移動を始めている」
「まさか……」
エルウィンが息を呑み、窓辺へ駆け寄った。
「書物で読んだことがあります。地中を巡る魔力脈が活性化すると、それに呼応して魔獣の活動も変質する。やがて地表へ噴出する魔力を求め、集まると」
「まさか……この王都に集まってくるのか?」
「……分かりません。ですが、その可能性は否定できません」
「いや。そのまさかだ」
ヴァレリオが低い声で断じた。
オズワルドは言葉を失った。ここには百万人を超える人間が暮らしている。その瞬間、まだ無傷であるはずの王都に、炎に呑まれた街並みの像が唐突に重なった。Virethに侵された、火星、月、そしてオーストラリアのように。
魔族は幾重にも罠を張り巡らせていた。いや――違う。俺たちは、最初から誘導されていた?
「まずはセオドアに伝えて、国王へ報告しよう」




