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EP.28 これは王命である

 東水路を王城近くまで進んだ先、石造りの通路が一段広がった一角で、ルナは木箱に何枚も並べた〈魔報〉の羊皮紙を見つめていた。ここは水路から少し高く、汚水の臭いも我慢できる。


 兵士が新しい松明(たいまつ)を壁際に立てると、湿った石壁が赤く照らされ、水音に火の爆ぜる音が混じった。〈魔報〉の一枚が震え、くぐもった音を微かに立てる。


 短く二つ、長く一つ。間を置いてもう一度。

 エルウィンの三班から続けざまに標的排除の合図。ほどなくリアム班からも音列が届く。


「国王確保……確認しました」


 周りにいた兵士たちも、小さく「おお」と声を漏らす。喜ぶのはまだ早い。ルナは自分に言い聞かせた。さらに合図が届く。


 ――〈第三段階開始〉。


 ルナは受信完了の合図を返す。


「最終段階に移ります。みなさまも用意をお願いします」


 エルウィン班へ第三段階開始を送る。一班、二班、三班。すべてから返答があった。壁際で待機していた十数人の兵士が音もなく立ち上がる。誰も勇ましい言葉を口にしない。危険な役目だと、全員が理解していたのだと思う。兵士たちは装備を確かめ、三人を残して数組に分かれた。


「気をつけてください」


 ルナが声をかけると、最後尾の兵士が拳を胸に当て、王城へ向かって水路の奥に消えた。


 待っている間はひどく長く感じた。ルナは何度も地図と羊皮紙を見比べる。失敗したのかな。見つかって、捕まってしまったら――


「……困りました」


 ルナが溜息をつくと、不安に気づいたのか、獣人将校が彼女の肩に手を乗せてゆっくりと頷いた。そのとき、遠くで王城の警鐘がけたたましく鳴り始める。


「鳴った……」


 予定どおりなのに、心臓が跳ね上がる。ルナは杖を握り直し、残った兵士たちを振り返った。


「合流地点へ向かいます。ここも、もう安全ではありません」



     ◇     ◇     ◇



 ルナは城郭の正門楼に向かい、二人の兵と獣人将校と共に階段を登っていた。最終段階は、奪われた指揮系統を一度に取り戻すための賭けだった。


 第一段階、潜入。

 第二段階、国王の確保。

 第三段階、軍の掌握。


 集めた兵の前に国王を立たせ、その場で実権を握り返す。


──────────


「しかし、問題は兵士たちをどう仲間に加えるかですね。別の隊の兵たちは、いくら将軍の私でも、話は聞いても命令には従いませんよ」


 廃農園でセオドアが王城の地図を見ながらリアムを見た。


「いや、そこは王に自分でやってもらえばいい」

「それでは軍を掌握するまえに魔族が動いてしまうのではないか」


 レオンハルトが指摘すると、リアムは片手を軽く広げ、全員を見回した。


「オーケー。順番に説明しよう」


──────────


 兵士は王城だけではなく、宮殿や兵舎、官庁など城郭の至るところにいる。数十人に呼びかけたところで、国王の言葉を全軍へ届けることはできない。それなら、向こうから集まってもらえばいい、とリアムは言っていた。


 王城の敷地内に出ると、警鐘の音とともに、どこからともなく兵士の怒声が聞こえてきた。


「賊だ! 正門楼前に集合しろ!」


 さっき地下水路を先に出た北辺軍の兵士たちが、そこかしこで正門楼への集合を呼びかけた。声を聞いた兵士を集め、集まったところで王命を下す。教えてもらえば、すごく簡単。なのに理にかなってる。


「やっぱりリアム様はすごい」


 中庭を抜けると、先に着いていた人影が見えた。リアムたち回収班だ。真ん中ではレオンハルトと侍医らしい身なりの男が、一人の人物を両側から支えている。

 月明かりの下、その男は粗末な外套に身を包み、うなだれていた。伏せていた顔が上がると、後ろにいた兵士と獣人将校が片膝をつく。


 立っているだけでも苦しそうな、白いひげを蓄えた痩せた老人。

 国王陛下だ。

 ルナも慌てて膝をつこうとしたが、国王が片手を上げて制した。


「よい。今は王都を取り戻す」

「早く行くぞ」


 リアムの言葉で一行は再び動き出した。



     ◇     ◇     ◇



 城郭の正門楼前の広場が無数の松明で埋め尽くされているのを見て、ルナは息を呑んだ。上から見ると、兵士たちの列はびっくりするくらい長い。広場の端まで人ばかりで、どこを見ても兜と槍が並んでいる。

 これだけ集まってくれたなら作戦通り。分かってはいるのに胸がどきどきしていた。作戦はいよいよ最後の段階だ。


 正門楼の張り出した露台に国王が立つと、レオンハルトが床へ杖を突き、正門楼の中に刻まれた魔法陣を起動した。淡い光が円環を巡り、国王の前の空気が震える。


『北王国(ノルド)の兵たちよ。武器を収め、我が声を聞け』


 魔法陣によって大きくなった国王の声が響くと、広場のざわめきが一瞬で薄れた。何千もの顔が正門楼を仰ぐ。


『余は王城内へ入り込んだ魔族に捕らえられ、幽閉されていた。今まで余の名で下された命令は、王命を騙る偽りである』


 兵士たちの列が大きく揺れた。


「魔族? どういうことだ?」

「魔族って昔話の魔族か?」


 ざわめきが重なり、将校たちが静めようと怒鳴っている。


「偽物だ! 陛下は賊に囚われている! 惑わされるな!」


 広場の一角から声が上がった。

 レオンハルトが国王の隣へ進み出る。


『宮廷魔導官レオンハルト・ヴァインベルグの名において証言する。ここにおられる御方こそ、我らが国王陛下だ』


 続いてセオドア将軍が前に出る。


『北辺軍司令セオドア・ベルジュも地位と命を懸けて証言いたします。我らは陛下の命を受け、王都を魔族の手から取り戻すために参りました』


 二人の顔と名を知る者は多いのだろう。槍先が徐々に下がり、先ほどまで怒鳴っていた将校へ疑いの視線が集まり始めた。国王が再び口を開く。


『全兵、武器を収めて隊ごとに待機せよ。将校は剣を置き、正門楼へ上がれ。魔族が紛れ込んでいないか確認する。これは王命である』



     ◇     ◇     ◇



 こちらに擬態を見破る方法はないと思ってるのかな。周囲の視線に押されるように、将校たちが暴れることなく正門楼へ上がってくる。

 ルナはエルウィンやレオンハルト、北辺軍の魔導士たちと並び、一人ずつ露台に立たせて確かめていく。何人目かの将校が階段を上り切ったとき、周囲の魔力が僅かに揺れたのを見逃さなかった。


「次――」


 隣のエルウィンを見る。彼は目を眇(すが)めて僅かに頷いた。レオンハルトも杖を握り直している。その将校が正門楼の露台に立つ。


「捕らえてください!」

「な、何を馬鹿な!」


 ルナが声を上げると、将校が顔を歪めた。兵士たちが剣を抜いた途端、皮膚の下を黒い筋が駆け上がり、額から二本の角が伸びる。頬骨が浮き、顎が張り出して、人間の顔が見る間に異形へ変わった。


 ルナは息を呑む。


 ――魔族……。


 二百年にわたる〈人魔大戦〉の言い伝えでしか知らなかった姿が目の前にいる。

 広場から悲鳴が上がる。

 直後、露台に仕掛けた拘束用の魔法陣が輝きを放った。


「全員の前で化けの皮を剥がすたぁ、ずいぶん親切じゃねぇか!」


 ゼッドが言い放つ。

 魔族が二つの声を重ねたような、言葉とは呼べない叫びを上げた。

 広場は静まり返っていた。兵士たちの位置からでも、それが人ではないことは一目で分かる。


『見よ。これが余の名を騙り、北王国(ノルド)を奪った者たちの正体だ』


 国王の声が響く。


「どうやら奴らも気付いていないようだな」


 横のリアムが小声で言った。


「気付いていない? 何をですか?」


 訊ねると、リアムは不意にルナの耳元に顔を近づけ、奴ら自身が魔力を取り込む自分たちの習性に気付いていない、と告げた。囁き声に思わずどきりとして、慌てて「ああ」と相槌を打つ。


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