EP.26 奪わずに、取り戻す
「一度、ブトワルへ戻りたい。王都を取り戻すには、内部を知るレオンハルトの証言が要る」
リアムの一言に、ルナは杖を握る指にわずかに力を込めた。
レオンハルト・ヴァインベルグ。
彼は大陸連合自然理学院で学んでいた頃、一つ上の学年だった。
十三歳で学院へ入ったルナの周りは、大人ばかりだった。その中で歳の近いレオンハルトは、分からないことを教えてくれて、迷えば教室まで連れていってくれた。
優しくて、頭もよかった。兄がいたら、こんな感じなのかな。そんなふうに思っていた。それがいつから変わったのか、はっきりとは覚えていない。
講義で扱われた術式の誤りをルナが指摘した頃だったかもしれない。休憩時間に先生へ恐る恐る訊ねると、翌日の講義で術式は書き直され、先生は指摘が正しかったことを皆の前で認めた。
それから似たようなことが何度かあった。レオンハルトが何日も悩んでいた魔法陣を別の組み方で解いてしまったこともある。
最初のうちは、レオンハルトも一緒になって喜んでくれた。けれど、教師がルナの名を口にする回数が増えるにつれ、話しかけてくることは減っていった。
実技の授業になると、レオンハルトは難しい術も危なげなく成功させていて、ルナは何度もあんなふうに魔法を使えたらと思った。
でも、できない。魔力が足りなかったから。
どれだけ術式を理解しても、安定して行使できるのは第二環まで。頭の中で三つ目の環を加えると、イメージがごちゃごちゃになる。
学院を卒業するには第三環の行使が最低条件のひとつだった。術理では上位に入れても、実技ではその入口にすら立てない。分かるのに、できない。やがてルナは学院を去った。
自然理魔導士。
自分にはなれない存在だった。
「なぜ、おまえのような劣等な者に……私が」
学院を去る日にレオンハルトが漏らした言葉を、今でも覚えている。最後まで続かなかったその一言が何を意味していたのか、ルナには分からなかった。
第三環を初めて成功させたのは、師匠――エルウィンと出会い〈暁の道標〉へ入ってからだ。魔力量が増えたわけじゃない。環を維持する際のこつを教えてもらったからだ。初めて第三環位の魔法を発現できたとき、言葉が出なかった。
レオンハルトがブトワルのギルドに駆け込んできたとき、目が合った彼は何も言わなかった。そんなに嫌われてたのかな。
我に返ると、セオドアが地図の上でブトワルまでの距離を確かめていた。
「承知しました。私は精鋭を選び、装備と物資を整えます。準備ができ次第、出発します。ブトワルで合流しましょう」
◇ ◇ ◇
数日後、ルナたち〈暁の道標〉はブトワルへ戻り、冒険者ギルドの会議室で机いっぱいに広げられた王都の地図を囲んでいた。
ロマンスグレーの髪を後ろで束ねたギルド長は腕を組み、黙って地図を見下ろしている。向かいに立つレオンハルトも片眼鏡越しに王都の街路を目で追っていた。
都を、セオドア将軍が連れてくる数十人と〈暁の道標〉で取り戻す。考えれば考えるほど、無茶に思えた。王都軍と戦うの?
兵士たちは、魔族じゃない。操られているのでもなく、国を守っているつもりなのだ。
「王都を軍事力で占領する必要はない。王都軍と戦わずに、魔族にやられたことをやり返す」
リアムの指が王城を囲む兵の駒に触れ、一つずつ地図の外へ押し出していく。戦わない?
「国王を救出し、同時に主要官僚へ擬態した魔族を排除して命令系統を破壊する。そして、国王本人から魔族に支配されている事実を公にしてもらい、王都軍に命令を出してもらう。兵士は現地で確保できる」
「なるほど」
ギルド長が髭をさする。
「しかし問題がある――」
リアムが言いかけると、レオンハルトは王城の駒へ手を伸ばした。
「……陛下が拘束されている場所、だな。それは、分かる」
ルナが思わず顔を上げると、リアムが口を開く。
「なぜ今まで黙っていた」
「……すまない。まだ信用しきれてはいなかった」
リアムは責めなかった。魔族が人間に成りすませるのなら、誰を信じていいのか分からなくなってしまうのも当然だ。
「王都に協力者が残っている。名も連絡方法も、到着までは私の胸に留めたい。情報が漏れれば協力者も陛下も無事では済まない。ただ、私が倒れた場合に備え、詳しい情報は突入前に話す」
リアムは追及せず、一度だけ頷いた。ルナは名前も知らない協力者の無事を願わずにはいられなかった。誰が魔族かも分からない中で、怖くないはずがない。
「もう一つ、思い出したことがある」
レオンハルトは記憶を辿るように目を細め、
「貴族が魔族の姿に変わる前から、周囲の魔力が少しずつ彼の中へ流れ込んでいた。変貌が始まった瞬間、その流れが急に強くなった。あのときは変身に伴うものだと思ったんだが……」
ルナは分厚い眼鏡を押し上げた。魔法を使う瞬間に、周囲の魔力を集める術式はあるにはある。けれど、何も起こしていない間も体内へ流れ込み続けているのなら――
◇ ◇ ◇
「魔族は常に周囲から魔力を取り込んでいる……」
ルナが独り言のように呟き、オズワルドが問い返した。
「どういうことだ?」
「普通、魔力は身体から生まれる力なんです。もちろん術によっても違うし、魔法陣を介する場合もあります。でも、魔獣は違います。魔核に周囲の魔力を取り込むんです。もし魔族も同じなら……」
レオンハルトが僅かに目を見開き、ルナに視線を向ける。
「そういうことだ。魔族は常に魔力を取り込み続けている可能性がある」
「見た目じゃなく魔力の流れを見るってわけか」
『補足。魔獣では同様の現象を観測済みです』
「ATHENA、おまえ、観測できるのか?」
『魔力そのものは観測不能です。ただし魔獣との戦闘時、周辺では既知の物理現象のみでは説明できないエネルギー収支の不整合が継続的に確認されています。従来は原因不明の収支差として記録していました』
「ダークマターみたいなものか。不可視のものを、痕跡から逆算する」
『概ね正確です。魔族にも同一の観測パターンが存在するなら、識別指標として利用可能です』
そこでオズワルドは、二人分の視線が自分へ注がれていることに気づいた。ヴァレリオとレオンハルトが、訝しげな面持ちでこちらを見ている。
「あっ、えっと! リアム様はいま、精霊様とお話ししてるんです!」
「精霊……?」
「……まあ、説明すると長い」
『訂正を推奨します』
拘束場所と識別手段。これまで空白だった二つの条件に、ようやく具体的な手掛かりが揃った。
◇ ◇ ◇
セオドアは選抜した精鋭を率いてブトワルへ到着した。その中には、魔力を感知できる魔導士も含まれていた。
「なるほど。魔族には、そのような特性が」
感心した様子のセオドアを横目に、ルナとレオンハルトは同行した魔導士たちとともに、精鋭一人ひとりの魔力を精査していく。
「まだ仮説段階だがな。将軍が連れてきた兵士に、魔族はいないようだ」
識別方法は、対象へ持続的に流入する魔力を、複数の魔導士が相互確認する方式に定まった。
その後、部隊を国王救出、魔族の識別および排除、退路確保の三班に分割し、王都へ潜入する計画を詰めていく。各班には〈魔報〉を配備し、状況ごとの合図も事前に規定した。魔族の識別手順と作戦要領は、その日のうちに参加者全員へ周知された。
「魔報手がいいわん」
「魔報手?」
「〈魔報〉を扱う者を魔報手と呼ぶんですわん」
セオドアの傍らにいた将校が嬉しそうに提案すると、ルナも「いいですね」と喜んだ。
参加者は〈暁の道標〉、レオンハルト、セオドアと彼が連れてきた五十人の精鋭。ヴァレリオは詳細を伏せたまま、可能な限り冒険者を招集し、予備戦力として待機させる。
国王救出後、本人の証言と王命をもって王都軍を魔族の指揮系統から切り離す。それが今回の作戦骨子だった。




