EP.25 最適解
村までの輸送は、拍子抜けするほど順調だった。ポカラを発った補給隊は兵士およそ七十人、荷馬車五台。前回の輸送隊を襲撃したという魔物は影すら見せなかった。食料を荷下ろししたオズワルドたちは、その日のうちにポカラへの帰途に就いていた。
残る難所は一箇所のみ。山腹を削り抜いたような五百メートルほどの切り通し。その手前でセオドアが足を止め、隊列を振り返る。
「いつ魔物が来てもいいよう、警戒を怠らないでください!」
「了解です、わん!」と、獣人将校が威勢よく応じた。
往路でも通過した道だ。右手には岩壁が屹立し、左手は二十メートルほど下まで切れ落ちた断崖となっている。その下には鬱蒼とした森が何エーカーにもわたって広がっていた。荷馬車二台が並走する余地はなく、ここから先は縦列で進むほかない。
そこで補給隊は隊列を組み替えた。先頭に斥候と前衛、その後方に荷馬車。殿には後衛歩兵とセオドア、〈暁の道標〉。七十人という数もここでは強みにならないな。
「狭い」
ガドルが岩壁の狭間を抜けるたび、肩が岩肌を擦る。巨人族たる彼には、この切り通しはいっそう窮屈なのだろう。
「小さいころ、村の大人、言ってた」
ガドルは急に口を開き、
「巨人は、山と平地のあいだ、挟まれて、魔物、魔族の前に立つ役だ」
笑い話をしようとしたのかもしれない。だが、その声音にはどこか自嘲のような澱が残っていた。
「……だから山、出た」
ガドルは足元へ視線を落とし、それから肩を擦る岩壁を見上げた。オズワルドは何も問わなかった。
◇ ◇ ◇
異変は、隊列の先頭が切り通しの中ほどへ達したときに生じた。キリカが唐突に伏せ、地面に耳を当てる。
「――ゼッド、来るわよ!」
〈暁の道標〉のさらに後方、先ほど通過した切り通しの入口から複数の足音と咆哮が反響してきた。
「構えろ!」
傍らにいた殿の歩兵たちが盾を打ち鳴らし、隊列全体に敵襲を告げる。即座にゼッドとガドルが道を閉塞するよう防衛陣形を取り、セオドアが隊列の先頭へ向けて叫んだ。
現れたのは、猿に似た猫背の身体に異様に長い両腕を持つ魔獣。その長い腕を地面に叩きつけるようにして、四肢で細い切り通しを駆けてくる。中には岩壁へ取りつき、遠吠えをあげる個体までいた。
「グラッカだ!」
ゼッドが叫ぶ。
「全員、足を止めないでください! 前進!」
「ルナ、キリカ! 隊列の誘導を頼む!」
「はい!」
「任せなさい!」
ガドルとゼッドは、後ろから押し寄せてくる魔獣を次々に谷へ叩き落としていく。間近まで迫った個体は、立ち上がれば人間の成人ほどの背丈があった。オズワルドはゼッドの直後に位置を取り、声を張った。
「交代で盾を回す! 次は俺と残りの兵だ」
魔獣の奔流が一瞬途切れ、
「ゼッド、ガドル、交代だ!」
幾度か交代を重ねた頃、足を取られた兵がよろめき、魔獣の一撃を正面から受けた。鉤爪が鎧の継ぎ目へ食い込み、鉄と肉が同時に軋む鈍音が響く。セオドアが倒れ込む兵の鎧の襟をつかんで引き寄せ、代わりに一歩前に出る。剣を握る手が微かに震えていることに、オズワルドは気がついた。
「将軍、無理に前へ出るな」
それでも彼は離れず、震える指で剣柄を握り直す。
エルウィンはすぐ後ろで、血まみれの兵に回復魔法を施していた。オズワルドは負傷兵の盾を咄嗟に拾い上げ、左腕に通して構える。腰のホルスターから軍用拳銃を抜く。
『スマートリンク確認。個人認証完了』
銃身を盾の縁に沿わせ、射線を固定する。
一頭の魔獣が喉を低く鳴らし、跳躍した。盾を掲げ、その衝撃を受け止める。鼻腔を刺すのは、血と獣脂、乾いた毛皮が焦げるような臭気。
「ぐっ」
鉄板越しに咆哮と衝撃が骨へ伝わる。
距離、ほぼゼロ。
照準という概念は捨てる。
引き金を絞る。
タァン! タァン!
拳銃の乾いた反動が右腕から盾へ逃げた。
鉄板越しに生命が断絶する手応え。魔獣は唐突に力を失い、崖側へ滑落していく。
「一」
間髪を容れず、次の影が躍りかかった。今度は姿を明瞭に捉え、肩の骨格に合わせて銃口を僅かにずらす。左腕で盾を押し込み、獣の頭部を半歩ぶん逸らした瞬間、露出した脇腹へ銃口を捻じ込んだ。
引き金。
火薬臭。六×二四ミリEUU-Mの灼熱した複合薬莢が頬を掠めて飛ぶ。白目を剥いた魔獣をガドルの大盾が横からぶん殴り、肉塊ごと崖下へ叩き落とした。
「二」
視界に映し出される残弾表示を確認する。
まだ余裕はある。盾越しの視界では、次の魔獣が牙を剥き、咆哮していた。
引き金。
「三」
胴に二発、頭部に一発。
掌に残るのは乾いた反動だけだった。耳の奥ではなお銃声が反響している。それなのに、知覚された世界は奇妙なほど静かだった。
視界の端で血と毛皮が崩壊していく軌跡だけが、異様な鮮明さを伴って残る。指先はすでに、次弾を求めるように引き金の抵抗を確かめていた。
「ここで踏ん張れば、全員生きて帰れる! ここが死ぬ場所じゃないと、私が保証する! だから足を止めるな!」
セオドアの声に、兵たちの背筋が伸びる。エルウィンが軽傷者へ治癒を施し、ルナとキリカがその手を引いて前方へ送る。補給隊は遅々として、しかし確実に切り通しの出口へ進んでいた。その最後尾で、オズワルドたちは魔獣を押し返しながら後退を継続した。
◇ ◇ ◇
ひときわ大きな岩が道の外側へ張り出した地点まで来たとき、前方から鐘音が響いた。先頭からの合図。
「聞いたな! まず負傷者を前へ送れ! 次に盾を持ってない奴だ。最後に盾持ち!」
オズワルドが叫んだところで、セオドアが小さく息を吸った。
「最後尾は私が務めます」
「何を言ってる。アンタに何かあったら……」
「不死身などと呼ばれている身ですからね」
自嘲の混じる言葉に、近くの兵が僅かに笑い、
「……胃が痛くなる称号ですが」
そう零しながらも、彼はその場に踏み留まった。盾を持つ兵はガドルとゼッドの横に並び、魔獣を押し返しては退く。それを反復しながら、一人、また一人と殿から離脱していく。
『追撃中の魔獣、減少傾向。敵性個体群の戦闘意欲低下を確認』
「それは、こっちも同じだ」
最後の撤退フェイズに入ると、オズワルドは盾を構えて前に立つセオドアを引っ張った。
「ちょ、リアム殿――」
「いいから行け。あとは任せろ」
「……は、はい!」
将軍が駆け出す。僅かに遅れて、オズワルド、ゼッド、ガドル、エルウィンの四人も切り通しの出口へ疾駆した。追撃する魔獣が執念深く背後から飛びかかるが、ゼッドの大剣とガドルの盾がことごとく叩き落とす。
やがて視界が開けた。
断崖の傾斜が緩み、道幅が広がる。
直後、キリカの大声が響いた。
「伏せて!」
先行した兵たちとセオドア、ルナ、キリカが、弓と杖を構えて待ち受けていた。その陣容を見た四人は地面へ身を投げ出す。刹那、矢と魔法が頭上すれすれの空間を穿った。追撃してきた魔獣の群れが薙ぎ払われ、残った数頭も悲鳴とともに崖下へ転落していく。
「……生きてるか!」
誰かの叫びに、そこかしこから息の詰まった笑声と、掠れた応答が返った。
「また将軍のおかげで生きて帰れたな」
「不死身のセオドアさまさまだ」
そんな声が、自然と兵たちの口から漏れる。その傍らで、地面へ腰を落としたセオドアが、なお震える手で兜を押さえていた。
「……また、皆生きて帰れた」
そこに英雄譚が好む豪胆さはない。
恐怖を超克した者の顔ですらない。
だが、恐怖に震えながらも、最後まで剣柄を手放さなかったことをオズワルドは知っている。
ガドルは黙したまま山脈を仰いでいた。オズワルドが隣へ腰を下ろすと、しばらくして口を開く。
「……昔、村の老人が言った」
彼は山の稜線に向かって顎をしゃくり、
「巨人は、殴られるのが本懐」
「ひどい老人だな」
「うむ。ひどい」
ガドルは短く笑い、それから拳を握りしめ、
「……だが、悪くない」
山と人間の狭間。その曖昧な境界に、なお立ち続ける巨人族がいる。そしてその傍らには、恐怖に震えながら、前に立ち続ける将軍がいた。
『今回の戦闘後退は非効率ですが、現条件下では最適解に近いと判断します』
そこでオズワルドは気がついた。
北辺軍は動かせない。
だから王都を救えないと考えた。
今回の護送では、魔獣を全滅させたわけではない。それでも食料は届き、兵たちは生きて帰れた。目的は物資を届けることであって、魔獣を倒すことじゃなかった。
王都も同じだ。
大軍をもって、正面から都を奪還する必要はない。
まず国王を救出し、魔族側の指揮系統を破壊する。そこまでできれば、王都にいる軍そのものが友軍に戻る。
「ATHENA、作戦目標を変更する。国王の救出と、敵指揮系統の破壊だ」




