EP.19 静かなる侵略
届け先は北王国最北部に防衛網を敷く、北辺軍将軍セオドア・ベルジュ。運ぶのは王都の異変を記した情報と、王家の封緘状だという。
「私一人で向かえる距離ではない。北へ続く道にも雪が残っている。無理に進めば、届ける前に倒れるだろう」
「王国兵は使えないのか」
ゼッドが問うと、レオンハルトは首を横に振った。
「頼めない。信用できる者に相談したところ、ブトワルへ行き、ヴァレリオ殿を訪ねろと助言された」
ヴァレリオは髭を撫でながら、ふむ、と短く応じたが、助言者の名を尋ねようとはしなかった。心当たりがあるのか、訊く必要がないと判断したのか。
〈魔報〉は、いまだギルド内部に限られたシステムでしかない。それに王命を証する封緘状までは送れない。結局、誰かが残雪の街道を越える必要がある。
とはいえ、その前に話の要点がまだ見えていない。オズワルドが次の言葉を待っていると、レオンハルトは片眼鏡の奥から一同を真っ直ぐ見据えた。
「王都ラクナウは、魔族の手へ落ちている」
その場にいた誰もが息を呑んだ。
「……ど、どういうことだ? ま、魔族って、物語に出てくるあれか?」
ゼッドが問う。聞けば、ルナが以前話した〈勇者〉によって二百年前に退けられた魔族とやらは、今や物語の中にしか存在しないものらしい。その伝説上の存在が、国の中枢を奪ったということになる。
本来なら一笑に付す類の話なのだろう。だが、オズワルドは魔法も巨人も、〈勇者〉も見ている。自分の常識など、この世界ではとうに通用しないと理解していた。
「……いえ、魔族は本当にいます。私は実際に二百年前の〈人魔大戦〉の際にこの目で見ました」
エルウィンが告げると、レオンハルトは一度だけ頷き、話を続ける。
異変の端緒となったのは、一人の貴族が人ならぬ姿へ変貌する瞬間を目撃したことだった。王宮に残る〈人魔大戦〉当時の記録を調べると、目にした姿は、魔族を描いた図や特徴の記述と一致していた。さらに――
「すでに、国王と重臣は拘束され、軍の命令系統も掌握されている。私は密かに陛下と接触し、王命を託されてここまで来た。この通りだ」
レオンハルトはその場で立ち上がり、頭を垂れた。
魔族は軍勢で侵攻せず、人間に擬態して周到に中枢へ浸透した。いつ始まったのかも分からない。王や大臣の名で命令を下せば、事情を知らぬ兵は人間の国を守っているつもりで従う。その手法をオズワルドは知っていた。
内部転覆。
かつて人間同士が謀略を巡らせ、殺し合っていた時代の手段だ。占領軍の旗も、宣戦布告も必要ない。国そのものを残したまま、中身だけを奪う。Virethとの戦争より静かで、遥かに厄介だった。その先に何が起こるかは、容易に想像できる。
◇ ◇ ◇
レオンハルトはローブの内側から書状を取り出し、机の中央に置いた。封を閉ざす赤い蝋に王家の印が刻まれている。
「封緘状だ。陛下が拘束される直前、託された」
王家の印だけで、彼の証言すべてが証明されるわけではない。だが、その印を託された宮廷魔導官が北王国の兵を避け、ギルドへ駆け込んだ。ゼッドが口を開く。
「それがあるなら、もっと簡単に王都内で何とかなんねぇのかよ」
「見せる相手が人間だと、誰が保証できる」
部屋が再び静まり返った。魔族がどこまで浸透しているのか分からない。救援を求めた相手が魔族なら、その場で握り潰されて終わりだ。オズワルドは訊ねた。
「で、その将軍が信用できるという根拠は」
「先ほど話した、信用できる者からの情報だ」
セオドア将軍は王都から遠く離れたヒム・ガ山脈近傍に軍を駐留させ、防衛網を敷いている。将軍率いる北辺軍は、王都の指揮系統から隔絶された戦力だという。
「その将軍が魔族の手の者だった場合は?」
「……北王国どころか、この大陸ごと魔族に蹂躙されるだろうな」
告げたレオンハルトの表情が硬直した。
『レオンハルト氏の推測は、誇張ではありません。地球上の地理に換算すると、北王国はインド北部のガンジス川流域からネパール、ヒマラヤ山脈南麓に相当します。この全域が掌握された場合、魔族は大陸内に恒常的な侵攻拠点を確保することになり、防衛線の構築は困難を極めます』
ヴァレリオが溜息を吐いた。
「このままでは人類は北王国という盾を失う、ということか」
「その魔族とやらは人間に偽装しているという話だったが、外見では判別できないのか?」
オズワルドがレオンハルトを見やる。彼は封緘状から目を離さず、しばらく考えてから、言葉を選ぶように口を開き、
「……ああ。おそらく魔法だと思う。そんな魔術はこの大陸では知られていない。ただ……見破る手段がまったくない、とまでは言い切れない」
『レオンハルト氏の離脱により、魔族側が計画の露見を警戒している可能性を考慮すべきです』
だろうな。時間の経過とともに情報価値は低下するし、北辺軍への連絡、王都への潜入、国王たちの救出。そのいずれも、遅れるほど難度は増す。オズワルドは赤い蝋に沈む王印を見つめた。
◇ ◇ ◇
〈暁の道標〉が依頼を引き受けると決めるまで、長い協議は要らなかった。
「国の危機だ。俺たち〈暁の道標〉は参加しようと思うが、どうだ」
ゼッドが椅子に浅く腰掛け、仲間たちを見回す。エルウィン、キリカ、ガドルが順に頷き、ルナも膝の上の杖を握ったまま迷いなく首肯した。
国家の存亡というより、彼らには守るべき者の顔が浮かんでいるのだろう。全員の意思を確かめたゼッドがオズワルドへ視線を向けた。
「アンタはどうする」
『北王国からの退避を推奨します』
ATHENAの勧告は正しい。オズワルドには、この国のために命を賭す義務などない。北王国から脱出し、別の土地で帰還方法を探る選択肢も残されている。生存と帰還を最優先とするなら、離脱するほうが合理的だ。北へ向かえば、この国の危機を自らの問題として引き受けることになる。
答えは南。
理屈に従うなら、逡巡する余地などない。
オズワルドは顔を上げ、返答を待つ五人を見渡した。彼らは、土地勘も情報もない世界で生き延びるための協力者にすぎない。だがこの世界に来てから、命を預け、同じ木机を囲む日々を重ねた。
ブトワルもまた、帰還への手掛かりを集めるために選んだ暫定拠点。いずれ去る場所だと考えていた。しかし、ギルドホールの喧騒は、もはや耳に馴染んだ生活音へ変わりつつある。ここで生きる者たちの生死を、今さら他人事として切り離すことはできない。
「ああ。俺も行く」
ゼッドが歯を見せて笑った。
「なら、いい加減〈暁の道標〉に入れよ。毎回一緒に戦ってんだ。今さらだろ」
以前、ヴァレリオから同じ話を向けられたときは、返事を先延ばしにした。正式に名を連ねれば、もはや仮初めの協力関係ではいられない。いつか去る人間が背負うべき責任ではないと考えていた。しかし、彼らを仲間と呼ばない方が今となっては……おかしな話、か。
「……ああ」
オズワルドは一度だけ首肯する。
「恩に着る。では早速――」
レオンハルトが立ち上がろうとしたところを、オズワルドが制した。
「俺たちが失敗した場合に備えて、あんたはこの街で姿を隠していたほうがいい。封緘状は俺たちが届ける」
レオンハルトは何か言いかけたが、やがて小さく頷いた。
地球への帰路を探す旅は、しばし中断だ。王家の封緘状を携え、次に向かうのは北。〈暁の道標〉の一員として。




