EP.2 好色不埒なエルフ
眼前の少女は、まじまじと軍用拳銃を見つめ、『杖』と称した。一見すると地球人と同じ。が、よく見るとその風体は全く違う。ずり落ちそうになっている厚いレンズの丸眼鏡。その奥から、地球人にはない紫色の瞳で興味深そうに注視している。オズワルドは少女に手を差し出した。
「大丈夫か?」
「あ、ありがとうございます」
少女は軍用拳銃から目を離さず眼鏡を押し上げ、オズワルドの手を取った。握った感触は、戦闘員というよりも研究職や技術者や事務職のような、非戦闘員のそれだ。それにしても、言語が同じなのはどういうことだ。
色白の肌に典麗な顔つき。銀髪。年齢は十八そこそこといったところだろう。服装はこんな森を歩くような格好ではない。泥で汚れたローブに膝下までのブーツ。腰には革のポーチと木製の杖。映画やアニメに出てくるような“魔法使い”そのもの。
こんな状況だ。これがただのコスプレとは思えないが……。少女を引き起こすと、オズワルドはさっき撃ち倒した獣のほうへと歩み寄り、片膝をついた。
「ATHENA、分析」
『承知しました』
灰色の毛並み、人間ほどの体躯。頭部と腹部からまだ温かい黒紫色の液体が土へとゆっくりと染み込んでいく。新型のVirethか?
◇ ◇ ◇
「……み、みじかい杖ですね」
「これは杖じゃない。軍用拳銃だ」
オズワルドは右手の軍用拳銃を持ち上げてみせる。
「あくいら……?」
少女は真剣な顔で復唱し、ゆっくりと視線を銃から身体へと移してきた。
そこで自分がパイロットスーツ姿であることを思い出す。こんな全身タイツのような姿では、地球なら変質者と思われてもおかしくない。軍用拳銃を腰のホルスターに収めてから、思わず眉間を指で押さえる。
少女の視線が胸元をかすめ、腹部でぴたりと静止した。慌てて逸らしかけたその視線は、今度は太腿から腰のホルスターのあたりを遠慮がちになぞる。やがて申し訳程度に上向いたかと思えば、最後に明白な意識を持って“下”を一瞥した。
「……なんだ。申し訳ないが、そんなに見られるとあれだな」と言いながらオズワルドは腰に片手を置いた。
「あっ、その、そのっ! と、とても……その……鍛えられた、お身体だなと……思いまして……」
ぐ、と喉が鳴る音まで聞こえてきそうだ、と思ったところで会話を切るようにATHENAの音声が入る。
『Mr.オズワルド。鷹の目からの映像で近くに人間の野営地を確認しました』
「キャンプ?」
少女はオズワルドを見て、訝しげな表情を浮かべる。すると、突然何かを思い出したかのように目を見開いた。
「もしかして、精霊様とお話ししてるのですか!」
「……精霊?」
「はい。伝承によれば高位の魔導士様の中には、精霊と対話しながら戦場を駆けた方もいたとか……」
精霊……ね。どうやら本格的にここは自分の知る世界じゃないらしい。
「まぁ、そんなようなものだ」
「も、もし道に迷われたようなら、私のパーティがいる宿営地に行きませんか? そこから近場の村や街に行く荷馬車も出ていますし……」
『移動に賛成です。人口密度が高い地点ほど、情報量は指数関数的に増大します』
◇ ◇ ◇
「わたしはルナ・アルストロメリアと申します。ルナとお呼びください」
「俺はリアム・オズワルドだ」
差し出された手をルナは慌てて握った。
「り、リアム様ですね」
変わった見た目だけど、精霊様と会話しているなら高位の魔法使いかもしれない。そう考えた途端、握った手に汗が滲んだ気がした。急いで離し、誤魔化すように髪を撫でてから挨拶の作法を思い出して頭を下げる。
「それで、ルナはなんでここにいた?」
「そ、その! 作戦行動中だったんですけど!」
リアムが歩きだしたのでルナも慌ててあとを追った。やっぱり変な恰好。でも体つきは魔法使いより戦士だ。もしかして間を取って大賢者様? 大賢者様も精霊とお話しになると聞いたことがある。
「作戦行動?」
「はい! 勇者の捕獲です!」
「……勇者? 勇者ってあれか。ゲームとかで出てくる」
「げ、げいむ?」
ゲイムという土地がこの大陸のどこかにあっただろうか。ルナは記憶を探った。
「悪い。この辺の者じゃないんだ。勇者について教えてくれるか?」
「え? 勇者様をご存じないんですか?」
大賢者様ほどの方がこの大陸にいるのに勇者を知らない。西の奥地の人なのかな。こんな格好だし、まさか山脈の向こうから来たなんてことはないよね。
「白き勇者、蒼き聖剣を掲ぐ。七つの黒影、眠りより目覚めたり。四十一度目の暁、漆黒の魔王を断ち、世界に静謐をもたらさん」
子供の頃から何度も聞かされ、すっかり覚えてしまった物語だ。
――二百年前、創環暦二八三一年。突如としてヒム・ガ山脈の空が黒く染まり、山脈の向こうから魔族の大軍が押し寄せた。
〈人魔大戦〉。
魔族の侵攻は苛烈を極め、人族を含む諸種族の連合軍は敗北寸前だったという。一年に及ぶ戦争の末、連合軍は大陸中央を流れるガン・ドラ川まで追い詰められた。
そこへ現れたのが、白い鎧と蒼い聖剣を携えた〈白き勇者〉だった。
出自は不明。記録に残っているのは白き甲冑を身に纏い、蒼き聖剣を携えていたということだけ。
〈白き勇者〉は古代の封印を解き、眠っていた七騎の英雄を戦場へ放つ。七英雄は各地で反攻を開始。それまで人類には為す術もなかった戦況をいとも容易く覆し始める。
高位の魔族や強大な魔獣、大将軍たちを討ち、〈白き勇者〉が現れてから四十一日目の夜明け前、連合軍はヒム・ガ山脈に最も近い砦を奪還。そして〈白き勇者〉が漆黒の魔王を討ち、黒い空は裂けた。
「〈白き勇者〉はその後姿を消し、今では七騎の英雄それぞれが〈勇者〉と呼ばれています」
語り終えたところで、人のざわめきが耳に入った。
あれ? あれだけ地図を見てもたどり着けなかったのに。リアムのあとを歩いていただけで、いつの間にか――当たり前のように宿営地へ到着していた。
◇ ◇ ◇
「師匠は二百年以上生きている有名なエルフの魔導士なんですよ」
誇らしげにそう言って胸を張る。リアムもきっと話を聞けば驚くだろう。ルナは足早に天幕へ近づき、ためらいなく垂れ布に手をかけた。
「エルウィンさん、入ります」
返事も待たず天幕の垂れ布を上げた瞬間、ルナの足が止まる。
その様子を見たリアムが不思議そうな顔で口を開く。
「どうした」
え? 中を見て頭が真っ白になった。
汗とお香の混じり合った匂いが鼻を突く。灯火に照らされた寝台の上には一糸まとわぬ男が二人。四つん這いになった大男のすぐ後ろで師匠が膝をつき、腰を密着させている。大男の汗に濡れた背中は岩壁のように盛り上がり、毛布を掴む筋骨隆々とした腕には太い血管が浮いていた。
師匠は大男に比べ、白く細い。腰まで届くプラチナブロンドが裸の背を流れ、揺れるたびに尖った耳と端正な横顔が覗く。二人の腰が重なるたび寝台が軋み、肌が打ち合う湿った音に大男の押し殺した声が重なった。
汗で薄く濡れたエルウィンのしなやかな筋肉がランプの薄明かりを艶めかしく返し、顎を伝った汗が大男の背中へ落ちる。長い指が汗ばむ肩を掴み直すと、大男の腕がバンッと寝台を叩いた。もっと深く、と乞うように。直後、背筋がびくりと波打つ。
ルナは息をすることさえ忘れていた。見てはいけないと頭では分かっているのに、瓶底眼鏡の奥から視線が褐色の肌と白い肌の絡む場所へ吸い寄せられる。体格差が生む対比はあまりにも鮮烈で彫像のように美しい。
いや、何を考えているのだろう。
ふいに、氷のような青い瞳がルナを捉えた。
「おや。失礼しました」
ルナと視線が重なってもエルウィンは動きを止めない。むしろ見せつけるように腰を深く沈め、寝台を大きく軋ませる。乱れた息の合間にも穏やかな微笑は崩れなかった。
「ル、ルナ……っ、今はっ、取り込み中ですので……手が空いてからでもっ……よ、よろしいですかっ」
「し、失礼しましたぁっ!」
ルナは全力で幕を叩き落とし、リアムのほうを振り返った。
背後の天幕から大男の低い呻き声が追ってくる。頬も耳も熱くなる。けれど脳裏には、白い指が黒々とした筋肉に沈む光景が焼きついて離れなかった。




