EP.1 魔法ヲタクと、剣と魔法の世界に落ちた兵士
『――意識レベル、回復を確認。おはようございます。Mr.オズワルド』
抑揚の乏しい人間味のない、耳慣れた女の声でオズワルドは目を覚ました。
周囲は暗く、分かるのは視界の端に半透明の文字列が浮かんでいることだけだ。
手足を動かそうとしてすぐに無理だと分かった。拘束されているというより、固定されている。なんだ、箱? いや、なにかの型のようなものに入っている感覚だった。ここはどこだ。
「……ATHENA、状況報告」
『了解。周囲環境を分析』
直前の記憶が全くない。何かの任務に従事していた気もするし、整備ドックでExionの整備をしていた気もする。そのとき、突然何かの蓋を開けるように脳裏に映像が再演された。
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「暴走するかもしれない。使えば、あんたごと吹き飛ぶ……それでも行くのか?」
「あぁ。お前が作ったものなら、信じられる」
「……ったく。科学者泣かせな奴だ。生きて戻れよ。絶対にな――」
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『分析が完了しました。生命活動に支障はありません』
ATHENAの音声で現実に引き戻される。
「判断材料のない推測は、軍では祈祷と大差ない」と、誰かが言っていたことを思い出し、ディスプレイを凝視した。
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>>ENV STATUS: 周囲環境スキャン完了
>>酸素濃度: 21.1% / 大気圧: 0.98 atm / 気温: 8.8℃ / 有害物質: NONE
>>地表重力加速度: 6.87 m/s^2 [Earth≒1.0G → 0.70G]
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表示を見て、ようやく自分がExionの中にいると把握する。酸素と気圧は、生身で外へ出られる範囲。問題は〇・七Gという重力か。そこでオズワルドは一つの結論に達した。
地球ではない可能性が高い。が、慌てる理由はあっても慌てていい理由にはならない。そんな状況下でさえ、血中を巡るナノマシンは平然としている。平時と寸分違わぬ精確さで彼のバイタルを正常に維持する。まずは外に出ないとな。
◇ ◇ ◇
言葉よりも先に思考を読み取ったのか、機体脚部からガチャンと音が響き、転倒防止用の脚部ロックが作動した。
それまで機体の内側で身体を支えていた固定具が、カチカチカチとリズミカルな金属音を立てて格納されていく。続いてわずかな減圧音とともに目の前の分厚い装甲が重々しくスライドした。
プシュゥウウ――。
開いた隙間から差し込む白い光に、オズワルドは目を伏せ、片手を額にかざす。生身の顔を外気に晒すと、ひんやりと湿った空気が頬を刺した。
周囲を見渡すと、腐葉土特有の匂いが立ち込め、高く伸びた巨木が周りを囲んでいる。どこかの森か?
上を見ると葉を落とした枝の隙間に薄い空が見えた。……知っている森ではないな。木が高すぎる。重力が軽い世界なら幹は自重に縛られにくい。理屈としては合う。
機体から降りて自分の身体を見下ろした。厚手のスポーツタイツを彷彿とさせる漆黒の操縦服が、第二の皮膚さながら全身に密着している。
喉元のインジケーターが呼吸に合わせて明滅し、スーツに走る青白いラインが細く脈打つ。
「Exionは?」
『システムの大半が停止しています。動力炉はセーフティモード。外部アクチュエータはロック中。再起動には、最短でも一時間のセルフチェックが必要です』
人間は破壊されても敗北しない、と『老人と海』のサンチャゴは言った。Exion第四世代は、その人間が破壊されないための戦術強化兵装だ。
小型化した半永久エネルギー動力炉を積み、全高二・三メートル、重量三トン……いや、今はそれどころじゃないと内省し、口を開いた。
「通信」
『ローカル空間におけるATHENA本体とのネットワーク接続のみ、限定的に可能です。衛星ビーコンは検出できません。外部通信は不可能です』
「助けは呼べない。位置も分からない。使えるのは生身の俺と最低限の装備だけか」
『簡潔な要約に感謝します』
機体の外部スピーカーから聞こえるATHENAの声。皮肉なのか本気なのか分からない。オズワルドは片眉を上げた。まあいい。最初にやることは決まっている。
機体脇のラックを開き、ストレージから薄い金属ケースを取り出す。蓋をスライドさせると、虹色の微細な回路が走る透明なコンタクトレンズが二枚と黒いチップが収まっていた。コンタクトを装着し、黒いチップを左耳の後ろにあるポートへ当てる。
『視界・音声リンク、再確立。視覚インターフェースオンライン。――聞こえますか、Mr.オズワルド』
「ああ。セルフチェックを開始。俺は周囲を偵察する」
『武装携行を推奨』
耳裏のチップ経由でATHENAの声が問題なく聞こえてくることを確認すると、まるで出かける際の手荷物かのように躊躇なく、ストレージの奥から黒い拳銃を抜いた。
グリップを握った瞬間、スマートリンクが確立され、個人認証のグリーンランプが灯る。いつもとは違う《《相棒》》の重さ。握る力を少し緩め、銃口を下げたまま森を見る。
機体を背に一歩踏み出すと足が思ったよりも浮き、膝がわずかに遅れて沈む。やはり軽いな。
『何かの音声を検知。救助要請のようです』
突然、どこかで鳥ではない声がした。聞き覚えがある。聞き違いではなく、「助けテ」と。それは紛れもなく彼の慣れ親しんだ地球語に違いなかった。
「人間か?」
『不明です』
「……そりゃ、困ったな」
◇ ◇ ◇
「困った……困ったことになりましたね」
ヒム・ガ山脈から吹き下ろす乾いた風が、吐息を白くする王国北の森の奥。ルナ・アルストロメリアは、胸元まである木杖を地面につきながら、深刻な顔で森を歩いていた。
顎下で切りそろえた銀髪から覗く、瓶底のように分厚い眼鏡をくいくいと上に持ち上げる。
今の状況がどれくらいまずいのか、考えるまでもなかった。
世界に残存する七体の〈勇者〉。そのうち一体を捕獲するための、王国騎士と冒険者による合同作戦。その最中にパーティメンバーとはぐれてしまった。ただの偵察だったはずなのにどうしよう。
「困った、困った」
地図を確認し、歩みを進める。
非常にまずい。大陸連合自然理学院を辞め、師匠の口利きでこのパーティに入れてもらってから一年。魔力の少ない自分が王国指折りの冒険者パーティに入れたのは全部師匠のおかげだった。なのに……
「ここはどこ?」
地図を横にするも、違う気がする。
今度は逆さにしてみたが、さらに違う気がした。仕方なく元へ戻す。
地図に描かれているのも、目の前にあるのも木ばかり。森の中で森の地図を見たところで、分かるものなどほとんどない。魔術式構築の設計書よりはるかに難しい……で・す・が、
「迷ったわけではありません。少し、隊から離れただけです」
頭上に魔法を打てば、仲間はすぐに気づいてくれると思う。でも、そんなことをしたら作戦が台無しだ。
勇者を捕らえるはずが、自分を捕獲してもらわなければならないなんて……
「それだけは避けないと」
とりあえず師匠のいる宿営地を目指そう。そう思い、地図を畳んで顔を上げる。すると、少し先の木々の隙間から黄色く濁った二つの目が、獲物を見定めるように静かにこちらを見ていた。
◇ ◇ ◇
高さは人の背丈ほどで、灰色の毛に覆われた狼のような頭部。二本脚で立っているのに背骨は前へ曲がり、口元からはだれのものとも知れない声が漏れていた。
「タスケ……テ」
喰った人間の声を真似て獲物を呼ぶ魔獣。助けを求める声に近づけば、次に森へ響くのは自分の声になる。教本にはそう書いてあった。
「ミ、ミメルですか……困りましたね」
実物を見るのは初めてだった。人間の声を再現する生得魔術は、いまだ構造すら解明されていない。
喉を媒介にする音魔法なのか。血肉に残った魔力を読み取っているのか。学院では後者が有力だったけれど……って、考えている場合じゃない。ルナは杖を構え、距離を取る。杖の先に火が灯る。
「エジュ・アズェン・イグナ・セリエ――」
ミメルが四つ足で駆けた。速い。詠唱を終える前にミメルの前脚が杖を弾いた。杖が宙を舞い、ルナの手から離れていく。杖を掴もうと踏み出した足が土から覗いた木の根に引っかかった。
「あっ」
情けない声とともに膝をつく。目の前でミメルが灰色の腕を大きく振り上げていた。
「……困りました」
せめて痛くありませんように。師匠に怒られるだろうな、なんて場違いなことを考えて目を閉じた。
――タァン。タァン! と、乾いた音。
直後、ズシンという音が響き、微かな揺れが膝から伝わった。
恐る恐る目を開ける。迫っていたミメルが地面に倒れ、赤黒い血だまりが広がっていた。
その向こうには人の形をした黒い何か……人間?
全身をぴっちりと覆う黒い衣服。青白く脈打つ光の筋。体格はかなり大きい。ミメルの前に膝をつき息があるか確認している。こちらに気づくと、立ち上がって歩み寄ってきた。
パーティメンバーの巨人族ほどじゃないにせよ、仲間のだれより大きい。
灰青の瞳と、短く切りそろえられた暗い金色の髪。その佇まいにはどこか哀愁があった。変な格好なのに歴戦の猛者を思わせる雰囲気がある。結構おじさまだ。四十歳くらい。
「怪我は?」
「あああ、あの……」
ルナは震える手で眼鏡を押し上げる。
男の右手には見たことのない黒い何かが握られていた。……杖?
恐怖で顔が引きつってしまう。まずは助けてもらったお礼を言わなきゃ。でも、口から出たのは別の言葉だった。
「み、みじかい杖ですね」
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