EP.11 心の余裕、そして明日
夜になり、静かになったロビーでリュミエールとギルド長が向かい合っていた。ランプの光で二人の影が揺らめいている。見ているルナまで胸の奥が落ち着かない。本気なのかな……。
「きみが辞めたら、困ってしまうんだがな」
「分かってます。でも、私……もう、どうしていいか……」
言いかけたところで――
「ちょっと待った!」
キリカがずかずかと歩み寄り、ぺしんと胸を叩いた。
「リアムが手を打つから、それまで待ちなさい」
リュミエールがぱちぱちと瞬きをして、目を丸くする。
「アンタがいなくなったら、あたしのツケの誤魔化しがバレるでしょ」
言いながら、キリカはリュミエールの額をこつんと小突いた。
ギルド長も「やれやれ」と口元を緩める。
「ご、誤魔化してたのか……」
柱にもたれていたリアムが声を漏らした。本気なのか分からない。
キリカがくるりとリアムのほうを振り返る。
「比喩よ比喩!」
二人のやり取りを見て、ルナは「ふふっ」と笑いをこぼした。そして、リュミエールの肩からほんの少しだけ力が抜けたのが暗がりでも分かった。
◇ ◇ ◇
翌朝、小さな会議が開かれた。
リアムがテーブルに簡単な図を広げる。ルナは横から覗き込んだ。もう案が浮かんだの?
【朝・依頼受付を優先】
【昼・素材買取を優先】
【夕・報告・精算を優先】
「今はどの受付も全部同じ列に並ばせている。だから、時間のかかる査定が一件入るだけで、後ろがすべて止まる」
「では、時間ごとに受け付ける仕事を変えるんですか?」
「いや、受け付けなくなるわけじゃない。混む仕事に合わせて窓口の数を変える。朝は依頼受付、昼は素材買取、夕方は報告と精算を増やす」
リアムは図に描かれたカウンターから三本の線を引いた。
「列も用件ごとに分ける。素材、依頼、報告と精算。入口で番号札を取り、窓口側が順番に番号を呼ぶ」
ギルド長のヴァレリオが髭をさすりながら渋い顔をする。
「まあ、理屈は分かる。だが……連中は待たされるのを何より嫌う。今まで整理できなかったのも、それが理由でな」
「だから、番号札とA級冒険者という強制力をセットにするんだ」
リアムの言葉にキリカが目を細めた。
「で、その木札は『持って帰ったら罰金』とか書いとく?」
「……そ、それはお前の趣味だろう。念のためだが、あいつら数字は読めるよな」
「冒険者なら、数字くらい問題ないと思うわ。分からなかったら、《《教えてやる》》だけよ」
キリカはにやりと、物騒な笑みを浮かべた。それ、教えるって言わない気が……。
その横で、リュミエールは紙の上の文字を何度も読み返した。
「これなら……今、何を優先すべきかはっきりしますね」
ヴァレリオはしばらく考え、やがて頷いた。
「よし! やってみるか。どちらにせよ、いつかはどうにかしなければならない問題だ。ルナ、キリカ、リアム君。そしてリュミエール君。しばらくの間、君たちに任せるぞ」
◇ ◇ ◇
翌日から、ギルドロビー脇の柱に簡易時計が据え付けられた。木製の盤面は三分割され、「依頼」「素材」「報告」の文字を一本の針が指す。少なくとも、この街には細かな時刻を意識する慣習がない。
ロビーには用件別の列が三本設けられ、それぞれの入口には番号札が配置された。カウンター上には新たに鐘が吊るされている。
朝は鐘一回――依頼受付。
昼は鐘二回――素材買取。
夕方は鐘三回――報告と精算。
『Mr.オズワルド、通常であればまず小規模な試験運用から始めるべきです』
「うまくいきますかね……」
横で様子を見ていたルナが心配そうに呟く。
「ルナ、ときには考える前に走れ、だ」
『技術者がそれを言う場合、経験上あまり良い結果にはなりません』
初日は案の定、混乱を呈した。
「鐘は一回です! 今は依頼受付の窓口を増やしています!」
「えっ、じゃあ素材は次の鐘まで売れないのか?」
「売れます! 素材列の番号札を取って、あちらでお待ちください!」
リュミエールが番号札を握り締め、声を張る。
カウンターの傍らではキリカが腕を組み、列へ割り込もうとした冒険者を睨みつけていた。
「な、なんで俺を見るんスか……」
「番号見せなさい。順番を守れないなら、あたしが番号順に殴るから」
「すみませんした!」
割り込んでいた数人が慌てて最後尾へ退散すると、列の後方から怯えた声が聞こえた。
「おい、あれ『千里眼の守銭奴』だぞ……」
「目をつけられたら報酬をふんだくられる……」
あいつ、なんて異名で呼ばれてるんだ……。
三度目の鐘が鳴るころには、番号札を取り、列に並んで呼ばれるのを待つ流れも浸透し始めていた。
数日もすれば、新しい決まりも皆が従ううちに説明のいらない手順へ変わっていく。新しい仕組みに不慣れな人間が、数日後にはその仕組みを知らない相手に「番号を取れ」と教えているのだから、慣習というものは案外こういう具合に出来上がっていくのかもしれない。
「次は何の鐘だ?」
「素材だ。飯を食ってから戻れば、ちょうどいいな」
『平均待ち時間、二十四分。制度導入前比、約四五パーセント減少』
◇ ◇ ◇
「……こんなふうに一日が終わるの、いつぶりだろ」
リュミエールがぽつりと零す。その声音には、微かな達成感が滲んでいる。窓口の営業が終わったギルド。テーブルの上には新しい日程表と番号札が置かれていた。
「今日、ちゃんと途中で息をつく時間がありましたね」
ルナが安堵したように微笑む。
気づけば、リュミエールの目尻にはうっすらと涙が滲んでいた。
「ここ数日、怒鳴られる回数も減って……。昼も、ちゃんと座ってご飯を食べられて……明日もちゃんと、ここに座ってていいんだって、思えるようになって……それだけで、こんなに嬉しいなんて」
話しているうちに、リュミエールの目尻に溜まっていた涙が頬へ落ちた。
昼飯を座って食べられるとか、翌日も同じ場所に出勤していいと思えるとか、元の世界ではそんなもの当たり前で、労働環境の改善として意識することさえなかった。
休憩時間は勤務計画のなかに最初から組み込まれ、翌日の配置も端末を見ればわかる。作業員がそこにいていいかどうかを本人が毎晩心配する必要などないようにシステムそのものが作られていた。
考えてみれば、そういう当たり前をわざわざありがたがらなくて済むこともまた、ずいぶん贅沢なことだったのかもしれない。
「ちょ、ちょっと、泣くほどのこと?」
「ルナちゃんも、キリカも……リアムさんも……本当に、ありがとうございます……」
「ったく、泣き虫ね、アンタは」
キリカがリュミエールの肩を抱き寄せる。彼女は何度も何度も頭を下げた。
オズワルドは少し離れた柱に寄りかかり、その光景を眺めながら欠伸を噛み殺す。ギルドホールへ冷たい夜風が流れ込むと、カウンターの上にある鐘が微かな音を立てた。
ちりん――。
『効率化の目的は、人間の負担を軽減することです。それを忘れると、手段が目的にすり替わります』
かつて、とある女性がオズワルドに「人間は最適化するものじゃない」と教えてくれた。その言葉を忘れ、宇宙船の機体格納庫で追求していたものは、常に最大効率だった。
「こう見ると、人間の回りくどい感情も、長い目で見れば効率がいいのかもしれないな」
『評価保留。……ですが、リュミエール・ノア氏のストレスを契機とした業務改善は、統計的にも有意です。時間割は前時代的で非効率ですが、悪くない手法でした』
番号を書いた木札を配って人間が鐘を鳴らすなどという仕組みは、馬鹿らしいほど原始的なものだった。
とはいえ、それでひとりの職員が昼飯を座って食べられるようになったのだから、少なくとも今回に関して言えば、あの女性が言っていたことに近い方法だったのかもしれない。




