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EP.10 魔法の解析と非効率な受付

 夜の冷気が薄れ、東の空の藍色が、緩慢に橙へ侵食されていく。人影のない街道に、オズワルドの足音だけが響いていた。この世界へ漂着して、すでに二十日ほどが経つ。


『心拍数、目標レンジ内。酸素飽和度、問題なし。筋肉疲労レベル、中等度』


 額の汗を拭い、呼吸を整える。 血中ナノマシン、AUREX(オーレックス)・Layer(レイヤー)がもたらす「安楽」に慣れきっていた頃を思い出し、苦笑した。


『血中AUREX-M残存量、ゼロ。残りカートリッジは三本です』


 残るAUREXは三本。あれは生きて帰る可能性を高める安全弁であって、日常から負荷を排除するためのドーピングではない。左鎖骨の下に触れると、直径一センチほどのシリコン製リングが指先へ異物感を返した。

 AUREXポート。

 ナノマシンの注入口。現在、血中にナノマシンは残留していない。


「……Exion(エクシオン)のマニュアル操作は?」

『戦闘時にはAUREX-Mが必須です。ただし現在の想定戦闘強度であれば、自動操縦(オートパイロット)と現地戦力で対処可能と判断します』


 低重力と元来の基礎体力だけでも、相応の優位(アドバンテージ)はある。いざとなればAUREXを打てばいい――そんな安易な思考は持つべきではない。


「軍用拳銃(アクィラ)も残弾が有限だ。この世界の武器を習得しておく必要があるな」

『賛同します』


 街の北門で門番へ軽く顎をしゃくり、中へ入る。街中にはなお、夜の残滓(ざんし)めいた薄闇が漂っていた。パン屋の煙突から白煙が上がり、屋台を組む木槌の音と、商人たちの声が徐々に街を覚醒させていく。 ギルドまで来たところで、隣接する空き地に微かな光が瞬いた。



     ◇     ◇     ◇



「――以上が創世十環(そうせいじっかん)です」

『新規データ。タグ創世十環神話を登録しました』


 エルウィンが本を閉じる。ルナとエルウィンは、毎朝こうして魔法の鍛錬を重ねているらしい。


「ではルナ、リアム殿にも分かるように『環(わ)』の説明を」

「わ、私ですか!?」


 ルナは眼鏡を押し上げると、俄かに表情を引き締め、オズワルドへ向き直った。


「ええと……神話に出てくる“輪っか”を、人間が真似したのが魔法の環です。環ひとつで一つの力の巡りを扱います。二の環なら二つ、三の環なら三つ。そんなふうに、頭の中で環を増やすほど一度に扱えるちからも増えていくんです」

「ちからの巡り、ね」

「熱、重さ、流れの勢い、元素の相(そう)……そういう理(ことわり)です。ただ、環が増えるほど必要な魔力も、術者の精神(こころ)への負担も大きくなります」


 ルナが指先でそっと眼鏡を押し上げ、小さく咳払いして補足する。


「ちなみに、第四環位は人間が到達できる限界だという方もいます」

「じゃ、その基礎から。エジュ(一の)・アズェン(環)・イグナ(炎)を」


 エルウィンに促され、ルナは空き地の中央で杖を構えた。


「エジュ(一の)・アズェン(環)・イグナ(炎)――シェルア(灯りを伴う)・イグナ(焔よ)、リュゼ(揺らめきて)・セリエ(集い)、エン(我が)・ラズナ(杖先に)・アシェレ(輝く)、ニェ(小さき)・イグナ(炎と)・メレ(なれ)――ニェグナ(灯火の小炎)!」


 杖先に、蝋燭ほどの炎が灯る。


『解析。詠唱による制御対象は「温度」「位置」「出力」の三要素。自由度を限定することで、意図しない現象への分岐を抑制しています』


 炎を消したルナは安堵の息を漏らしながらも、どこか誇らしげな表情を浮かべた。


「ルナの詠唱は長いですが、そのぶん無駄が少ない。イメージを細かく分解するので、長い詠唱ほど効率が上がるタイプです」


 エルウィンが説明を補足する。


「少ない魔力で、最大限の効果を引き出すスタイル、ってことか?」

「はいっ!」


 ルナがぱっと顔を明るくした。


「で、ATHENA。魔法の解析結果は?」

『暫定解析。術者の「魔力」は生体由来の未知場と推定します。神経活動との相関が強く、意識によって状態遷移(せんい)を誘導可能。周辺空間にも同種、あるいは類似した未知場が存在する可能性があります。詠唱は、その遷移経路を限定する制御プロトコルと推定します』


 オズワルドは眉間を指で押さえた。


「要するに魔力は身体から生じる未知の力で、頭の中のイメージで性質を変えられる。詠唱はそれを狙った形に固定するための手順ってことか」

『概(おおむ)ねその通りです』


 アインシュタインもまた、光を追走する自分を想像するという思考実験から、相対性理論へ至る認識を深めた。魔法も純粋な情景として生まれ、論理があとからついてきたのかもしれない。


 ギルドへ戻ると朝の受付はすでに混乱を極めていた。少なくともこの街へ来て以来、今朝が最もひどい。


 依頼受付と素材売却の列が入口近くまで伸び、その隙間を荷車を押した商人が半ば強引に通過していく。右では冒険者が報酬額を巡って声を荒らげ、左では新人らしい男が半泣きで何度も頭を下げていた。


『平均待ち時間、四十三分。苦情発生率、前日比十二パーセント増加。総合評価――非効率』


 カウンターの向こうでは、受付嬢たちが書類と硬貨を絶え間なく処理している。この世界には整理券も予約端末もない。二十二世紀の窓口とは比較にもならないほど原始的だが、列に並ぶ人々の表情には妙な既視感があった。どうやら、待機時間に対する人間の不満は、文明段階を超えて普遍(ふへん)的らしい。



     ◇     ◇     ◇



 ルナはパンを千切り、頬張った。ギルドホールの片隅。木の机に薄いスープと固いパンが並ぶ。

 ルナとリアム、それにキリカ。

 そして、栗色の髪を三つ編みにまとめた彼女はまるで時間から取り残されたみたいに同じ姿勢のまま瞬きも忘れている。リュミエール・ノア。受付嬢でキリカの友人。この街へ来たリアムの冒険者登録を担当した受付嬢の妹だ。


「……もう、やめたいんです」


 リュミエールがぽつりとこぼす。その声は目の前の冷めたスープと同じくらい温度を失っているように思えた。


「朝から晩までずっと怒鳴られて。書き間違えたら怒られて、間違えなくても怒られて。夜になっても、明日の依頼が山みたいに残ってて……」


 言葉が途切れた瞬間、彼女の肩が震え、


「計算している途中で、『おいまだか!』って怒鳴られると……それで数字が飛んじゃって……。静かならできるのに、私、ダメなんです……。こ、この仕事、向いてないのかなって……最近ずっと考えてて。お姉ちゃんにも、ギルド長にも、まだ言えてないんですけど」


 横に座るキリカがすぐに腕を回す。


「アンタがいなかったら、とっくにこのギルド潰れてるわよ!」

「そ、そうですよ。昨日の精算の修正だって、他の人じゃ到底……」


 必死に言葉を探す。でも、うまい言葉は浮かばなかった。泣いちゃうくらいだから辛かったよね。どうにかしてあげたいけど……。

 リュミエールは申し訳なさそうに笑ってみせたが、その目はどう見ても晴れていない。


 キリカはリアムへ目配せをする。いくらリアムとはいえ、神様じゃない。できることと、できないことがある。

 リアムはしばらくして、視線をリュミエールからロビーの方へ向けた。


「……何事もほどほどが大事だ。働きづめじゃ人間は壊れる。だからって働かなきゃ生きていけない。結局、『これくらいなら明日もやれる』ってところに落ち着けないと、幸せを感じる余裕なんて残らない」

「アンタ、たまに良いこと言うわねっ」


 キリカが呆れたように笑い、すぐ真顔に戻って続けた。


「で、どうにかしてあげられないの? あたしの友達が毎日胃を痛めて働いてるんだけど!」


 ルナも真っ直ぐにリアムを見つめる。すると、彼は両手を軽く広げて諦めたように口を開いた。


「はぁ……分かった」

「え?」

「とりあえず何か考えてみる」


 言って、彼はその日の午後からギルドの受付を観察し始めた。


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