第4話:鮮やかなる破産宣告
「アイラ! よくも私を騙してくれたな! 今すぐその不当な契約を破棄し、我が元へ戻るがいい!」
アスラン公爵邸の豪奢な応接室。そこに不作法に怒鳴り込んできたのは、私の元婚約者であるアラン王太子だった。
その姿にかつての華やかさはなく、目の下には酷いクマが刻まれ、衣服もどこかみすぼらしい。新しい愛人に見栄を張るため、実体のない宝石鉱山への投資にのめり込んだ結果、国庫はおろか自身の財政まで完全にショートさせてしまったのだ。
「……何事だ」
応接室の温度が、物理的に氷点下へと叩き落とされる。
私の隣に座っていたクロード公爵が立ち上がった。その氷色の瞳には、戦場をも凍らせる冷徹な殺気が宿っている。愛する妻(と彼が本気で思っている私)を侮辱され、彼の腰の長剣がチャリ、と不穏な音を立てた。
「我が妻の領域を汚す不届き者め。ここで肉片に変わるか、王太子」
「ひっ……! ?」
アランが悲鳴を上げて数歩後退る。
クロード公爵が物理的に消し飛ばそうとするのを、私はスッと手を挙げて制止した。
「閣下、お待ちになって。暴力による解決は、我が公爵家の社会的信用を毀損いたしますわ。……不良債権の処理は、データとロジックで行うのが鉄則です」
私は上品に微笑み、あらかじめ用意しておいた分厚い書類の束を、机の上にドンと叩きつけた。
「お久しぶりですわ、アラン殿下。責任転嫁のために怒鳴り込むとは、実に見苦しい。殿下が破滅の危機に瀕しているのは、私のせいではなく、殿下ご自身が『サンクコストの罠』に綺麗に嵌まったからに他なりませんわ」
「サ、サンクコストだと……! ?」
アランが動揺に顔を歪める。私は冷徹なコンサルタントの目で、彼を真っ直ぐに見据えた。
「人間は、すでに支払ってしまい二度と戻ってこない金銭や時間、労力を惜しむあまり、『ここでやめたら今までの投資が無駄になる』という心理的錯覚を起こします。そして、さらに損失を拡大させるドブへの投資を続けてしまう。──殿下が買い漁った無価値な宝石山が、まさにそれですわ」
「うるさい! あの山には眠れる鉱脈がある! あと金貨一万枚を補填すれば、必ず莫大な利益が戻ってくるはずなのだ!」
「投資の世界において『はず』などという希望的観測はただの幻想です。はい、こちらがその宝石山の地質調査データ、および殿下の現在の負債比率、キャッシュフローの予測グラフですわ」
私は書類をめくり、容赦のない赤字だらけのグラフをアランの目の前に突きつけた。
「殿下はすでに、戻らない過去の投資額に執着し、現在の意思決定を誤った。底の抜けたバケツに水を注ぎ続けた結果、殿下の個人資産は完全に破綻。明日の朝には、大貴族で作る査問会と王立銀行から公式に財産差し押さえと爵位剥奪の宣告が下されますわ」
「ば、バカな……! そんなはずは……! 私は王太子だぞ! ?」
「可視化された現実をご覧になってもまだ認められませんか ? たとえ王族と言えども貴族たちを無視して何でも好き勝手にできるわけではありませんのよ。殿下は経済的に、そして社会的に、完全に『詰んで』おりますの」
私の容赦のない論理的制裁に、アランはがたがたと震え、書類を握りしめたままその場にへたり込んだ。自らの愚かさを精緻な数字で証明され、言い返す言葉すら失ったのだ。彼は警備兵によって、文字通り引きずられるようにして連行されていった。
「……見事な手際だったな、アイラ」
アランが去った後、クロード公爵が感嘆したように私を見つめた。その瞳には、深い愛おしさと尊敬の色が混ざり合っている。
私はホッと息を吐き、ソファに深く腰掛けた。
「これで、私の『ベルンシュタイン公爵家としての社会的リスク』の排除、およびアスラン公爵家のブランド防衛という目的は、すべて達成されましたわ」
「ああ。君のおかげで、我が家の価値もこれ以上ないほど高まった」
クロード公爵が私の隣に座り、私の手をそっと両手で包み込む。
その手の温もりが、アランとのディベートで昂っていた私の心を、じんわりと物理的に融かしていくようだった。
「……アイラ。これで、君を脅かす障壁はすべて消え去ったな」
「はい。殿下の破産により、すべてのプロジェクトは予定通り完了です」
私は満足げに微笑んだ。だが、クロード公爵の表情は、どこか酷く寂しげに曇っていく。
彼は私の手を握る力を、ほんの少しだけ強めた。
「……プロジェクトが、完了した、ということは……」
「ええ。契約書通り、私たちの『1年間の有期業務委託(契約結婚)』は、これにて満了。解散手続きへと移行しますわ」
当初の予定通りに「最適解」を口にしたはずだった。
それなのに、なぜだろう。私の胸の奥が、まるで重大な計算ミスを犯したかのように、激しく締め付けられて痛むのだった──








