第95話 居場所
夏祭りの喧騒から少し離れた教会の中庭。
バザーも一段落し、栞は商品の補充へ向かっていた。
その間、正義と凪は飲み物を取りに来ていた。
そこへ真理亜が静かに歩み寄る。
「少し、お話ししてもいいかしら」
「はい」
二人は揃って頷いた。
真理亜は栞の姿を見つめながら、小さく微笑む。
「あの子、元気そうで安心したわ」
その笑顔は優しい。
けれど、どこか切なさも滲んでいた。
正義は意を決して口を開く。
「一つ、お聞きしてもいいですか」
「もちろん」
「さっき……栞さん、お姉さんを見た時、少し怯えたように見えました」
真理亜は少し目を伏せる。
「……そう見えたのね」
短い沈黙。
やがて真理亜は静かに話し始めた。
「栞はね」
「私が怖いんじゃないの」
「私を見ると、昔を思い出してしまうのよ」
凪が不思議そうに首を傾げる。
「昔?」
真理亜は静かに頷く。
「私たちの両親は、とても厳しい人だったの」
「私は勉強も運動も、何でも人並み以上にはできた」
少しだけ苦笑する。
「自慢じゃないけどね」
「ありがたいことに、周りから褒めてもらえることも多かった」
その表情は、嬉しそうではなかった。
「だから両親は、いつも栞を私と比べてしまったの」
『真理亜はできるのに』
『どうしてあなたはできないの』
『お姉ちゃんを見習いなさい』
「そんな言葉を、何度も聞いて育ったわ」
正義は思わず息を呑む。
凪も俯いた。
「……そんな」
真理亜は静かに首を横へ振る。
「でもね」
「栞は決して才能がない子じゃないの」
「むしろ、その逆よ」
「ただ、不器用なの」
「何でも器用にこなせるタイプじゃない」
「だから人の何倍も努力するの」
真理亜は優しく微笑んだ。
「みんなは栞を見て、『何でもできる人』だと思うでしょう?」
「でも、本当は違う」
「あの子は、人一倍努力して、努力して、努力して……。」
「ようやく今の栞になったの」
正義の脳裏に、栞の姿が浮かぶ。
誰よりも早く教会へ来る姿。
誰よりも最後まで後片付けをする姿。
誰よりも人のために動く姿。
(そうだったのか……。)
真理亜は遠くで子どもたちと笑い合う妹を見つめる。
「だから高校へ入ってからの栞を見た時、本当に安心したの」
「あんなに自然に笑っている栞を、私は初めて見た」
その声は、姉としての優しさに満ちていた。
「エンジェル部に入ってから、あの子は変わった」
「自分を認めてくれる仲間ができて」
「必要としてくれる人たちがいて」
「心から笑えるようになった」
真理亜は静かに言う。
「エンジェル部はね」
「あの子にとって、初めて見つけた居場所なの」
正義は思わず栞へ視線を向ける。
子どもたちと笑い合い、お客さんへ優しく声を掛ける栞。
その笑顔は作り笑いではない。
本当に幸せそうだった。
「だから……」
真理亜は正義と凪を真っ直ぐ見つめる。
「お願い」
「栞の居場所を、なくさないであげて」
凪は力強く頷いた。
「任しといてください!」
「あたしら、仲間やから!」
正義も静かに頷く。
「はい」
「僕たちも、この場所が大好きです」
「だから、栞さんの笑顔は僕たちが守ります」
真理亜は安心したように微笑んだ。
「ありがとう」
「その言葉が聞けて、本当に安心したわ」
その時、遠くから栞の声が聞こえる。
「桜木君!」
「凪ちゃん!」
「休憩終わりですよ!」
「はーい!」
二人は元気よく返事をする。
正義は立ち上がり、もう一度だけ栞を見つめた。
(エンジェル部が……。)
(栞さんにとって、一番大切な居場所。)
その言葉が、胸に深く刻まれる。
だからこそ。
この場所を守りたい。
栞の笑顔を守りたい。
その想いは、この夏の日、正義の胸に静かに芽生え始めていた。




