第88話 夏祭り
花火大会当日。
夏祭りの会場近くの駅前。
正義は待ち合わせ場所で、二人を待っていた。
祭囃子が遠くから聞こえ、浴衣姿の人々が次々と会場へ向かっていく。
「もう始まってるんだな……」
そんなことを呟いた、その時だった。
「正義ー!」
元気いっぱいの声が響く。
振り返ると、凪が大きく手を振りながら駆け寄ってきた。
「待った?」
「いえ、今来たところです」
浴衣姿の凪は、昼間とはまた違う雰囲気だった。
弾けるような笑顔が、夕暮れの光に照らされて一段と眩しく見える。
(やっぱり、よく似合ってるな……)
その時。
「お待たせしました」
優しい声が聞こえた。
振り返ると、白地に朝顔模様の浴衣をまとった栞が立っていた。
今日は髪をすっきりと結い上げている。
普段は隠れている白いうなじが目に入り、正義は思わず息を呑んだ。
(……綺麗だ。)
水着を選んだ時にも浴衣姿は見たはずなのに。
髪型が違うだけで、こんなにも印象が変わるものなのか。
(凪さんは笑顔が眩しくて。)
(栞さんは……いつもより少し大人っぽい。)
(……いやいやいや!)
(僕は何を真面目に見惚れてるんだ!)
慌てて視線を逸らす。
その様子に気付いた栞が首を傾げた。
「桜木君?」
「何をそんなに見ているんですか?」
「えっ?」
正義の肩がびくっと跳ねる。
「い、いえ!」
「何でもありません!」
凪がにやりと笑った。
「ほんまに?」
「なんか見惚れとったように見えたけど?」
「ち、違います!」
「祭りの雰囲気を見ていただけです!」
苦しい言い訳だった。
栞はくすっと笑う。
「そういうことにしておきます」
正義は心の中で胸を撫で下ろした。
(危なかった……。)
「よーし!」
凪が拳を突き上げる。
「屋台巡りや!」
三人は賑やかな夏祭りの会場へ足を踏み入れた。
すると――。
「あっ!」
「たこ焼き!」
凪が一直線に屋台へ駆け出す。
「三人前ください!」
「凪さん!」
数分後。
「うまっ!」
「やっぱ祭りのたこ焼きは最高や!」
幸せそうに頬張る凪。
しかし、それでは終わらない。
「あっ!」
「イカ焼き!」
「焼きそば!」
「チョコバナナ!」
屋台を見付けるたびに吸い寄せられていく。
正義は呆れたようにため息をついた。
「凪さん。」
「食べ過ぎですよ。」
凪はチョコバナナを片手に笑う。
「祭りやで?」
「食べな損やん!」
「さっきも同じこと言ってましたよね」
栞も思わず笑う。
「ふふっ。」
「凪ちゃんらしいですね」
その時だった。
「あっ!」
「金魚すくいです!」
今度は栞が屋台の前で立ち止まる。
「久しぶりです」
「挑戦してもいいですか?」
店主が笑顔で頷いた。
「もちろん!」
栞は真剣な表情でポイを受け取る。
「そーっと……」
水面へ近付ける。
ぴちゃっ。
「あっ……」
破れた。
「もう一回!」
ぴちゃっ。
「あっ……」
三回目。
四回目。
全部失敗だった。
栞は少し肩を落とす。
「難しいですね……」
その様子を見ていた正義が笑う。
「貸してください」
「桜木君?」
正義は新しいポイを受け取り、水の流れをじっと見つめた。
ゆっくりと近付き、
そっと持ち上げる。
一匹の金魚が水面から顔を出した。
「わぁ!」
栞が思わず声を上げる。
「すごいです!」
店主も笑う。
「兄ちゃん、うまいな!」
店主は金魚を袋へ入れて手渡した。
正義はその袋を見つめ、少し考える。
「すみません。」
「この金魚、返してもいいですか?」
店主は少し驚いた顔をした。
「え?」
正義は優しく笑う。
「家で飼える環境がありませんし……」
「せっかくなら、この子もここにいた方が幸せかなと思って」
店主は一瞬きょとんとした後、大きく笑った。
「あっはっは!」
「そんなこと言う子、初めてや!」
「もちろんええよ」
「ありがとな」
店主は金魚を優しく水槽へ戻した。
栞はその様子を見て、穏やかに微笑む。
「桜木君らしいですね」
「そうでしょうか」
「はい」
「とても優しいと思います」
正義は少し照れくさそうに頭を掻いた。
その時。
「正義!」
「りんご飴!」
「早よ!」
凪が屋台の向こうから大きく手を振っている。
正義は思わず笑った。
「今行きます!」
三人の笑い声が祭囃子に溶け込んでいく。
夏の夜。
浴衣姿で歩いた屋台道。
何気ない一つひとつの出来事が、三人にとって忘れられない思い出になっていくのだった。




