第7話 勉強を教えて
日向夏凪がエンジェル部へやって来た翌日。
放課後。
正義は机へ突っ伏していた。
理由は目の前にある。
教科書。
ノート。
問題集。
そして元気いっぱいの京都娘。
「というわけで勉強会や!」
凪が高らかに宣言する。
「どういうわけだ」
正義は顔も上げずに返した。
「昨日言うたやろ」
「テストが危険なんや」
「補習だけは嫌やねん」
「知ってる」
「だったら協力してや」
「嫌です」
即答だった。
凪は露骨に顔をしかめる。
「冷たっ!」
「面倒だから」
「正直過ぎひん?」
正義は肩を竦めた。
そもそも仮入部である。
勉強を教える義理はない。
そう思っていた。
「栞ぉ~」
凪は助けを求めるように栞を見る。
「正義が冷たい」
「元からですよ」
栞はにこやかに答えた。
全くフォローになっていない。
「ひどっ!」
凪が机へ突っ伏した。
その姿を見ながら栞は小さく笑う。
「でも正義君」
「困っている人なんですから」
「少しくらい協力してあげてもいいじゃないですか」
「便利な言葉ですね」
「何がですか?」
「困っている人」
栞はきょとんとした。
正義はため息を吐く。
この部長は本気で言っている。
だから厄介だった。
「人助けです」
栞は微笑む。
「エンジェル部ですから」
その言葉に正義は黙る。
反論できない。
入部した以上、活動には付き合うべきなのだろう。
納得はしていないが。
「で」
正義は問題集を手に取った。
「どの辺が分からないんですか」
すると凪は胸を張る。
「全部や」
沈黙。
「全部?」
「全部や」
「全部?」
「全部や」
正義は栞を見た。
栞も困ったように笑っている。
どうやら誇張ではないらしい。
「得意科目は?」
栞が尋ねる。
「体育やな」
「教科で」
「体育や」
「教科で」
「体育や」
正義は頭を抱えた。
思った以上だった。
「よくこの学校入れましたね」
正義が呆れたように言う。
聖フェリス学園高等学校は県内でも有数の進学校だ。
それなりの学力がなければ入学できない。
だからこそ不思議だった。
すると凪は胸を張る。
「失礼やな」
「うちは初等部からのエスカレーターやねん」
「ああ」
正義は納得した。
「聖女ですね」
栞が微笑む。
「聖女?」
正義は首を傾げた。
栞が説明する。
「聖フェリス学園はミッションスクールなんです」
「初等部から中等部、高等部、大学まであります」
「その中で初等部からずっと在籍している生徒は、学園の伝統で特別な呼び方をされるんですよ」
「男子は『聖人』」
「女子は『聖女』です」
「へぇ」
正義は興味なさそうに頷いた。
「ちなみに私は高校からの入学なので違います」
「そうなんですか」
「はい」
栞は少し照れたように笑う。
「受験、頑張りました」
「でしょうね」
正義は素直に納得した。
栞はそういう人間に見える。
真面目に努力して、きちんと結果を出す。
そんなタイプだ。
「つまりウチは由緒正しき聖女や」
凪は胸を張った。
「せや」
「誇り高き聖女様や」
「由緒正しきアホ聖女ですね」
「誰がアホや!」
「数学三十点」
「うっ」
「英語二十八点」
「やめて!」
「国語三十一点」
「死体蹴りや!」
凪が机へ突っ伏した。
栞は思わず吹き出す。
「正義は外部入学やろ?」
凪が顔だけ上げる。
「まあ」
「進学校の試験突破したん?」
「した」
「じゃあ何で留年寸前なんや」
正論だった。
正義は少しだけ視線を逸らす。
「サボったから」
「アホや」
「お前に言われたくない」
即答だった。
栞の笑い声が部室へ響く。
気付けば。
静かだったエンジェル部の部室は、少しずつ賑やかになり始めていた。
「実際どのくらい危ないんですか」
栞が尋ねる。
すると凪は珍しく真面目な顔になった。
「今回のテストで赤点増えたら補習や」
「夏休み前から先生に言われとる」
「ほんまに崖っぷちなんや」
それは確かに深刻だった。
凪は机に額を押し付ける。
「補習だけは嫌や……」
「夏休み潰れる……」
その気持ちだけは正義も理解できた。
「それは嫌ですね」
「やろ!?」
初めて意見が一致した。
凪の顔がぱっと明るくなる。
正義は問題集を開いた。
ノートを見る。
テスト範囲を見る。
そして。
「……なるほど」
「どうしたん?」
「思ったより酷い」
「そんな真顔で言う!?」
凪の悲鳴が部室へ響いた。
栞が吹き出す。
凪が抗議する。
正義は容赦なく問題点を指摘する。
気付けば静かだった部室は賑やかになっていた。
少し前まで部員一人だった部活とは思えないほどに。
「じゃあ今日は数学からやりましょう」
栞が言った。
「頑張りましょう」
「おー!」
凪が元気よく手を挙げる。
「帰りたい」
正義だけがやる気を失っていた。
だが。
結局その日、最後まで席を立つことはなかった。
こうしてエンジェル部初の勉強会が始まったのである。




