第75話 それぞれの人生
炊き出しも一段落し、会場には穏やかな時間が流れていた。
冷やしうどんを食べ終えた利用者たちは、お茶を飲みながら談笑している。
エンジェル部の三人も、それぞれ利用者たちの輪へ加わった。
「ごちそうさま」
「美味しかったよ」
「ありがとうございます」
栞は笑顔で頭を下げる。
「こちらこそ、ありがとうございました」
「皆さんに喜んでいただけて嬉しいです」
凪も楽しそうに利用者たちと話していた。
「兄ちゃん、高校生なんやって?」
「はい!」
「夏休み満喫しとるか?」
「毎日ボランティアやけど、めっちゃ楽しいで!」
その明るい返事に、周りから笑い声が上がる。
一方、正義は一人の男性の隣へ腰を下ろした。
「高校生か」
「はい」
男性は優しく微笑む。
「若い頃は、わしも高校卒業してすぐ働いたんや」
「家族を養うためにな」
正義は静かに耳を傾ける。
「仕事は大変やったけど、家へ帰れば家族がおる」
「それだけで頑張れた」
少し間を置いて、男性は穏やかに続けた。
「でも人生は、思うようにはいかんもんや」
「病気になったり、仕事を失ったり」
「気付いたら、一人になっとった」
その口調は静かだった。
悲しみを語るというより、長い人生を振り返るようだった。
「それでも、人との繋がりだけは大事にしてきた」
「今日みたいに話し相手がおるだけで、嬉しいもんや」
正義はゆっくりと頷いた。
「ありがとうございます」
「お話を聞かせていただいて」
少し離れた場所では、栞も一人の女性と話していた。
「主人を亡くしてから、一人で食事をすることが増えたの」
「だから今日は、皆さんと一緒にご飯が食べられて嬉しかったわ」
栞は優しく微笑む。
「私たちも、ご一緒できて嬉しかったです」
凪も年配の男性と楽しそうに笑っている。
「昔は大工やったんや」
「この辺の家も何軒か建てたで」
「すごいやん!」
「街を歩いたら、自分の仕事が今でも残っとるんやな」
「そう思うと、ちょっと誇らしいわ」
その笑顔は、とても輝いていた。
正義は会場を見渡す。
そこにいる人たちは皆、それぞれ違う人生を歩んできた。
嬉しかった日もあれば、苦しかった日もある。
家族を守り続けた人。
仕事に人生を懸けた人。
大切な人との別れを経験した人。
誰一人として、同じ人生はなかった。
帰り道。
正義が静かに口を開く。
「今日来るまでは……」
「炊き出しを必要としている人、としか考えていませんでした」
栞と凪が足を止める。
「でも違いました」
「皆さん、それぞれの人生を歩いてきた一人ひとりなんですね」
栞は穏やかに頷いた。
「だから私は、お話を聞く時間も大切にしたいと思っているんです」
「相手を知ることも、奉仕の一つですから」
凪も静かに笑う。
「同じ人生なんて、一つもないもんな」
「せやから、おもろいし、大切なんやな」
夏空を見上げる正義の表情は、どこか穏やかだった。
今日出会った人々には、それぞれの人生があった。
その重みを知った一日は、三人にとって忘れられない学びとなった。




