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第49話 託された鍵

 部室には静かな空気が流れていた。


 栞の話を聞き終えた正義と凪は、しばらく何も言えなかった。


「……ええ先輩やったんやな」


 凪がぽつりと呟く。


「はい」


 栞は懐かしそうに微笑んだ。


「私の憧れの人達でした」


 正義は静かに尋ねる。


「その先輩達は、今は?」


「卒業しました」


 栞は小さく頷く。


「卒業式の日のことは、今でも忘れられません」


 そう言って、ゆっくりと話し始めた。


 卒業式が終わった放課後。


 エンジェル部の部室には、三年生の先輩三人と栞だけがいた。


 いつもは賑やかな部室。


 けれど、その日だけはどこか静かだった。


 卒業証書を抱えた三人は笑っていた。


 それでも、その笑顔の奥には別れの寂しさが滲んでいた。


『一年って本当にあっという間だったね』


 一人の先輩が笑う。


『栞ちゃん、最初は全然喋ってくれへんかったもんね』


『でも今は立派なエンジェル部員や』


 三人が笑う。


 栞もつられて笑った。


 でも。


 胸の奥は少し苦しかった。


 もう明日から、この部室に先輩達はいない。


 そう思うだけで涙が込み上げてくる。


『ほらほら』


『泣かないの』


 部長が優しく笑った。


 そして机の引き出しを開ける。


 取り出したのは一本の鍵だった。


 銀色の小さな部室の鍵。


『はい』


『今日から栞ちゃんが部長』


「えっ……」


 栞は思わず目を見開く。


『む、無理です』


『私なんかに部長なんて……』


『まだ一年生ですし』


 何度も首を横に振る。


 すると副部長が笑った。


『だから任せたいんやん』


 もう一人の先輩も優しく頷く。


『栞ちゃんやったら大丈夫』


『私ら三人ともそう思っとる』


 栞は受け取れなかった。


 自信がなかった。


 一人で部を続けられる気がしなかった。


 その時だった。


 部長が鍵を両手で包むように持ち、静かに言った。


『お願い』


『この部を残してほしい』


 その一言だった。


 部室が静まり返る。


『誰かを助けたいって思う人は、きっとこれからも必要やから』


『一人でもええ』


『小さな活動でもええ』


『だから、この部をなくさないで』


 栞は涙を堪えながら鍵を受け取った。


『……はい』


 その返事だけで精一杯だった。


 三人の先輩は優しく笑う。


『ありがとう』


『任せたよ、部長』


 その笑顔を。


 栞は今でも忘れられない。


「それが」


 栞は静かに胸元へ手を添えた。


「私が部長になった日です」


 部室は静まり返っていた。


「卒業した後は」


「部員は私一人になりました」


「同級生も入らなくて」


「後輩も入らなくて」


 それでも。


 栞は毎日部室へ来た。


 地域清掃。


 募金活動。


 老人ホームへの慰問。


 一人でもできる活動は続けた。


 いつか誰かが入ってくれると信じて。


「だから」


 栞はゆっくりと部室を見回した。


「この部は、私にとってただの部活じゃないんです」


「先輩達から受け継いだ、大切な場所なんです」


 正義は静かに古びた部室を見渡す。


 古い机。


 色褪せた棚。


 何気ない景色。


 けれど栞には違う。


 ここには。


 三人の先輩から託された願いがある。


 だから彼女は、一人になっても部を守り続けてきたのだ。


 正義は小さく息を吐いた。


「なるほど」


 ぽつりと呟く。


「だから、あの時」


「廃部だけは嫌だったんですね」


 栞は静かに頷いた。


「はい」


「約束しましたから」


 その笑顔は穏やかだった。


 けれど、その瞳には誰よりも強い覚悟が宿っていた。


 正義はそんな栞を見つめる。


 エンジェル部を守りたい理由。


 その重さが、ようやく少しだけ分かった気がした。

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