第48話 憧れ
翌日。
放課後。
エンジェル部の部室には穏やかな時間が流れていた。
昨日までとは違う。
重苦しい空気はもうない。
窓から吹き込む夏風が、部室を心地よく通り抜けていく。
正義は本を読んでいる。
凪は宿題と睨めっこをしている。
栞は活動日誌を整理していた。
しばらく静かな時間が流れる。
やがて。
正義が本を閉じた。
「そういえば」
栞と凪が顔を上げる。
「昨日は僕ばかり話しましたね」
栞は少しだけ首を傾げた。
「そうですね」
「栞さんも聞かせてください」
「エンジェル部に入った理由を」
栞は少し驚いたような表情を浮かべる。
そして照れくさそうに笑った。
「面白い話じゃありませんよ?」
「それでも」
正義は静かに言う。
「聞いてみたいです」
栞は少し考えた後、小さく頷いた。
「分かりました」
そう言って話し始める。
「高校へ入学したばかりの頃の私は」
「今よりもっと人見知りでした」
凪が驚く。
「えっ?」
「栞が?」
「信じられへん」
栞は苦笑した。
「友達もほとんどいませんでした」
昼休みは一人。
本を読んで過ごす毎日。
部活動にも入らず。
誰かへ話しかける勇気もなかった。
「そんなある日の放課後でした」
廊下を歩いていると。
一人の女子生徒が笑顔で声を掛けてきた。
『こんにちは』
『部活は決まった?』
初対面だった。
それなのに。
まるで昔から知り合いだったような笑顔だった。
『まだなら一緒に来ない?』
「その人がエンジェル部の部長でした」
栞は懐かしそうに微笑む。
「半分強引に連れて行かれたんです」
凪が笑う。
「栞も強引に勧誘されたんや」
「そうみたいです」
正義も少しだけ笑った。
どこか自分と重なる。
「最初はボランティアなんて興味ありませんでした」
栞は続ける。
「でも」
初めて参加した活動は地域清掃だった。
暑い夏の日。
河川敷のゴミ拾い。
汗だくになりながら歩いた。
正直、大変だった。
けれど。
帰り際。
散歩をしていたおばあさんが笑顔で言ってくれた。
『ありがとうね』
たった一言。
それだけだった。
「すごく嬉しかったんです」
栞は優しく笑う。
その後も。
老人ホームを訪問した。
一緒に歌を歌い。
昔話を聞き。
笑顔で手を握ってもらった。
募金活動では。
『頑張ってね』
そう言って募金してくれる人がいた。
誰も見返りなんて求めていなかった。
活動が終わるたび。
先輩はいつも笑っていた。
『ありがとうって言われるためにやるんじゃないよ』
『困っている人が少しでも笑顔になってくれたら、それで十分だから』
「その言葉を聞いた時」
栞は静かに言う。
「すごい人だなって思いました」
誰かのために動く。
見返りを求めない。
当たり前のように優しくできる。
そんな姿に憧れた。
「だから私は」
栞は部室を見渡した。
「この部が好きになりました」
「そして」
「いつか私も先輩みたいになりたいと思ったんです」
部室は静まり返る。
正義は何も言わない。
ただ静かに栞を見ていた。
ようやく分かった。
竜胆栞という少女が。
どうしてここまでエンジェル部を大切にしているのか。
それは部活動だからではない。
誰かから受け取った優しさを。
今度は自分が誰かへ繋いでいきたい。
そんな願いが、この部には込められていたのだ。
正義は小さく息を吐く。
「なるほど」
それだけ呟いた。
栞は微笑む。
「笑われると思っていました」
「いえ」
正義は首を横に振った。
「栞さんらしいと思いました」
一瞬。
栞は目を丸くする。
そして。
少し照れたように笑った。
部室に、穏やかな夏の風が吹き抜けた。




