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第47話 それでも

 部室には静かな空気が流れていた。


 夕日が窓から差し込み、室内を赤く染めている。


 誰もすぐには口を開かなかった。


 正義の話は終わった。


 裁判官だった父。


 冤罪事件。


 マスコミ。


 誹謗中傷。


 いじめ。


 転校。


 想像していたよりもずっと重い話だった。


 凪は珍しく黙り込んでいる。


 栞も机へ視線を落としていた。


「……きついな」


 しばらくして凪が呟く。


 正義は肩を竦めた。


「昔の話ですよ」


「昔やから何やねん」


 凪は眉をひそめる。


「嫌なもんは嫌やろ」


 正義は何も答えなかった。


 代わりに窓の外を見る。


 夕暮れの空。


 グラウンドから聞こえる掛け声。


 どこか遠いものを見るような目だった。


 栞はそんな正義を見つめる。


 そして静かに口を開いた。


「それでも」


 正義が顔を上げる。


 栞は真っ直ぐ彼を見ていた。


「私は人を信じます」


 部室が静まり返る。


 昨日の続きだった。


 信用するか。


 しないか。


 正義は少しだけ目を細める。


「そうですか」


 否定もしない。


 肯定もしない。


 ただ静かに返した。


「はい」


 栞は頷く。


「もちろん裏切られることもあります」


「騙されることもあります」


「傷付くこともあります」


 穏やかな声だった。


 けれど迷いはない。


「でも私は信じたいんです」


 正義は黙って聞いている。


「正義君のお父様は正しかったんですよね」


 その言葉に正義の表情が僅かに動く。


「証拠を見て」


「事実を見て」


「無罪判決を出した」


「それは正しいことだったんですよね」


「……そうですね」


 正義は小さく頷いた。


 栞は微笑む。


「だったら私はそういう人を信じたいです」


 正義は言葉を失う。


 栞は続ける。


「確かに世間は間違えました」


「マスコミも間違えました」


「学校の人達も間違えました」


 そこで一度言葉を切る。


「でも」


「だからって全員が同じじゃないと思うんです」


 静かな声だった。


 説得ではない。


 否定でもない。


 ただ彼女自身の答えだった。


「私は信じます」


「困っている人も」


「頑張っている人も」


「正しいことをしようとしている人も」


「それで裏切られてもですか」


 正義が尋ねる。


「はい」


 即答だった。


 迷いはない。


 正義は思わず苦笑した。


「損な性格ですね」


「よく言われます」


 栞も笑った。


 凪がそこで口を開く。


「うちは難しいこと分からへんけどな」


 二人が振り向く。


「正義の言うことも分かる」


 凪は頭を掻いた。


「実際ひどい目に遭っとるし」


 正義は黙る。


「でも」


 凪は続けた。


「全部信用せえへんのも寂しいやん」


 その言葉に正義は少しだけ目を伏せた。


 凪は笑う。


「信用できる奴だけ信用したらええんちゃう?」


 あまりにも凪らしい答えだった。


 栞が吹き出す。


 正義も思わず笑った。


「単純ですね」


「せやろ?」


「褒めてません」


「知っとる」


 三人の間に小さな笑いが生まれる。


 重かった空気が少しだけ和らいだ。


 価値観は違う。


 考え方も違う。


 それでも。


 不思議と居心地は悪くなかった。


 正義は窓の外を見る。


 夕日はもう沈みかけている。


 栞の言葉が頭に残っていた。


 それでも信じる。


 自分には理解できない考え方だった。


 けれど。


 少しだけ羨ましいとも思った。


 そんな風に真っ直ぐ人を信じられることが。


「正義君」


 栞が呼ぶ。


「何ですか」


 栞は穏やかに微笑んだ。


「私は信じていますからね」


「何をですか」


「正義君をです」


 一瞬。


 正義は言葉を失った。


 凪がにやりと笑う。


「おー」


「聞いたか正義」


「聞こえてます」


 正義はため息を吐く。


 だが。


 不思議と嫌な気分ではなかった。


 夕暮れの部室。


 三人の価値観は違う。


 それでも。


 少しずつ互いを理解し始めていた。


 それはきっと。


 本当の意味で仲間になるための第一歩だった。

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