第45話 信用
翌日。
放課後。
エンジェル部の部室には、いつもの三人が集まっていた。
窓の外では運動部の掛け声が聞こえる。
夕日が差し込み、部室を橙色に染めていた。
正義は窓際で本を読んでいる。
栞は活動記録をまとめている。
凪は机に突っ伏していた。
「暇や……」
凪が呻くように言った。
「活動してください」
正義が本から目を離さずに返す。
「何かないん?」
「ありません」
「エンジェル部やのに?」
「平和なのは良いことです」
栞が微笑んだ。
「問題が起きないのが一番ですよ」
「それはそうやな」
凪は頷く。
「学級裁判みたいなんはもう勘弁や」
その言葉に栞も苦笑した。
あの事件は終わった。
だが、思い出したい出来事でもなかった。
「でもさ」
凪が言う。
「結局うちら、正義のこと信じとったやん」
正義の手が少しだけ止まる。
「そうですね」
栞は頷いた。
「私は最初から無実だと思っていました」
「うちもや」
凪が胸を張る。
「こいつ性格悪いけど泥棒はせえへん」
「褒めてませんよね」
「褒めてへん」
即答だった。
栞が吹き出す。
正義はため息を吐いた。
「それでな」
凪が続ける。
「ふと思ったんやけど」
「何ですか」
「正義って人信用するん?」
何気ない質問だった。
だが。
正義はすぐには答えなかった。
栞も手を止める。
「私はします」
栞が先に答えた。
「人をですか?」
「はい」
迷いのない返事だった。
「もちろん裏切られることもあります」
「騙されることもあります」
「でも」
栞は穏やかに笑う。
「それでも私は人を信じたいです」
栞らしい答えだった。
「凪は?」
正義が聞く。
「うち?」
凪は少し考える。
「信じるで」
そして、あっさりと言った。
「せな生きていけへんやろ」
栞が小さく笑う。
凪らしい答えだった。
「家族も友達も先生も」
「全部疑っとったら疲れるやん」
「なるほど」
正義は小さく頷く。
そして。
二人の視線が自然と正義へ向いた。
「正義君は?」
栞が尋ねる。
部室が静かになる。
窓の外から聞こえる運動部の声だけが響いていた。
正義はしばらく黙っていた。
やがて。
本を閉じる。
そして静かに言った。
「信用なんて期待の別名です」
一瞬。
部室の空気が止まった。
「え?」
凪が目を瞬く。
栞も言葉を失う。
正義は淡々と続けた。
「信用するから裏切られる」
「期待するから失望する」
「最初から期待しなければ傷付かない」
静かな口調だった。
感情的ではない。
怒っているわけでもない。
ただ。
それが当然であるかのように話していた。
「……」
栞は思わず黙り込む。
凪も何も言えない。
今までの正義なら、
皮肉を言う。
面倒そうにする。
適当に流す。
だが今の言葉は違った。
そこには確かな実感があった。
まるで。
何度も裏切られてきた人間の言葉だった。
「そんな考え方」
凪がぽつりと呟く。
「しんどないか?」
正義は少しだけ笑った。
自嘲するような笑みだった。
「便利ですよ」
「また便利言うとる」
「便利ですから」
凪は納得していない顔だった。
栞も同じだった。
何か理由がある。
そう感じた。
こんな考え方をするようになった理由が。
「何かあったんですか?」
栞が静かに尋ねる。
正義は少しだけ目を伏せた。
そして。
「別に」
いつもの言葉を返した。
だが。
今度の「別に」は明らかに違っていた。
本当に何もない人間の言葉ではない。
何かを隠している人間の言葉だった。
凪と栞は顔を見合わせる。
無理には聞かない。
けれど。
いつか聞いてみたいと思った。
正義が何を見てきたのか。
なぜそんな考え方になったのか。
夕日がゆっくりと沈んでいく。
部室には静かな空気が流れていた。
そして。
二人は初めて知った。
桜木正義という人間が、自分たちの想像以上に深い傷を抱えていることを。
それは。
彼の過去へ続く入り口だった。




