第44話 いつもの部室
学級裁判事件から数日後。
聖フェリス学園高等学校には、ようやく平穏な日常が戻っていた。
二年二組もいつも通りである。
修学旅行代紛失事件。
学級裁判。
最終公判。
あれだけ騒がしかった出来事も、今では少しずつ過去の話になりつつあった。
そして放課後。
エンジェル部の部室。
「それでな」
凪が机に頬杖をつきながら話している。
「小学校の修学旅行で奈良行ったんやけど」
「鹿せんべい持っとったら鹿に囲まれてな」
「めっちゃ怖かったんや」
「それは自業自得では?」
栞が即座に返す。
「せやろか」
「せやと思います」
凪が笑う。
栞も笑った。
窓際では正義が本を読んでいる。
いつもの光景だった。
「正義」
凪が声を掛ける。
「何ですか」
「鹿どう思う?」
「知りません」
「聞く相手間違えたわ」
凪は即座に諦めた。
栞が吹き出す。
「正義君らしいですね」
「褒めてませんよね」
「褒めてません」
即答だった。
部室に笑い声が響く。
少し前までなら考えられない光景だった。
学級裁判事件を経て、三人の距離は確実に縮まっている。
以前より自然に話せるようになっていた。
「そういや」
凪がふと思い出したように言う。
「何ですか」
「うちら結構仲良うなったやん」
「そうですね」
栞も頷く。
「毎日会っていますし」
「せやろ?」
凪は正義を見る。
「でも正義って自分の話せえへんな」
正義の動きが少しだけ止まった。
「そうですか?」
栞が首を傾げる。
そして少し考える。
「あ」
「本当ですね」
「せやろ?」
凪は頷いた。
「うちは京都出身やし」
「栞は岐阜やん」
「そうですね」
栞は微笑む。
「岐阜です」
「高校受験でこちらへ来ました」
「うん」
凪が頷く。
「知っとる」
そして。
二人の視線が同時に正義へ向いた。
「何ですか」
嫌な予感しかしなかった。
「正義は?」
凪が聞く。
「三重です」
即答だった。
「おお」
「初情報や」
「それだけですか?」
「それだけちゃうやろ」
凪が身を乗り出す。
「家族とか」
「趣味とか」
「好きな食べ物とか」
「好きな人とか」
「最後いらんやろ」
正義は即座に突っ込んだ。
「気になるやん」
「気になりません」
「栞は?」
突然振られた栞が固まる。
「えっ?」
「そ、その……」
少しだけ視線を泳がせる。
「気になります」
「ほら」
凪が勝ち誇ったように言った。
正義はため息を吐く。
「別に話すことありませんよ」
「絶対あるやろ」
「ありません」
「ある」
「ありません」
小学生みたいな言い合いだった。
栞が思わず笑う。
「でも確かに」
「正義君のこと、あまり知らないかもしれません」
正義は黙った。
それは事実だった。
今まで聞かれなかったわけではない。
話さなかっただけだ。
「秘密主義やなぁ」
凪が言う。
「別に秘密じゃありません」
「じゃあ教えてや」
「嫌です」
「やっぱ秘密やん」
凪が笑う。
正義は再び本へ視線を落とした。
だが。
なぜだろう。
以前ほど不快ではなかった。
二人になら話してもいいのかもしれない。
そんな考えが一瞬だけ頭をよぎる。
もちろん口には出さない。
「正義君」
栞が呼ぶ。
「何ですか」
「いつか聞かせてくださいね」
穏やかな声だった。
正義は少しだけ視線を逸らす。
「気が向いたら」
それだけ答える。
凪が目を丸くした。
「おっ」
「今の正義にしては大進歩やな」
「そうなんですか?」
栞が笑う。
「前なら即拒否や」
「否定できませんね」
三人の笑い声が部室に響く。
夕日が窓から差し込んでいた。
穏やかな放課後だった。
まだ誰も知らない。
この何気ない会話が。
正義の過去へ繋がる最初の一歩になることを。
そして。
三人がお互いをもっと知るきっかけになることを。




