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第26話 ごめん

 翌日。


 二年二組のホームルーム。


 教室にはどこか落ち着かない空気が流れていた。


 数日前のリレー騒動。


 あれ以来、クラスの空気は少しだけぎこちない。


 誰も凪を責めてはいない。


 だが、理由が分からないまま終わったことで、皆どこか気になっていた。


 凪は自分の席に座っていた。


 心臓がうるさい。


 体育祭の話を聞くより緊張している気がする。


 それでも逃げない。


 昨日、自分で決めたのだから。


 やがて担任の松田が教室へ入ってきた。


「それじゃあホームルームを――」


「先生」


 凪が立ち上がった。


 教室が静まり返る。


 松田も少し驚いた顔をした。


「どうした?」


 凪は小さく息を吸う。


 そして教室を見渡した。


 見慣れたクラスメイト達。


 毎日顔を合わせている仲間達。


 だからこそ怖かった。


 けれど。


 もう逃げたくなかった。


「この前のリレーのことや」


 静かな声だった。


「みんなに話したいことがある」


 誰も口を挟まない。


 凪は拳を握った。


「ウチな」


 一度言葉を切る。


「心臓病なんや」


 教室が静まり返った。


 予想していなかったのだろう。


 誰も言葉を発しない。


 凪は続けた。


「小さい頃から持っとる病気で」


「去年、陸上の練習中に倒れた」


「それで医者に言われたんや」


 少し苦笑する。


「競技レベルの運動は禁止やって」


 誰も喋らない。


 ただ黙って聞いている。


「だから陸上辞めた」


「リレーも走れへん」


 凪は視線を落とした。


「みんなが応援してくれとったんは分かっとる」


「期待してくれとったんも分かっとる」


「でも言えへんかった」


 胸の奥が少し痛む。


「ごめん」


 その一言が教室に響いた。


 沈黙。


 長い沈黙だった。


 やがて。


「……ごめん」


 一人の男子生徒が口を開いた。


 リレーを推薦していた生徒だった。


「俺達、全然知らなかった」


 別の生徒も続く。


「無理させてたんだな」


「ごめん」


「本当に知らなかった」


 次々と声が上がる。


 責める声は一つもない。


 あるのは申し訳なさそうな顔ばかりだった。


 凪は少し驚いた。


 もっと気まずくなると思っていた。


 もっと変な空気になると思っていた。


 だが違った。


「気にせんでええよ」


 凪は笑った。


「みんな知らんかっただけやし」


 その言葉に教室の空気が少し和らぐ。


「でもさ」


 一人の女子生徒が言った。


「ちゃんと言ってくれて良かった」


 凪が目を瞬かせる。


「言ってくれなかったら分からなかったし」


「そうそう」


「むしろ話してくれてありがとう」


 ありがとう。


 その言葉に凪は驚いた。


 謝られると思っていた。


 同情されると思っていた。


 だが返ってきたのは感謝だった。


 胸の奥にあった重たいものが、少しだけ軽くなる。


 その時だった。


「そういえば」


 一人の男子が言った。


「桜木」


 教室中の視線が正義へ向く。


 正義は本から顔を上げた。


「お前、知ってたんだろ?」


「知ってました」


 短い返事だった。


「だからあの時止めたのか」


「そうです」


 それだけだった。


 教室は静かになる。


 やがて男子生徒が頭を掻いた。


「悪かった」


「お前にも」


 正義は少しだけ驚いた顔をする。


 だがすぐに視線を本へ戻した。


「別に」


 いつもの返事だった。


 けれど。


 その声は少しだけ柔らかかった。


 ホームルーム終了のチャイムが鳴る。


 教室に普段のざわめきが戻ってくる。


 凪はゆっくりと席へ腰を下ろした。


 大きく息を吐く。


 肩の力が抜けていく。


「終わったぁ……」


 思わず本音が漏れた。


 前の席から栞が振り返る。


「お疲れ様です」


 優しく微笑む。


 正義は何も言わない。


 ただ本を読んでいる。


 けれど。


 それで十分だった。


 誤解は解けた。


 逃げるのもやめた。


 そして初めて。


 この問題は本当の意味で終わったのだった。

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