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第25話 勇気

 翌日の放課後。


 エンジェル部の部室には穏やかな空気が流れていた。


 昨日。


 凪は初めて本当の理由を打ち明けた。


 心臓病のこと。


 陸上を辞めたこと。


 今でも走りたいと思っていること。


 重たい話だった。


 けれど不思議と、三人の間にあった壁は少し薄くなったような気がしていた。


 凪は窓の外を眺める。


 グラウンドでは体育祭へ向けた練習が続いていた。


 運動部の掛け声。


 ホイッスルの音。


 笑い声。


 それらを聞きながら、凪は小さく息を吐く。


「どうしたんですか?」


 栞が声を掛けた。


「んー」


 凪は曖昧に笑う。


「クラスのこと考えとった」


 昨日のホームルーム。


 正義が口を挟んだことで、リレーの話は一旦止まった。


 だが問題が解決したわけではない。


 クラスメイト達は理由を知らない。


 だから今もどこか気まずいままだ。


「嫌われたかなぁ」


 ぽつりと漏らす。


 栞は少し驚いた顔をした。


「そんなことありませんよ」


「そうやろか」


「そうです」


 栞は優しく微笑む。


「皆さん、日向夏さんを責めていたわけじゃありません」


「ただ知らなかっただけです」


 凪は黙る。


 それは分かっている。


 クラスメイト達に悪気はなかった。


 期待してくれていただけだ。


 だからこそ、自分も断れなかった。


「でもなぁ」


 凪は苦笑した。


「今さら病気ですって言うのもなぁ」


 特別扱いされるのは嫌だった。


 同情されるのも好きではない。


 だから今まで黙ってきた。


 栞は少し考える。


 そして静かに言った。


「逃げなくていいと思います」


 凪が振り返る。


 栞は真っ直ぐこちらを見ていた。


「逃げる?」


「はい」


 栞は頷く。


「日向夏さんは優しいです」


「だから自分だけ我慢すればいいって思っている」


「でも」


 一度言葉を切る。


「それは少し違うと思うんです」


 部室が静かになる。


「ちゃんと話した方がいいと思います」


「皆さんに」


 凪は視線を落とした。


 怖い。


 その一言に尽きる。


 病気のことを話すのは怖い。


 周りの目が変わるのも怖い。


 これまで隠してきたことを打ち明けるのは、想像以上に勇気がいる。


「……怖いで」


 小さな声だった。


 栞は否定しない。


「怖いですよね」


「私でも怖いです」


 凪は少し驚く。


「栞でも?」


「もちろんです」


 栞は照れ臭そうに笑った。


「でも」


「怖いからって何も言わなかったら、もっと苦しくなると思うんです」


 その言葉は静かだった。


 けれど不思議と胸に響いた。


 凪は窓の外を見る。


 空は青かった。


 体育祭の準備に忙しそうな生徒達の姿が見える。


 少し前までなら、自分もあの中にいたはずだった。


 そう思うと胸が痛む。


 その時だった。


「言えばいいでしょう」


 正義が本から顔も上げずに言った。


 二人が振り返る。


「簡単に言うなや」


 凪が呆れる。


「簡単です」


「簡単ちゃう」


 即答だった。


 正義はようやく顔を上げる。


「嫌だったんでしょう」


「困ってたんでしょう」


「だったら言えばいいです」


 相変わらずだった。


 慰めもない。


 気の利いた言葉もない。


 だが嘘もない。


 凪はしばらく正義を見つめる。


 そして苦笑した。


「ほんまにな」


「何ですか」


「不器用や」


「よく言われます」


 即答だった。


 栞が思わず吹き出す。


 凪も笑った。


 気付けば肩の力が抜けていた。


 ずっと抱えていたものが、少しだけ軽くなった気がする。


「……しゃあないな」


 凪が立ち上がる。


 二人が顔を上げた。


「ちゃんと話すわ」


 静かな声だった。


 けれど確かな決意があった。


「自分のことやし」


「自分の口で言わなあかん」


 栞の顔がぱっと明るくなる。


「応援します」


「失敗したら笑ってな」


「笑いません」


「真面目やなぁ」


 凪は苦笑した。


 だがその表情は昨日までよりずっと晴れていた。


 明日のホームルーム。


 そこで全てを話そう。


 怖い。


 それでも。


 もう逃げない。


 凪は窓の外の空を見上げる。


 その胸には、確かな勇気が芽生え始めていた。

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