第24話 本当の理由
翌日の放課後。
エンジェル部の部室には、どこか気まずい空気が流れていた。
昨日の出来事が原因である。
ホームルームでの一件。
そしてその後の口論。
正義と凪は互いに普段通りを装っていたが、栞には分かっていた。
明らかに何かあったのだと。
「……」
「……」
二人とも妙に静かだった。
正義は本を開いている。
凪は窓の外を眺めている。
普段ならどちらかが何か言い出すのに、今日は誰も口を開かない。
さすがに耐えられなくなったのか、栞が小さくため息を吐いた。
「喧嘩しました?」
直球だった。
凪が顔を逸らす。
正義はページをめくる。
「してません」
「してへん」
二人同時だった。
「嘘ですね」
栞も即答した。
部室が静まり返る。
数秒後。
凪が観念したように頭を掻いた。
「まあ、ちょっとな」
「ちょっとじゃないでしょう」
正義がぼそりと言う。
「うるさい」
凪が睨む。
栞は困ったように笑った。
そして真面目な顔になる。
「昨日のことです」
二人の視線が集まる。
「正義君は何か知っていたんですよね?」
正義はしばらく黙った。
だが、やがて本を閉じる。
「知っていました」
「日向夏の病気のことです」
栞の表情が固まった。
「病気……?」
凪は小さく息を吐く。
いつかは話さなければならないと思っていた。
ただ、その日が思ったより早く来ただけだ。
「心臓病やねん」
静かな声だった。
栞は目を見開く。
「小さい頃からな」
凪は窓の外を見る。
グラウンドでは陸上部が練習していた。
その光景を見つめながら、ゆっくりと話し始める。
「昔はそこまで酷くなかったんや」
「薬飲みながら走っとったし」
少し笑う。
「先生にも親にも怒られたけどな」
「それでも走る方を選んだ」
走ることが好きだった。
陸上が好きだった。
大会が好きだった。
仲間が好きだった。
だから続けた。
ずっと。
「でも去年」
凪の声が少しだけ小さくなる。
「練習中に倒れた」
栞が息を呑んだ。
「病院運ばれて」
「先生に言われたんや」
凪は苦笑する。
「もう無理やって」
競技レベルの運動は禁止。
激しい運動は禁止。
続ければ危険。
医師の診断だった。
「だから退部した」
簡単な言葉だった。
けれど、その決断がどれほど辛かったのかは、その横顔を見るだけで伝わってくる。
部室に沈黙が落ちる。
窓の外では陸上部員たちが走っていた。
風を切る音。
掛け声。
スタートの合図。
その全てを、凪は静かに見つめている。
「今でもな」
ぽつりと呟く。
「走りたい」
その言葉に栞は胸が締め付けられた。
「走りたいんや」
凪は笑った。
泣きそうな笑顔だった。
「アホやろ?」
誰も答えられない。
諦めたはずなのに。
もう走れないと分かっているのに。
それでも好きだから。
忘れられないから。
その気持ちが痛いほど伝わってきた。
栞は俯く。
しばらくして、小さく口を開いた。
「知りませんでした」
「言うてへんしな」
凪は苦笑する。
「ごめんなさい」
栞は頭を下げた。
「私、何も知らないまま無理に聞こうとしていました」
凪は少し驚いた顔をした。
そして優しく笑う。
「栞は悪くない」
「悪いのは病気や」
冗談めかして言う。
けれど、その言葉には少しだけ本音も混じっていた。
その時だった。
「だから腹が立ったんです」
正義が静かに言った。
二人が振り返る。
「何とかなるって言うから」
正義は窓の外を見る。
「何ともならないのに」
凪が目を丸くする。
「無理なのに笑って」
「平気なふりして」
「全部一人で抱え込もうとするから」
正義らしい言葉だった。
不器用で。
優しくなくて。
でも嘘がない。
「だから放っておけなかった」
部室が静かになる。
凪はしばらく黙っていた。
やがて小さく笑う。
「ほんま不器用やな」
「よく言われます」
即答だった。
栞が吹き出す。
凪も笑う。
正義だけが不思議そうな顔をしている。
昨日までの重たい空気が、少しだけ和らいだ気がした。
初めて三人で本音を共有した日。
そして。
エンジェル部が、少しだけ本当の仲間になった日だった。




