第17話 頑張ったご褒美
中間テスト返却日の放課後。
エンジェル部の部室には、いつも以上に明るい空気が流れていた。
理由はもちろん一つ。
日向夏凪が補習を回避したからである。
「生き残った……」
凪は椅子へ深く腰掛けながら呟いた。
「奇跡や……」
「努力の結果ですよ」
栞が微笑む。
「いや、奇跡や」
「数学五十二点やで?」
「危なかったですね」
「危なかったわぁ……」
凪は遠い目をした。
あと数点低ければ補習だった。
本当に紙一重である。
正義は呆れたようにため息を吐いた。
「毎回その話ですか」
「する」
凪は即答した。
「今日はする」
「補習回避記念日やから」
「そんな記念日はありません」
「今できたんや」
強かった。
補習回避の力は偉大である。
「そういえば」
凪がふと思い出したように顔を上げる。
「二人の点数、ちゃんと聞いてへん」
「ああ」
栞が頷く。
「そうでしたね」
「竜胆は絶対高いやろ?」
「普通ですよ?」
そう言いながら答案を差し出す。
凪は受け取った。
そして固まった。
数学九十八点。
英語百点。
国語九十七点。
理科九十九点。
社会九十八点。
「どこが普通や!!」
部室に絶叫が響いた。
栞がびくりと肩を震わせる。
「満点じゃないので……」
「九十八点で普通言うたらあかん!」
「じゃあ優秀ですか?」
「人間か!?」
凪は本気で叫んだ。
栞は本気で不思議そうな顔をしている。
どうやら自覚はないらしい。
「さすが竜胆ですね」
正義も素直に感心した。
「ありがとうございます?」
なぜか疑問形だった。
続いて凪は正義を見る。
「桜木は?」
「普通です」
答案を見せる。
数学七十八点。
英語八十二点。
国語七十五点。
理科八十点。
社会七十六点。
凪はしばらく眺めた。
「普通やな」
「普通ですね」
栞も頷く。
本当に普通だった。
悪くない。
だが飛び抜けてもいない。
「じゃあ何で留年寸前なん?」
「出席日数です」
「ああ」
一瞬で納得された。
正義は少しだけ納得いかない顔をした。
そんな時だった。
栞が何かを思い付いたように手を叩く。
「あ」
「どうしました?」
正義が尋ねる。
栞は少し嬉しそうに言った。
「お祝いしましょう」
一瞬。
部室が静かになる。
「お祝い?」
凪が聞き返した。
「はい」
栞は頷く。
「日向夏さん、頑張りましたから」
「せっかくですし、何か食べに行きませんか?」
凪の目が輝いた。
「行く」
即答だった。
「まだ話終わってません」
「行く」
やはり即答だった。
正義はそんな二人を眺める。
「僕帰るんですが」
「駄目です」
栞が即答した。
「何でですか」
「正義君も勉強会頑張りましたから」
「巻き込まれただけです」
「連帯責任やな」
凪が頷く。
「意味分かりません」
だが結局。
断り切れなかった。
三人は揃って商店街へ向かうことになる。
夕暮れの商店街は賑やかだった。
「まずはたこ焼きやな」
凪が言った。
正義は少し意外そうな顔をする。
「日向夏さんって関西人なんですね」
一瞬。
凪の動きが止まった。
「……は?」
「いや」
正義は首を傾げる。
「関西弁ですし」
「たこ焼き好きみたいですし」
「関西人かなと」
凪は額へ手を当てた。
そして深いため息を吐く。
「失礼やなぁ……」
「何ですか」
「うちも」
凪は自分を指差した。
「父さんも」
「母さんも」
「京都の洛中出身や」
胸を張る。
「生粋の京都人やで」
「そうなんですか」
「そうなんですかやあらへん!」
凪が抗議する。
「何やと思っとったんや!」
「関西人」
「京都も関西や!」
「あ」
正義が固まった。
栞が思わず吹き出す。
「ふふっ」
「確かにそうですね」
「竜胆まで笑わんといて!」
凪は頭を抱えた。
「まあ、五歳くらいの時にこっち引っ越してきたけどな」
「じゃあほとんどこっち育ちでは?」
正義が冷静に言う。
「うっ」
凪が言葉に詰まる。
「でも京都人や!」
「そこは譲らないんですね」
「譲らへん!」
即答だった。
三人は笑いながらたこ焼き屋へ向かう。
そして熱々のたこ焼きを頬張った瞬間。
「うま……」
凪が幸せそうに目を細めた。
「補習回避して良かった……」
「そこへ戻るんですね」
「人生で大事なことや」
その後も。
クレープを食べ。
駄菓子屋へ寄り。
懐かしいお菓子を見つけて盛り上がる。
気付けば時間はあっという間に過ぎていた。
最後に立ち寄ったのはゲームセンターだった。
「おおー!」
凪が目を輝かせる。
「久しぶりやわ」
三人でクレーンゲームを眺める。
その途中。
「見てください」
栞が小さなぬいぐるみを抱えていた。
「取れました」
「おお!」
凪が拍手する。
「すごいやん!」
「三回で取れました」
少し得意そうだった。
その姿が妙に可笑しくて。
凪が吹き出した。
そして。
正義も思わず笑った。
一瞬。
二人が止まる。
「今笑ったやろ」
凪が指差す。
「笑いましたね」
栞も言う。
「笑ってません」
「笑った」
「笑いました」
「気のせいです」
正義は顔を逸らした。
だが耳が少し赤い。
二人は顔を見合わせる。
そして同時に笑い出した。
正義はため息を吐く。
だが。
不思議と嫌な気分ではなかった。
夕暮れの商店街。
騒がしい二人。
くだらない会話。
少し前までの自分なら想像もしなかった時間だった。
気付けば。
放課後に帰る場所ができていた。
話す相手ができていた。
笑うことも増えていた。
それはきっと。
悪いことではないのだろう。
そんなことを思いながら。
三人は夕暮れの商店街を歩いていく。
補習回避のお祝いは、大成功だった。
そして――
エンジェル部の三人にとって初めての「ただ楽しいだけの放課後」は、夕焼けと笑い声の中で静かに幕を下ろしたのだった。




