第16話 結果発表
中間テスト返却日。
二年二組の教室には、いつもとは違う緊張感が漂っていた。
いや。
正確には一人だけである。
教室の中央。
日向夏凪が小刻みに震えていた。
「終わった……」
朝から何度目か分からない呟きだった。
「まだ返ってきてませんよ」
栞が苦笑する。
「返ってくるから終わったんや……」
「理論が分かりません」
「ウチにも分からへん……」
凪は机へ突っ伏した。
完全に現実逃避である。
一方。
栞はいつも通りだった。
落ち着いている。
緊張している様子もない。
そして正義もいつも通りだった。
本を読んでいる。
「桜木」
凪が顔だけ上げる。
「何ですか」
「怖くないん?」
「別に」
「人の心ないんか」
「あります」
即答だった。
凪は絶望した。
同じ高校生とは思えない。
そんなやり取りをしているうちにホームルームの時間になる。
担任の松田が教室へ入ってきた。
その手には分厚い答案の束。
凪の顔色がさらに悪くなる。
「よし」
松田は教卓へ答案を置いた。
「返却する」
教室中から嫌そうな声が漏れる。
凪もその一人だった。
「嫌やぁぁぁ……」
「うるさい」
松田が即座に切り捨てる。
そして答案返却が始まった。
最初は数学。
凪にとって最大の難関である。
「日向夏」
「はい……」
返事に元気がない。
死刑宣告を待つ囚人のようだった。
答案を受け取る。
恐る恐る点数を見る。
そして。
「……」
固まった。
「日向夏さん?」
栞が心配そうに声を掛ける。
凪は無言で答案を見せた。
五十二点。
一瞬。
栞の顔が明るくなる。
「赤点じゃありません!」
「生きた……」
凪は机へ崩れ落ちた。
まだ一教科である。
だが大きな一歩だった。
続いて英語。
五十一点。
国語。
五十四点。
理科。
五十点。
社会。
五十三点。
どれも危険だった。
本当に危険だった。
だが。
一つも落ちていない。
全教科五十点以上。
補習回避。
完全生還である。
「すごいです!」
栞が嬉しそうに言う。
「全部赤点回避ですよ!」
凪は答案を見つめる。
何度も見直す。
夢じゃない。
見間違いでもない。
本当に全部五十点以上だった。
「……」
凪は黙った。
そして。
「うわぁぁぁぁぁん!」
突然泣き出した。
教室中の視線が集まる。
「日向夏?」
「どうした!?」
「誰か死んだ?」
クラスメイトたちがざわつく。
だが凪は止まらない。
「補習回避できたぁぁぁ!」
「良かったな!」
「ありがとう世界ぃぃぃ!」
盛大だった。
涙と鼻水で大変なことになっている。
クラスメイトたちは呆れていた。
「そこまで喜ぶか普通」
「いや、日向夏なら分かる」
「確かに」
妙に納得されていた。
栞はそんな凪を見ながら微笑む。
「良かったですね」
「栞ぃぃぃ!」
凪が抱き付こうとする。
「泣きながら来ないでください!」
栞が慌てて避ける。
教室に笑いが起きた。
その時だった。
「そういえば」
凪が涙を拭きながら言う。
「二人の点数は?」
一瞬。
教室の空気が変わった。
栞は少し困ったように笑う。
「普通ですよ」
「絶対嘘や」
凪が答案を覗き込む。
そして固まった。
「九十八点?」
「九十七点?」
「九十九点?」
ほとんど満点だった。
「人間か!?」
思わず叫ぶ。
教室が笑いに包まれる。
栞は恥ずかしそうに頬を掻いた。
「ケアレスミスです」
「そのレベルで言うな!」
凪は本気で叫んだ。
続いて正義を見る。
「桜木は?」
「普通です」
答案を見せる。
七十点台。
八十点台。
たまに九十点前後。
良くも悪くも普通だった。
「安心した……」
「何でですか」
「人類やったから」
「失礼ですね」
正義は呆れた。
だが凪は本気だった。
栞の点数を見た後では、正義の成績が妙に親近感のあるものに見えたのである。
その様子を見ながら。
正義は小さく息を吐いた。
少しだけ安心していた。
勉強会を続けた意味があった。
逃げずに頑張った結果が出た。
それが素直に嬉しかった。
「桜木ぃぃぃ!」
今度は凪がこちらへ突撃してくる。
「ありがとう!」
「近いです」
「補習回避した!」
「知ってます」
「生きてる!」
「大袈裟ですね」
正義は呆れたように言った。
だが。
口元は少しだけ緩んでいた。
凪は気付かなかった。
栞も気付かなかった。
けれど。
それで良かった。
教室には笑い声が響いている。
凪は泣いている。
栞は笑っている。
そんな賑やかな光景を眺めながら。
正義は思う。
こういう結果なら。
あの勉強会も悪くなかったのかもしれない。
そんなことを考えたのだった。




