第154話 父と娘
前日の夜。
栞は何度もスマートフォンを見つめていた。
深呼吸を一つ。
意を決して父へ電話を掛ける。
数回の呼び出し音の後、聞き慣れた低い声が聞こえた。
「栞か」
「お父様」
栞は姿勢を正す。
「明日、お時間をいただけませんか」
「お話があります」
短い沈黙。
やがて正宗が静かに答えた。
「明日は土曜日だ」
「家にいる」
「分かった」
それだけだった。
「ありがとうございます」
電話は静かに切れた。
栞はスマートフォンを胸へ抱き締める。
「……よし」
もう逃げない。
そう、自分へ言い聞かせた。
◇
翌日。
土曜日。
栞は電車に揺られていた。
窓の外を流れる景色をぼんやりと眺める。
(何て伝えよう)
(ちゃんと話せるかな)
(お父様は、私の話を聞いてくださるだろうか)
何度も頭の中で言葉を整理する。
鼓動だけが少しずつ速くなっていく。
緊張していた。
それでも。
もう逃げるつもりはなかった。
やがて見慣れた道を歩く。
その先に見えてきたのは、竜胆家。
長い石畳。
美しく手入れされた日本庭園。
堂々とした和風建築の大邸宅。
竜胆家の歴史と格式を感じさせる屋敷だった。
栞は門をくぐる。
玄関の扉が開く。
「お嬢様!」
使用人たちは驚いた表情を浮かべた。
「突然のお帰りとは」
栞は小さく頭を下げる。
「お父様はいらっしゃいますか」
「はい」
「書斎でお仕事をされております」
「ありがとうございます」
栞は静かに廊下を歩き始めた。
一歩進むたびに、胸の鼓動が大きくなる。
やがて。
書斎の前で足を止めた。
コンコン。
「お父様」
「栞です」
「入りなさい」
落ち着いた声が返ってくる。
栞は静かに扉を開いた。
広い書斎。
本棚には経営書や法律書が整然と並び、大きな机の向こうには父・竜胆正宗が座っていた。
正宗は手元の書類を閉じ、静かに栞へ視線を向ける。
「話とは何だ」
栞は小さく息を吸った。
今までなら。
ここで俯いていただろう。
父の言葉に従い、自分の気持ちを胸の奥へしまい込んでいただろう。
でも、今日は違う。
正宗の目を真っ直ぐ見つめる。
そして、静かに口を開いた。
「お父様」
「今日は、私の気持ちを聞いていただきたくて参りました」




