第151話 嘘
夕焼けに染まる屋上。
吹き抜ける風が、静かに二人の間を通り過ぎていく。
正義はゆっくりと栞へ向き直った。
「栞」
栞も静かに振り返る。
「はい」
正義は真っ直ぐ栞の瞳を見つめた。
もう遠回しには聞かない。
「本当は――」
「エンジェル部を辞めたくなかったんじゃないのか」
その一言に。
栞の肩が小さく震えた。
しかし、すぐに穏やかな笑顔を作る。
「違います」
「私は、自分で決めました」
正義は静かに首を横へ振る。
「嘘だ」
栞は視線を逸らした。
「嘘ではありません」
「来年は受験です」
「勉強に集中しなければなりません」
「それに、いずれ私は竜胆グループを背負う人間です」
「そのためにも、今は自分のやるべきことを優先しなければならないんです」
正義は一歩、栞へ近付く。
「それでも納得できない」
「あんなにエンジェル部を大切にしていたじゃないか」
「査問会議では」
「誰よりも部を守ろうとしていた」
「部員を集めて」
「市民功労賞まで受賞して」
「それなのに」
「急に『満足したから辞めます』なんて言う栞じゃない」
栞は何も答えない。
正義は静かに続けた。
「真理亜さんから聞いた」
その瞬間。
栞の表情が強張る。
「本当は辞めたくないって」
「……」
「お父さんに言われたんだろ」
長い沈黙。
栞は俯いたまま、小さく息を吸った。
「違います」
「これは、私が決めたことです」
「お父様が決めたことは、私にとっても最善の選択なんです」
「正義くんには……分からないでしょう」
「竜胆グループを背負う覚悟なんて」
震える声だった。
正義は静かに言った。
「だから何だ」
栞はゆっくり顔を上げる。
正義は真っ直ぐ栞を見つめた。
「お前は、お父さんの言いなりか」
その言葉に。
栞は言葉を失う。
正義は続けた。
「お父さんがお前の人生を生きるのか」
「違うだろ」
「そもそも」
「お前、自分の気持ちをちゃんとお父さんへ伝えたのか」
「……」
「部活を辞めるのが嫌なんだったら」
「ちゃんと」
「『嫌です』って言えよ」
その言葉だった。
栞の瞳が大きく揺れる。
――『嫌です』って言えよ。
入学式の日。
部活動勧誘で上級生たちに囲まれ、何も言えずに困っていた自分。
その時、正義は何気なく言ってくれた。
――嫌なら嫌って言えよ。
あの日も。
今日も。
正義は何も変わっていない。
いつだって真っ直ぐで。
相手が誰であっても、自分の信じることを貫く人だった。
(……さすが、正義くんですね)
栞は心の中で小さく微笑む。
昔から。
その真っ直ぐな生き方に、何度も救われてきた。
(私は……)
(そんな正義くんに憧れました)
その憧れが、いつしか特別な想いへ変わっていたことを、栞はもう気付いていた。
ぽたり。
一筋の涙が、頬を伝う。
栞は涙を拭いながら、小さく首を横へ振った。
「じゃあ……」
「私は、どうしたらいいんですか」
震える声だった。
「私は、お父様に逆らえません」
「逆らったことなんて、一度もありません」
「だから……」
「だから、どうすればいいんですか」
正義は静かに栞を見つめる。
「栞」
「お前の人生だろ」
栞はゆっくり顔を上げた。
正義は一歩前へ踏み出す。
「誰の人生だと思ってる」
「お前のお父さんの人生なのか」
「違う」
一呼吸置く。
そして、真っ直ぐ言い切った。
「お前の人生は――」
「お前が決めろ」
その言葉が、栞の胸へ真っ直ぐ突き刺さる。
栞は何も言えなかった。
ただ。
止まっていた涙だけが、静かに頬を伝い続けていた。




