第146話 退部届
その夜。
栞は自室の机へ静かに座っていた。
机の上に置かれているのは、一枚の紙。
――エンジェル部退部届。
父から告げられた期限は、明日。
提出しなければならない。
そう頭では分かっている。
それでも。
ペンを握る手は、どうしても動かなかった。
静かな部屋に、時計の針だけが時を刻む。
栞はゆっくりと目を閉じた。
エンジェル部へ入った日。
地域清掃。
保育園ボランティア。
老人ホーム慰問。
炊き出し。
夏祭り。
査問会議。
市民功労賞。
正義。
凪。
三人で笑い合った日々が、次々と思い浮かぶ。
気付けば。
自然と涙が溢れていた。
「……ごめんなさい」
小さく呟く。
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
栞は涙を拭い、ゆっくりとペンを握り直す。
そして、退部届へペン先を落とした。
『竜胆』
一文字。
また一文字。
震える手で、丁寧に書き進める。
『栞』
最後の一文字を書き終えた、その瞬間。
ぽたり。
一粒の涙が、退部届へ落ちた。
栞は慌てて涙を拭う。
しかし、涙は止まらなかった。
何度拭っても。
何度拭っても。
次から次へと頬を伝っていく。
「……これで、いいんですよね」
自分へ言い聞かせるように呟く。
返事はない。
静かな部屋に、小さな嗚咽だけが響いていた。
机の上には、涙で少しだけ滲んだ退部届が、静かに置かれていた。




