第145話 父の命令
その夜。
栞はマンションのリビングで、一人静かに本を読んでいた。
栞の実家は岐阜県。
聖フェリス学園へ通うには距離があるため、学校近くのマンションで一人暮らしをしている。
父・竜胆正宗は、「人は自立してこそ一人前になる」という考えから、栞へ一人暮らしをさせていた。
生活費は援助する。
しかし、家事も生活も自分でこなす。
甘えは許さない。
それが父の教育方針だった。
その時だった。
プルルルル……
静かな部屋に着信音が鳴り響く。
栞はスマートフォンへ目を向ける。
画面に表示されていた名前は――
『父』
栞は姿勢を正し、電話へ出た。
「もしもし、お父様」
『栞か』
受話器の向こうから聞こえてきたのは、落ち着いた低い声だった。
『少し話がある』
「はい」
短い沈黙。
やがて正宗は、静かな口調で切り出した。
『エンジェル部を辞めなさい』
栞の表情が固まる。
「……え?」
思わず聞き返す。
しかし、正宗の声色は変わらない。
『理由を聞きたいか』
「……はい」
『エンジェル部の活動は、子どもの遊びだ』
栞は息を呑んだ。
『地域貢献も、奉仕活動も結構』
『だが、それは今のお前がやるべきことではない』
『時間の無駄だ』
『お前に、人のことまで気を配る余裕があるのか』
『自分自身の課題すら、まだ乗り越えられていないだろう』
栞は唇を強く噛み締めた。
『真理亜にも及ばない』
『それが現実だ』
『来年は受験だ』
『勉強はちゃんとやっているのか』
『お前はいずれ竜胆グループへ入ることになる』
『もちろん、私はお前を特別扱いするつもりはない』
『社員は、お前を社長の娘として見る』
『その時、お前は竜胆グループの一員として胸を張れるだけの実力があるのか』
栞は何も答えられない。
正宗は淡々と続けた。
『そろそろ現実を見なさい』
長い沈黙が流れる。
栞は震える声で尋ねた。
「……今回の査問会議も」
「お父様が仕向けたんですか」
受話器の向こうで、正宗は迷うことなく答えた。
『そうだ』
その一言が、栞の胸へ深く突き刺さる。
「どうして……」
声が震える。
正宗は静かに言った。
『エンジェル部は、お前に必要ないと判断した』
『以上だ』
それだけだった。
栞は言葉を失う。
『退部届は明日までに提出しなさい』
『話は終わりだ』
プツッ――
電話は切れた。
ツー……
ツー……
無機質な電子音だけが、静かな部屋に響き続ける。
栞はスマートフォンを握り締めたまま、その場に立ち尽くしていた。
父の言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
――エンジェル部は、お前に必要ない。
その言葉だけが、栞の胸を深く締め付けていた。




