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第106話 ありがとう

 始業式ミサの準備は、予定より少し早く終わった。


 礼拝堂には綺麗に椅子が並び、祭壇には色鮮やかな花が飾られている。


「これで準備完了ですね」


 栞が満足そうに微笑む。


 凪も大きく伸びをした。


「何とか間に合ったなぁ」


 正義も礼拝堂を見渡し、小さく頷く。


「綺麗にできましたね」


 三人が片付けをしていると、教会を訪れていた地域の人たちが次々と声を掛けてきた。


「あら、エンジェル部の皆さん」


 買い物帰りの女性が笑顔で近付いてくる。


「夏祭り、お疲れさま」


「とっても楽しかったわ」


 栞は丁寧に頭を下げた。


「ありがとうございます」


「そう言っていただけて嬉しいです」


 続いて、河川敷でよく顔を合わせる年配の男性が笑顔で話し掛ける。


「いつもありがとうな」


「おかげで河川敷が本当に綺麗になった」


「毎日の散歩が楽しみなんだわ」


 正義は少し照れながら頭を下げた。


「ありがとうございます」


 その言葉だけで胸が温かくなる。


 さらに。


「保育園の子どもたち、また皆さんに会いたいって言っていますよ」


 保育士が笑う。


 老人ホームの職員も続けた。


「利用者さんも、皆さんがまた来てくださるのを楽しみにしています」


 社会福祉協議会の職員も笑顔で手を振る。


「炊き出し、本当に助かりました」


「ありがとうございました」


 病院で会った看護師も会釈した。


「病棟の子どもたちも、皆さんのお話を今でもしていますよ」


 三人は、その一人ひとりへ丁寧に頭を下げる。


「ありがとうございます」


 その様子を見ながら、正義はふと空を見上げた。


 少し前まで。


 自分は誰かに感謝されるような人間ではないと思っていた。


 人と関わることを避け、できるだけ目立たず過ごしてきた。


 けれど今は違う。


 こうして地域の人たちが笑顔で声を掛けてくれる。


 その「ありがとう」が、不思議なくらい嬉しかった。


「桜木君」


 栞が優しく微笑む。


「嬉しいですね」


 正義も自然と笑みを浮かべる。


「はい」


「こんなに『ありがとう』って言われたのは、初めてかもしれません」


 凪は照れくさそうに頭を掻いた。


「何か……照れるなぁ」


 その時、一人のおばあさんが三人の前で足を止めた。


「君たちがおると、この街は明るくなるね」


「本当にありがとう」


 三人は顔を見合わせる。


 そして、揃って笑顔になった。


「こちらこそ、ありがとうございます」


 礼拝堂へ差し込む柔らかな陽射し。


 地域の人々から贈られた『ありがとう』は、三人の胸へ静かに積み重なっていく。


 それは、どんな賞状や表彰よりも温かく、何より嬉しい言葉だった。

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