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まだ恋とは呼べない距離で  作者: rio
中学生編
8/9

第8話 読者週間と手

読書週間が始まった図書室は、いつもより少しだけ騒がしかった。


ページをめくる音、本を戻す音、紙とインクの匂いに人の気配が混ざる。


その中で、理緒はスタンプラリーの集計を確認していた。


「神崎」


声が、すぐ近くで落ちる。


顔を上げると、藤森先輩が隣に立っていた。


「藤森先輩」


一拍の間。


「企画、うまくいってるな」


そう言って、軽く笑う。


「そうですね。準備、頑張りましたもんね」


「そうだな。……ここ、座れば?」


先輩は貸出カウンターの椅子に座って、隣の椅子を叩く。


理緒は促されるままに座る。


さらに距離が詰まる。


「今の参加者、86人だって」


先輩がメモを指す。


理緒が覗き込む。


肩が触れそうになり、身を引く。


「初日でこれなら、いい方ですね」


「だな」


先輩は短く笑う。


理緒も、つられるように少しだけ笑う。


その瞬間、

チャイムが鳴る。


先輩はすぐには立たなかった。


理緒が立ち上がると、ようやく立つ。


「教室戻るか」


それだけで、二人は図書室を出た。


---


放課後。


図書室の開館時間を終えて、廊下に出ると、理緒は鍵を閉める。

そのまま職員室へ向かう。


少し間を置いて後ろからの声に呼び止められる。


「……送る」


「……え」


「……この間と同じでいいよな」


返事を待たずに歩き出す。


前回と同じように、先輩は昇降口で待っていた。


二人で昇降口を出て、校門に向かって歩き出す。


同じ歩調で。


校門を出て、交差点で先輩が立ち止まる。


理緒も止まる。


「神崎」

「はい」


少しの沈黙。


「昨日さ……寒くなかった?」


——何それ。

一瞬、意味が追いつかない。


「……いえ」


「そう」


先輩は言葉を探しているみたいで、少しだけ視線が揺れる。


結局、何も続かないまま視線を外した。


理緒も同じように視線を外す。


——変だ。

ちゃんと説明できない。

でも、変だとだけ分かる。


そのまま、家の前に着く。


「じゃ、また明日」


それだけ言って、先輩は歩き出す。

自分も家の門をくぐる。


距離は離れる。


はずなのに、

理緒の心はその場に残ったまま。

胸の奥を押さえる。


変だ。


でも、嫌ではない。


だからこそ、扱いに困る。


理緒は小さく息を吐く。


「……何なんだろう」


声に出した瞬間、すぐに打ち消す。


——気にしても仕方ない。

いつものやつ。


そうやって片付けるはずなのに。

さっきの“違和感”だけは、どこにも分類できないまま残っていた。


---


読書週間が始まってから、理緒は先輩と一緒に帰るようになっていた。


約束をしたわけじゃない。

決めたわけでもない。


ただ、図書室の鍵を閉めて、鍵を職員室へ返しに行っても、下駄箱で先輩が待っててくれている。

それが、いつの間にか“当たり前”になっていた。


読者週間最終日。


空気は少しだけ慌ただしく、図書室にもまだ残っている生徒がいた。


理緒はスタンプラリーの最終確認をしていた。

閉館時間が近づいているのに、先輩の隣にはまだ人がいる。


女子生徒だった。

先輩のクラスメイトらしい。


机の向こうで、先輩と何かを話してる。

特別な距離ではない。

でも、いつもより少しだけ長くそこにいる。


理緒は気づかないふりをして、書類を揃えようとするが、落としてしまう。

書類が自分の意識のように散らばる。


——今日は、あの人と帰るのかな。


そんなことを考えている自分に、少しだけ違和感がある。


やがて閉館時間が来て、女子生徒はあっさりと立ち上がった。


「じゃあね、藤森」


「おう」


それだけで、終わる。


図書室の空気が、少しだけ軽くなる。


理緒は鍵を手に取りながら、無意識に先輩の方を見た。


「……今日は」


言いかけて、一度止まる。


先輩が視線を上げる。


「あの人とは、一緒に帰らないんですか?」


自分でも、少し変な聞き方だと思った。


先輩は一瞬だけ黙る。


「……帰らない」


短く答える。


そのまま歩き出す準備をしながら、ぽつりと言う。


「……いや、別に……その……誰でもってわけじゃないし」


理緒の手が止まる。


「え?」


「送るとか、そういうの」


『誰にでもやってわけじゃない』


——その言葉の意味を、すぐには理解できなかった。


なのに、胸の奥に、小さな引っかかりだけが残る。


どんな基準なんだろう?


図書室を出ると、外はもう夕方を過ぎかけていた。


校舎の影が長く伸びている。


いつも通りの帰り道。


いつも通りの距離。


なのに、今日は少しだけ違う気がした。


並んで歩きながら、理緒はふと思う。


——じゃあ、私は?


誰でも、じゃないなら。


考えかけて、すぐにやめる。


答えを出してはいけない気がした。


その時、急に手を引っ張られる。

先輩の力強い手に、理緒の手が包まれて、引き寄せられる。


「あぶないっ」

理緒の直ぐ横を少しスピードを出した自転車が駆け抜ける。


「あ……ありがとうございます」

先輩の手が温かく感じられる。


先輩は、ホッとしたように息を吐く。

理緒の手は離さないまま時間だけが流れた。


その沈黙が、落ち着かない。

それなのに、先輩の手を握り返す自分がいた。


言葉が出ない。

――離すのが普通だよね。

そう思うのに、

離さないでいたい――そう思ってしまった。

その感覚に、自分で少しだけ驚いた。


先輩は、手を軽く握り直すと、歩き出す。

理緒は手を引かれるままに歩く。

転ばないために、しっかり握り返して。


理緒の家が見える。


いつもの終わりの場所。


そこで先輩は手を離す。

理緒の手に夕方の涼しい風が当たる。


「じゃ」


短い言葉。


いつもと変わらない。


でも理緒は、その場から動けなかった。


胸の奥に残ったままの違和感が、消えない。


いつもより足早に去る先輩の背中を見送りながら、理緒は小さく息を吐く。


——変だ。


でも、嫌ではない。


だからこそ、どうしていいか分からない。


そのまま一人で立ち尽くしながら、理緒は思う。


「……何なんだろう」


――知りたくない。

……知らない方がいい気がした。

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