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まだ恋とは呼べない距離で  作者: rio
大学生編
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第39話 欠席と会話

英会話の授業の日。


理緒は教室へ入るなり、無意識にいつもの席を探していた。


けれど。


「あれ……」


そこに、誠さんの姿はなかった。


理緒は小さく瞬きをする。


休みだろうか。


少しだけスマホを確認したくなる。


でも、わざわざ聞くのも変な気がして、理緒はそのまま席へ向かった。


英会話の授業は、毎回ランダムに近い形でペアワークがある。


今日も講師が明るい声で指示を出した。


『Okay! Pair work!』


周囲がガタガタと席を動かし始める。


理緒がどうしようか迷っていると、


「あ、神崎さん。組まない?」


不意に男子学生が声を掛けてきた。


明るい茶髪に、人懐っこい笑顔。


同じ学部で何度か見かけたことはある。


「……あ、はい。お願いします」


「やった」


男子学生は少し嬉しそうに笑った。


「神崎さん、いつもすぐ誰かと組んでるから、タイミング逃してたんだよね」


「え?」


「ほら、いつも一緒にいる先輩いるじゃん」


理緒は一瞬きょとんとする。


「あ……誠さんですか?」


「そうそう。彼氏?」


「違います!!」


反射的に否定すると、男子学生は「あはは、ごめんごめん」と笑った。


「でも、今日いないならチャンスかなって」


「……チャンス?」


「神崎さんと話してみたかったし」


理緒は少し困ったように視線を逸らす。


悪い人ではなさそうだけど、距離感が近い。


ペアワークが始まる。


テーマは『最近あった印象的な出来事』。


男子学生は英語を交えながらも、自然に雑談を広げてくる。


「神崎さんって、普段なにしてるの?」


「大学行って、ご飯食べて……普通です」


「絶対普通じゃないでしょ。なんか育ち良さそうだし」


「そんなことないです」


「いや、あるある。喋り方めっちゃ丁寧だし」


理緒は曖昧に笑う。


相手は終始フレンドリーだった。


英語の課題を進めながらも、


「今度みんなでご飯行こうよ」


とか、


「神崎さんって甘いもの好き?」


とか、


自然な流れで距離を縮めようとしてくる。


そのたびに理緒は、


どう返すのが正解なんだろう。


断ったら感じ悪いかな。


でも期待させるのも違うし――


そんなことばかり考えてしまう。


「神崎さんって、静かだけど、すごく話しやすいね」


「……え?」


「最初、もっと近寄りがたい感じかと思ってた」


「そんなこと……」


「あと、なんか天然っぽい」


「えぇ……?」


男子学生が楽しそうに笑う。


理緒も合わせて小さく笑った。


ちゃんと会話しなきゃ。


空気を悪くしないようにしなきゃ。


失礼にならないようにしなきゃ。


そう考えているうちに、授業終了のチャイムが鳴る。


「お疲れー。あ、よかったら連絡先――」


男子学生がスマホを取り出しかける。


その瞬間。


理緒のスマホが震えた。


画面を見る。


《今日休み。悪い》


誠さんからだった。


「あ……すみません」


理緒は思わずそちらへ意識を向ける。


男子学生は少しだけ間を置いてから、「また今度でいっか」と笑った。


「お疲れ様」


「お疲れ様でした」


男子学生は軽く手を振って、友人達のところへ戻っていく。


理緒は椅子へ座り直した。


その瞬間。


どっと疲労感が押し寄せた。


「……疲れた……」


思わず小さく呟く。


別に嫌だったわけじゃない。


むしろ、相手は親切だった。


でも。


理緒はふと気付く。


――誠さんがいる時、こんな疲れ方しない。


誠さんは距離感がおかしいし、勝手だし、振り回される。


なのに。


変に気を遣わなくていい。


沈黙しても気まずくない。


会話が雑でも大丈夫な気がする。


理緒はそこまで考えて、ふと眉を寄せた。


「……なんでだろ」


自分でもよく分からない。


でも、誠さんといる時の自分は、今よりずっと自然な気がする。


理緒はスマホへ視線を落とす。


《いえ。大丈夫です》


そう返信してから、少し迷う。


それでも、ぽつりと打ち込んだ。


《英会話のペアワーク、ちょっと大変でした》


送信した瞬間、


――何送ってるんだろう、私。


急に恥ずかしくなる。


慌ててスマホを伏せた。


数秒後。


《俺のありがたみ分かった?》


返信を見た瞬間、


理緒は呆れる。


《ちょっとだけ認めます》


そう返しながら、


自分が笑っていることに気付いていた。


---


その日の夕方、理緒は兄と夕食の約束をしていた。


大学の門のところで、兄が待っている。


理緒は駆け寄った。


「お兄ちゃん、お待たせ」


「大丈夫。日本の大学、見られて面白かった」


「やっぱり違う?」


「まぁね」


二人で並んで商店街を歩く。


夕方の商店街は、買い物帰りの人達でほどよく賑わっていた。


飲食店から漂う匂いに混じって、どこか懐かしい惣菜の香りが流れてくる。


「なんか、お兄ちゃんと二人で街を歩くのなんて初めてだね」


「そうだね……理緒は、この商店街で買い物したりするの?」


「うーん……あんまりしないかも。あ、でも、あそこのインドカレー屋さんには入ったよ」


理緒が指差すと、兄は小さく目を向けた。


「へぇ。インドカレーか。イギリスでもよく食べたな」


「そっか。お兄ちゃんはもう食べたことあるんだ。私は、ついこの間、友達と食べたのが初めてだった」


「友達? 誠?」


「うぅん。誠さんの起業仲間の昌大さんと……」


「誠の起業仲間まで友達になってたの?」


「あー……うん。いろいろあって」


「いろいろか……。まぁいいや。夕食はここにする?」


「いいね。食べたい!」


二人で店に入り、窓際の席へ案内される。


店内にはスパイスの香りが広がっていて、静かに異国風の音楽が流れていた。


理緒はメニューを開きながら、向かいに座る兄をちらりと見る。


こうして兄と二人きりで外食するのは、初めてだ。


「僕はほうれん草カレーにしようかな。ここの辛かった?」


「……え?」


「前に食べたんだろ?」


「うーん……おすすめされるままに食べたから分かんないかも。辛くはなかった……かな?」


「そっか。じゃあ、僕は辛口でいいか」


「えぇっと……お兄ちゃん、ダルカレーってなぁに?」


「前に来たんじゃなかったの? 豆のカレーだよ」


「そっか。豆のカレーか。じゃあ、それにしようかな」


「辛さは?」


「中辛にしとく」


兄が店員を呼び、まとめて注文してくれる。


注文を終えると、兄は水を一口飲みながら理緒を見た。

理緒も一口水を飲む。


「お兄ちゃんと二人きりで食事するのも初めてだね」


「そうだね。最近の生活はどう? 今日の大学とか」


「今日? うーん……英会話の授業、誠さんがお休みだったよ」


「四年生でも外国語の授業取ってるの?」


「単位は要らないみたいだけど、英語は勉強しといて損はないって」


「ふぅん……あいつ、英語喋れたと思うけど……」


「……そんな気はしてた」


兄は少し笑った。


「まぁ、仮にもウチの高校出身だからな」


「お兄ちゃんの高校って、どんな感じ?」


「進路が海外の大学の人も多いから、高校からグローバル教育だったよ。ガリ勉っていうより、自分の意見を持ってないとやっていけない感じ」


「うわぁ……普通の高校ではないね」


「そうかもね。普通の高校を知らないけど。でも、その中でも誠は突出して変わってたな」


理緒は渋い顔をする。


「お兄ちゃんの高校から、うちの大学へ来ただけでもそうだろうね」


「ははっ……そうだね。先生も最初、間違いじゃないか確認してた。でも、起業するためには、理緒の大学が良かったらしいよ」


「へぇ? 天才の発想過ぎて分かんないや。高校生の頃から真剣に起業しようとしてたんだね」


「あぁ。高校生の頃、一緒に起業しようって誘われた」


「えぇ……お兄ちゃんもあの勧誘を!?」


理緒が目を丸くすると、兄は少し懐かしそうに笑った。


「理緒も誘われたんだっけ? でも、俺は家の会社を継ぐって断ったけど」


「……お兄ちゃん、継ぐって決めたの?」


兄は少しだけ焦ったように表情を引きつらせる。


「……あ、いや、理緒が継ぐなら……」


「うぅん。私は継がない」


理緒は即答した。

その返事に、兄はどこか安心したように息を吐いた。


「何かやりたいこと見つけた? ……あ、誠と起業するのか?」


「……まだ、何も決めてない」


ちょうどそのタイミングで、焼き立てのナンとカレーが運ばれてきた。


湯気と一緒に、スパイスの香りがふわりと広がる。


「いいんじゃないか? やりたいことやれば」


理緒はナンをちぎりながら、小さく口を開いた。


「うん……でもね、この間、友達……お兄ちゃん覚えてるかな? 小学校で一緒だった、まみちゃん。まみちゃんが今、アプリのβ版のテスターをやってくれてて、アプリのこと、すごく褒めてくれたの」


「へぇ。理緒はそれが嬉しかったの?」


「え……あ……うん……そうなのかな?」


「うん。いいんじゃないか。やりたいことやれば」


兄は自然な口調でそう言って、カレーを口へ運ぶ。


理緒はその姿を見ながら、小さく笑った。


昔は、兄に認めてもらいたくて仕方なかった。


でも今は、


こうして普通に話せるだけで、十分嬉しかった。

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