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まだ恋とは呼べない距離で  作者: rio
大学生編
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第36話 待ち合わせと甘え

誠さんから兄との待ち合わせの日程が知らされたのは、それから数日後だった。


大学の講義を終えた頃、理緒のスマホへ誠さんからメッセージが届く。


《達也とは来週土曜。昼過ぎ。場所送る》


続けて共有されたのは、都内のカフェの位置情報だった。


理緒はしばらく画面を見つめる。


いよいよ会う。


そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ重くなった。


それでも。


理緒は小さく息を吐き、《分かりました》と短く返信した。


―――


当日。


理緒は誠さんとの待ち合わせより少し早めに駅へ到着した。


休日の駅前は人通りが多い。


家族連れ。


買い物袋を下げた女性。


笑いながら歩く高校生たち。


その雑踏の中に、誠さんは自然に立っていた。


黒のパーカーにインディゴのデニム。


鞄はなく、片手にスマホだけを持っている。


理緒へ気付くと、軽く手を挙げた。


誠さんは理緒の表情を見て、少しだけ口元を緩める。


「早いな」


「……こんにちは」


「緊張してる?」


理緒は少し迷ってから、小さく頷いた。


「……少し」


誠さんは呆れたように笑う。


「少しか?」


理緒は苦笑した。


「かなり、かもしれません」


「そりゃそうだな」


二人は並んで歩き始めた。


待ち合わせのカフェまでは、駅から五分ほどらしい。


休日の街は賑やかなのに、不思議と理緒の耳には、自分の心臓の音ばかり響いていた。


そんな理緒を見ながら、誠さんがふと思い出したように口を開く。


「そういや、達也の弱点教えてやろうか」


理緒はきょとんとした顔で誠さんを見る。


「……弱点?」


誠さんは少し笑う。


「お前、兄貴のことラスボスみたいに思ってるだろ」


「そんなこと……」


否定しかけて、言葉が止まる。


少し前までの自分なら、きっと即座に否定していたと思う。


でも今は。


理緒は小さく視線を落とした。


「……思ってた、かもしれません」


誠さんは少し意外そうに目を瞬かせる。


「素直じゃん」


「最近、色んな人に言われるので……」


「例えば?」


「まみちゃんに指摘されて……兄を神様みたいな存在だと思ってたことに気付いて……」


誠は「あー」と納得したように頷いた。


理緒は歩きながら、小さく息を吐く。


「私、兄の挫折とか、苦しんでた時期も知ってるんです」


「うん」


「でも、それでも……兄は正しい人だって思ってました」


誠は何も言わず、続きを待っていた。


「だから、兄に距離を置かれた時、“私が間違えたんだ”って思って……」


理緒は少し困ったように笑う。


「でも最近、まみちゃんも誠さんも……みんな、兄のことを普通の人として話すから」


誠は当たり前みたいに答えた。


「普通の人だよ」


「……はい。前だったら、誠さんの言ってることは、受け入れられなかったかもしれません」


理緒は少しだけ肩の力を抜く。


「でも今は、ちゃんと現実の話として聞けてる気がします」


誠は理緒を横目で見て、少しだけ目を細めた。


「成長したなぁ」


「子ども扱いしないでください」


「達也も喜ぶんじゃね」


理緒は少しだけ眉を下げる。


「……だと、いいんですけど」


誠はそこで、ふっと笑った。


「ちなみに、達也の弱点な」


「はい」


「あいつ、すごい寝相悪い」


「……」


「あと、意外と短気」


理緒は呆れたような顔をしながらも、静かに聞いていた。


誠は肩をすくめる。


「それから……勝手に一人で考え込んで限界になるタイプ」


理緒は少しだけ目を伏せる。


「……たしかに、そうだったかもしれません」


「だろ?」


誠は軽く笑った。


「だから、多分お前に対しても、“嫌いだから離れた”とかじゃねぇと思う」


理緒はゆっくり息を吸った。


「……はい」


そう返す声は、以前より少しだけ穏やかだった。


―――


やがて、待ち合わせのカフェが見えてきた。


ガラス張りの落ち着いた店だった。


その店の前に、一人の男性が立っている。


理緒の足が止まる。


兄だった。


昔より少し背が伸びたように見える。


黒縁眼鏡。


白Tシャツにグレーのジャケットを羽織った姿は、すっかり大人の男性だった。


でも。


立ち姿も、表情も。


理緒の知っている兄のままだった。


兄もこちらへ気付き、わずかに目を見開く。


一瞬だけ、空気が止まったような気がした。


先に口を開いたのは誠さんだった。


誠さんは気負わない調子で手を挙げる。


「よ」


兄も少し緊張したように返す。


「……久しぶり」


たったそれだけの会話。


けれど、長い付き合いの空気がそこにはあった。


誠さんはそのまま理緒の方を軽く見る。


「じゃ、俺帰るわ」


「……え?」


理緒は思わず誠さんを見る。


誠さんは当然みたいに言った。


「二人で話すんだろ」


「で、でも……」


急に不安が押し寄せる。


ここまで来る間、誠さんがいたから平気だった。


でも、


本当に二人きりになると思った瞬間、胸が苦しくなる。


理緒は咄嗟に口を開いていた。


「……行かないでっ」


自分でも驚くくらい、子どもっぽい声だった。


誠さんは少しだけ目を丸くする。


それから、困ったように笑った。


「神崎さん」


優しい声だった。


「大丈夫だから」


理緒は何も言えない。


誠さんは安心させるように続けた。


「ちゃんと話してこい」


そう言って、軽く手を挙げる。


「終わったら連絡して」


それだけ残して、誠さんは本当に立ち去ってしまった。


理緒はしばらく、その背中を見送っていた。


やがて。


隣から、小さな声がした。


「……理緒」


理緒はゆっくり振り向いた。


兄は、どこか緊張したように理緒を見ていた。

兄は少しぎこちなく笑う。


「久しぶり」

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