第28話 マンションと利用規約
毎日20時20分更新予定
全40話+番外編で完結となります。
晃サイドの続編を準備中です。
誠さんに指定された住所は、大学から電車で2駅離れた古いマンションだった。
理緒はスマホの画面と建物の番号を見比べながら、小さく息を吐く。
――本当に来てしまった。
知らない男子大学生の一人暮らしの部屋。
本来なら、絶対に来なかった気がする。
でも。
“危ないから直したい”
その気持ちは、本物だった。
理緒はエントランスを抜け、指定された部屋番号の前で立ち止まる。
インターホンを押す。
『はーい』
すぐに誠さんの声。
数秒後、ドアが開く。
「お、来た来た」
部屋着姿の誠さんが、いつも通り軽い調子で笑った。
「……お邪魔します」
「どーぞ」
部屋へ入った瞬間、理緒は少しだけ目を丸くする。
そこは、いかにも男の一人暮らしらしい、生活感と作業場が混ざった空間だった
ワンルームではなく、二部屋ある。
キッチンのシンクには、朝食に使ったと思われる食器が放置されていた。
ソファの背もたれには乱雑に衣類が掛けられ、床には雑誌の束。
机の上にはノートPCが二台と雑然としたメモ。
壁際にはホワイトボード。
床にはコード類。
生活空間と作業場が、そのまま同居している。
そして。
「わぁ、本当に来た」
部屋の奥から、もう一人の男子学生が顔を上げた。
黒縁眼鏡に優しそうな目。
少しパーマがかった髪。
オーバーサイズ気味のパーカー姿。
誠さんより少し小柄で、落ち着いて見える。
「紹介する。こいつ昌大。エンジニア担当」
「どうも」
「……神崎理緒です」
軽く頭を下げる。
昌大さんは理緒を見て、優しい笑顔で手を差し出した。
「理緒ちゃん、よろしくね」
理緒が握手に応えると、昌大さんは誠さんの方へ顔を向け、眉を上げる。
「本当に女の子連れてきたんだね」
「何だよその言い方」
「いや、“一般ユーザー視点が必要”とか言うから、もっと陽キャ系連れてくるのかと」
「偏見ひどくね?」
誠さんは笑いながら、床に置かれたクッションを理緒へ投げる。
「そこ座って」
理緒は小さく礼を言って座った。
誠さんはすぐノートPCを開く。
「で、例の位置情報の件な」
「はい」
画面が三人の中央へ向けられる。
昌大さんが先に口を開いた。
「でも正直、位置共有なんて今どき普通じゃない?」
理緒は視線を向ける。
「普通、ですか?」
「SNSでも位置共有あるし、イベント系アプリなら便利機能だろ」
「便利なのは分かります」
理緒は静かに返す。
「でも、“便利”と“安全”は別です」
昌大さんは少し肩をすくめる。
「いや、でもさ。共有嫌なら切ればいいだけじゃん」
「その“切ればいい”が分からない利用者もいます」
「利用規約読めば分かるでしょ」
その言葉に、理緒の眉がわずかに動く。
「……普通の人は、利用規約を細かく読みません」
「いや、読まなきゃダメでしょ」
「でも、読みません」
少しだけ強く返ってしまった。
空気が、一瞬止まる。
理緒自身も、すぐに気付く。
――しまった。
理緒はすぐ視線を落とした。
「……すみません。言い方が」
「いや別に」
昌大さんは特に気にした様子もない。
「でも、自己責任では?」
理緒は息を整える。
「自己責任だけで済まないから、設計側が配慮するんです」
「……」
「例えば、“学生限定だから安心”って思う人は多いです」
理緒は画面を指差す。
「でも、この仕様だと、イベント参加時間と位置履歴で生活圏が絞れます」
昌大さんが少し真顔になる。
理緒は続けた。
「帰宅時間も、利用頻度も、行動パターンも」
「……」
「悪意のある人は、“普通の人が想像しない使い方”をします」
部屋が静かになる。
昌大さんは画面を見る。
誠さんは、その横で理緒を見ていた。
理緒はそこに気付かない。
「だから、“気を付ければ大丈夫”じゃなくて」
理緒は小さく息を吐く。
「“気を付けなくても危険になりにくい設計”にしないと駄目です」
数秒沈黙。
先に口を開いたのは、昌大さんだった。
「……なるほど」
理緒は顔を上げる。
昌大さんは腕を組みながら続ける。
「言われてみれば、たしかに男視点だったかも」
誠さんは、やっと気づいたかと言わんばかりに笑う。
「お前さ、“共有切ればいいじゃん”は設計側都合すぎる」
「うるせぇ」
「ユーザーはお前ほど設定画面見ねぇんだよ」
「はいはい」
昌大さんは苦笑する。
その空気に、理緒は少しだけ肩の力を抜いた。
誠さんが笑いながら言う。
「やっぱ神崎さん呼んで正解だったな」
「……たまたま気付いただけです」
「いや、そこに気づけて、昌大を納得させたの凄いよ」
誠さんは本気だった。
理緒は少しだけ戸惑う。
昔から、
危険を先回りして考える癖はあった。
でもそれは、
“考えすぎ”
“心配しすぎ”
と言われることの方が多かった。
だから今みたいに、
必要な視点として扱われるのは不思議だった。
昌大さんがPCを操作しながら言う。
「じゃ、初期設定OFFにする?」
「あと、共有範囲もっと粗くした方がいいです」
「どれくらい?」
「少なくとも、建物単位で分からない程度には」
「ふむ」
昌大さんは真面目にメモを取り始める。
誠さんはそんな二人を見ながら、ふっと笑った。
「何か、お前ら意外と噛み合うな」
「噛み合ってません」
理緒は即答する。
「そこ即答なんだ」
誠さんが笑う。
昌大さんも苦笑した。
でも、
その場の空気は、最初よりずっと柔らかくなっていた。
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数日後。
2号館のカフェテリア。
理緒が席へ座ると、誠さんがストローを咥えたまま笑った。
「いやー、昌大めちゃくちゃ反省してたわ」
「……そうなんですか?」
「“普通の人は利用規約読まない”が刺さったらしい」
「事実です」
「お前、あの時ちょっとムキになってたよな」
理緒の手が止まる。
「……なってません」
「なってたって」
誠さんは楽しそうに笑う。
理緒は視線を逸らす。
確かに、一瞬だけ感情的になった自覚はあった。
でも、すぐ抑えたはずだった。
誠さんは頬杖をつきながら言う。
「やっぱ神崎さん、達也から聞いてたとおりだったわ」
理緒は顔を上げる。
「……何の話ですか?」
「ん?」
「兄から、何を聞いてたんですか」
誠さんは少しだけ目を細める。
「負けず嫌いで、変なとこでムキになる」
理緒は目を瞬かせる。
「……だから、それは昔の話で……」
「いや、今もそんな人」
即答だった。
理緒は戸惑う。
誠さんは少し笑う。
「あと、“危ないもの放っておけない”タイプ」
「……」
「で、熱くなると、自分でも気付かない」
理緒は何も言えない。
まるで、
自分の知らない自分を説明されているみたいだった。
誠さんは立ち上がる。
「ま、つまり」
トレーを持ち上げながら、ニヤッと笑う。
「可愛い妹ってこと」
「……は?」
理緒が呆気に取られる。
誠さんはそのまま後ろ向きに手を振った。
「じゃ、次の修正会議また連絡するわ」
「え、ちょっと……!」
そのまま去っていく背中。
理緒はしばらく呆然と見送る。
そして、
気付けば、少しだけ笑っていた。




