第27話 β版と危機管理能力
理緒は、いつしかキャンパス内で誠さんに遭遇するたび、半ば条件反射みたいなやり取りを繰り返すようになっていた。
「よっ、元気か? 起業しない?」
「しません」
「今日も即答だな」
「毎回繰り返して、飽きませんか?」
「大事なことだからな」
そんな軽口を交わして、誠さんは笑う。
理緒も最初は警戒していた。
でも、誠さんは無理に距離を詰めてくるわけでも、しつこく付きまとうわけでもない。
ただ、会えば声を掛けてきて、最後に必ず「起業しない?」と言う。
それが、いつの間にか日常みたいになっていた。
ある日の昼休み。
2号館のカフェテリア。
理緒がトレーを持って席を探していると、誠さんはすでに窓際の席でノートPCを開いていた。
「遅かったな」
「あなたがいるからここに来たわけではありません。ここは他の食堂より静かなので……」
「でも、俺がここ気に入って使ってるの知ってて来てるだろ?」
誠さんはニカッと笑う。
「強がりはいいから、そこ座れよ」
「……別に、強がりでは……」
そう言いながらも、理緒は向かいの席に座る。
誠さんはカレーを食べながら、何か思い出したように「あ」と声を漏らした。
「そうだ。神崎さん、これ使ってみて」
「……はい?」
誠さんはスマホを取り出して、QRコードを表示する。
『CampUsConnect β版』
そんなロゴが表示されていた。
「今作ってるアプリ。学生コミュニティ支援系」
「支援……?」
「サークルとか、新歓とか、勉強会とか。そういう学生コミュニティを繋げるやつ。イベント立てたり、同じ大学の人と交流したり」
理緒は画面を見る。
「……SNSみたいなものですか?」
「まぁ近い。学生限定だけど」
誠さんは少しだけ身を乗り出した。
「今、β版のテスター増やしてんだよ。普通の人の感想ほしくてさ」
「普通の人……」
「神崎さん、一般ユーザー視点強そうだし」
理緒は少しだけ眉を寄せる。
褒められているのか分からない。
「別に、起業メンバーになれって話じゃないから。触るだけでいい」
「……それくらいなら」
誠さんは嬉しそうに笑った。
「よし。じゃ、後で感想聞かせて」
その日の夜。
理緒は自室のベッドの上で、渡されたアプリを開いていた。
シンプルなデザイン。
大学名認証。
コミュニティ一覧。
イベント募集。
操作感は悪くない。
むしろ、かなり整理されている。
「……普通に、ちゃんとしてる」
理緒は少し意外に思いながら、画面をスクロールする。
コミュニティ詳細。
プロフィール。
参加者一覧。
位置共有設定。
そこで、理緒の指が止まった。
「……ん?」
理緒は設定画面を開き直す。
もう一度確認する。
そして、静かに眉を寄せた。
位置情報設定。
“イベント参加時、自動共有:ON”
理緒は数秒止まる。
そのまま別アカウントを作成して、挙動を確認する。
地図。
表示範囲。
更新タイミング。
プロフィール画面。
「……嘘でしょ」
小さく呟く。
少し試しただけで分かった。
これ。
大学と時間帯によっては、かなり高精度で行動範囲を特定できる。
しかも。
ユーザー側は、その危険性を理解しづらい。
理緒は画面を見つめる。
頭の中で、嫌な想像が自然に浮かぶ。
悪意ある利用者。
待ち伏せ。
ストーカー。
女子学生の追跡。
コミュニティ依存。
「……危ない」
思わず声が漏れる。
善意で作っているのは分かる。
でも。
善意だけで使われる保証なんて、どこにもない。
理緒はスマホを握ったまま考える。
放っておけばいい。
自分には関係ない。
でも。
もし、本当に何かあったら。
しかも、自分は気付いてしまった。
「……」
理緒は小さく息を吐く。
アプリのトーク画面を開く。
誠さんとのトーク画面。
指が止まる。
それから、打つ。
《これ、危なくないですか》
送信。
すぐに既読がつく。
《どこが?》
理緒は画面を見ながら、少し迷う。
説明が長くなる。
でも、曖昧にはできない。
《位置情報の仕様です》
《今の設定だと、利用者の行動範囲がかなり特定できます》
送信。
数秒。
《え?》
さらに続ける。
《イベント参加時間と大学情報が組み合わさるので、悪意ある人がいれば待ち伏せできます》
《あと、初期設定が共有ONなのも危険です》
既読。
返信が止まる。
理緒は少しだけ嫌な予感がした。
数十秒後。
《今電話できる?》
理緒は目を閉じる。
嫌な予感が当たった。
通話が繋がる。
『神崎さん』
誠さんの声は、昼間よりかなり真面目だった。
「……はい」
『それ、本当に危ない?』
理緒は少し黙る。
「危ないと思います」
即答だった。
『でも共有切れるぞ?』
「設定を理解してる人なら」
『……』
「普通は、“学生限定アプリだから安全”って思います」
理緒は静かに続ける。
「でも、大学認証があるだけで、悪意のある人を完全に弾けるわけじゃないですよね」
『……まぁ、それは』
「あと、利用者って、運営が危険性を考慮してる前提で使います」
誠さんが黙る。
理緒は画面を見ながら続けた。
「だから、“気をつければ大丈夫”じゃ駄目です」
『……』
「事故が起きてからでは遅いです」
電話の向こうで、小さく息を吐く音がした。
『……マジか』
理緒は少しだけ視線を落とす。
「……すみません。嫌なことばかり言って」
『いや』
誠さんはすぐに否定した。
『むしろ、言ってくれて助かった』
少し間。
『俺、そこまで考えてなかった』
理緒は何も言わない。
誠さんは苦笑混じりに続ける。
『なんかさ』
『神崎さんの危機管理能力すごいね』
その言葉に、理緒の胸が少しだけ止まる。
現実。
危険。
最悪。
そういうものを先回りして考えるのは、昔からだった。
でも、それを誰かに肯定されたことはなかった。
『……で、これどう直せばいい?』
「え?それは誠さんの方が……」
『いや、分かんねぇから聞いてる』
理緒は戸惑う。
「私、専門知識は……」
『でも、ユーザー目線に一番近い』
誠さんは迷いなく言った。
『たぶん今、俺らに一番足りないのそれだと思うから』
理緒は言葉を失う。
『だから、手伝って』
軽い言い方だった。
その瞬間、理緒は父の会社の問題に口を出したことで、兄との関係にヒビが入ったことを思い出す。
でも。
“必要だから頼む”という真っ直ぐさがあった。
理緒はスマホを握る。
断る理由は、いくらでも思いつく。
でも。
このまま放置する方が、もっと嫌だった。
「……今回だけですよ」
そう言うと、電話の向こうで誠さんが笑った。
『その台詞、絶対また言うやつじゃん』
「言いません」
『いや言う』
理緒は小さくため息をつく。
でも。
なぜか、そのやり取りは少しだけ心地よかった。
『じゃ、明日時間ある?』
「……5限後なら」
『よし。作戦会議な』
通話が切れる。
部屋が静かになる。
理緒はスマホを見つめたまま、小さく息を吐いた。
――また、関わってしまった。
そう思う。
でも不思議と、嫌ではなかった。




