第26話 友達と色恋話
英会話の授業が終わり、教室の空気が少しずつほどけていく。
学生たちはそれぞれ鞄を肩に掛け、雑談を交わしながら教室を出ていった。
「神崎さんは4限までいる?俺、この後ゼミなんだけど、その後、昼メシ食わない?……あ、いや……友達と食べるか。」
誠さんの言葉は軽い冗談のようでいて、どこか行間を測るような間があった。
「……友達はいません」
理緒は淡々と答える。
誠さんは、理緒の出方を伺うように続ける。
「大学1年の春だし、4限で一緒だった友達とランチ……とか、なるかもよ?」
理緒は、ため息まじりに答える。
「……必要があればそうするかもしれません」
「必要……ね。じゃあ、今日はとりあえず俺が友達1号でいいな。メシ食うぞ。」
「……友達……ですか」
理緒は小さく首を傾げる。
誠さんは悪びれずに笑った。
「違うの?」
「……分かりません」
「分かんねぇなら、それでいいじゃん」
その一言に、理緒の心を突き刺す。
――でも……分かんないってことは、止める理由にならないよな。
不意に、中学の頃の藤森先輩の声が重なった。
理緒は一瞬だけ息を飲む。
「……友達……ですか」
小さく、確かめるように言葉を落とした。
誠さんは満足そうに頷く。
「じゃ、4限終わったら、2号館のカフェテリアな」
「はい……」
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2号館のカフェテリアは、昼時にも関わらず人が少なく、ゆっくりと寛ぎながらレポートを書いている学生の姿もちらほら見えた。
理緒は入口の前で足を止める。
賑やかな空気は苦手だったから、思っていたより静かなことに、どこかほっとした。
「こっちこっち」
誠さんは慣れた様子で、奥の席に座っていた。
理緒は小さく息を吐いて、そちらへ向かう。
窓際の二人席。
誠さんは先に注文していたようで、温玉カレーを食べていた。
「ここ、静かでいいんだよ。穴場」
「昼時の学食は、どこも混んでるイメージでした」
「あー、本館の食堂とかはすごいよな。安いし量多いから」
誠さんは笑いながらメニュー表を差し出す。
「だから俺は行かない」
理緒はメニューを確認すると、そのままレジへ向かった。
トレーを持って席へ戻る。
向かいに座った瞬間、誠さんは何でもない調子で口を開いた。
「で、起業の話なんだけど」
理緒は無言で顔を上げる。
「今、人足りなくてさ。広報できる人探してんだよね」
「……昨日も言ってましたね」
「神崎さん、向いてそうなんだよな」
「向いてません」
即答だった。
誠さんはまったく動じない。
「美人だし」
「興味ありません」
「まだ何も説明してないけど?」
「興味ありません」
理緒は淡々と返して、水を一口飲む。
誠さんは頬杖をつきながら、面白そうに笑った。
「そんな警戒しなくても、怪しい団体じゃないって」
「“起業”って言われた時点で、だいぶ怪しいです」
「偏見だなぁ」
理緒は小さくため息をつく。
「……兄の話があるって言うから来ただけです」
「ハッキリ言うね」
誠さんは笑う。
でも次の瞬間、
「達也、高校の頃めちゃくちゃモテてたぞ」
理緒の視線がぴたりと止まった。
誠さんはニヤッとする。
「兄の色恋話、気になる?」
「……別に」
「いや、今完全に反応しただろ」
理緒は視線を逸らす。
誠さんは楽しそうに続けた。
「男子校なのに、毎年バレンタインにチョコ持って寮帰ってくるの。しかも一個じゃない」
「……兄が?」
「そう。しかも本人あんまり興味ないから、余計タチ悪いんだよ」
理緒はぼんやりと想像する。
高校時代の兄。
バレンタイン。
女子に囲まれる姿。
「……知ってるとおりの兄です」
「あいつ、小学生の頃からモテてたからな」
誠さんはジュースを飲みながら笑う。
「でも達也、女子の話より妹の話してる方が多かったぞ」
理緒の手が止まる。
「……また、それですか」
「いや、ほんとほんと」
誠さんは軽い調子のまま続ける。
「お前は昔もっと負けず嫌いだった、とか」
「……」
「ゲームで負けると、べそべそ泣いてたらしいな」
「……」
「でも勝った時の笑顔が可愛かったって」
理緒は静かにコップへ視線を落とす。
誠さんはそこで少し目を細めた。
「でもさっき、神崎さんが言ってた話と違くね?」
理緒は顔を上げる。
「……何がですか?」
「兄と仲悪かった、みたいな話」
誠さんは軽く肩をすくめる。
「兄の話は昔の話だ、とかさ」
理緒の胸がわずかにざわつく。
「……仲が悪かったわけではなかったです」
小さく言ってから、続ける。
「……不仲になるほど、会話もなかったので」
「どういうこと?」
誠さんは眉を寄せる。
責めているわけではなく、純粋に疑問を口にしたような声だった。
「兄とは、ある時を境に話さなくなりました」
「……」
「その“ある時”って?」
理緒の脳裏に、兄の沈んだ笑顔がよぎる。
「……分かりません」
誠さんはストローをくるくる回しながら尋ねる。
「心当たり、全然ないの?」
その言葉に、理緒の呼吸が一瞬止まる。
理緒は視線を逸らした。
誠さんはそんな様子をじっと見つめる。
「……ま、少なくとも俺が知ってる達也は、妹大好きなシスコンだったけどな」
「シスコンって、そんな……」
冗談にしても、その響きは気恥ずかしかった。
誠さんは大真面目な顔で続ける。
「なのに妹は距離感じてて、実際ほとんど会話もなかった」
そこで理緒を見る。
「それって、変だと思わない?」
「それは……」
理緒は言葉を探す。
でも、うまく出てこない。
誠さんはそんな理緒を見て、ふっと笑った。
「ま、神崎さんにも何か心当たりありそうだし」
トレーを持って立ち上がる。
「今度また、ゆっくり聞かせてよ」
そう言って歩き出す。
無理に踏み込んでくる人だと思っていた。
でも、
私がまだ話す覚悟を持てていないことまで、見抜かれていたのかもしれない。
理緒はしばらく黙ったまま座っていた。
それから立ち上がり、誠さんの背中へ声を掛ける。
「……あの」
誠さんが振り返る。
「また、兄の話……聞かせてください」
誠さんはニヤッと笑った。
「もちろん」
理緒はなぜか、少しだけ肩の力が抜けるのを感じていた。




