第25話 同室とシスコン
毎日20時20分更新予定
全40話+番外編で完結となります。
晃サイドの続編を準備中です。
春の空気は、少しだけ騒がしい。
大学の正門をくぐった瞬間から、あちこちで声が飛んでいた。
「新入生歓迎でーす!」 「サークル興味ありませんか?」 「体験だけでもぜひ!」
色とりどりのチラシが視界に入る。
理緒はそれを避けるように歩いた。
「すみません」 「大丈夫です」 「興味ないです」
声を掛けられては断り、 また少し歩いて、 また断る。
その繰り返し。
誰かと揉めたいわけじゃない。
ただ、できるだけ静かに通り過ぎたいだけだった。
大学生活に、特別な期待はない。
友達がたくさん欲しいわけでも、 サークルで青春したいわけでもない。
講義を受けて、 必要な単位を取って、 穏やかに卒業できれば、それでいい。
いや。
そういう四年間がいい、と自分に言い聞かせていた。
理緒は人混みを避けながら歩く。
笑い声が聞こえる。
新歓の写真を撮っているグループ。 連絡先を交換している女子たち。 もう打ち解けたみたいに話している新入生。
眩しい、と思った。
別に嫌いじゃない。
でも、自分がその中にいる想像ができなかった。
高校生の頃も、ずっとそんな感じだった。
誰かと普通に話せる。 笑うこともできる。
でも、どこか一歩引いた場所にいる。
踏み込まない。 踏み込ませない。
そうしている方が、楽だった。
理緒は小さく息を吐く。
キャンパス内の桜は、まだ少しだけ花が残っていた。
春なのに。
新しい場所なのに。
自分だけ、季節から取り残されている気がする。
ふと、 中学時代の図書室を思い出した。
静かな空気。 ページをめくる音。 隣の席。
もう何年も前なのに、 記憶だけは、まだ温度を持って残っていた。
あの頃の自分は、 もう少し前向きだった。
春は春らしく過ごせていた。
でも。
その続きを、うまく生きられなかった。
だからきっと、 私はまだ、あの時の時間のままここにいる。
「——あ、いたいた」
突然、すぐ近くで声がした。
理緒が顔を上げる。
知らない男子学生が、 こちらを見ながら笑っていた。
「あのさ、起業に興味ない?」
理緒は理解が追いつかずに固まる。
「起業。会社起こすやつ、興味ない?」
「……はい? 私ですか?」
「さっき、広報研究会でちょっと足止めてたでしょ。今、広報やってくれる人探しててさ」
そこまで言ってから、男子学生は少し首を傾げた。
「あと、君のこと何か見たことある気がするんだよな」
理緒は怪訝そうに眉を寄せる。
「……よくある、ナンパの手ですか?」
その男子学生は気にした様子もなく笑った。
「違う違う。本当に。俺も思い出せないんだけど……」
「すみません。私はあなたを知りません」
そう言って軽く頭を下げ、立ち去ろうとした時だった。
「待って待って! 起業のほうは? 興味ない?」
呼び止められて、理緒は小さくため息をつく。
「興味ありません。すみませんが、失礼します」
その日は、それで終わった。
---
翌日。
理緒が大学の門をくぐった時だった。
「神崎さん!」
突然名前を呼ばれ、理緒は思わず振り返る。
少し離れた場所で、昨日の“起業の男子学生”がこちらに手を振っていた。
――名前、知ってるの?
理緒は足を止める。
男子学生はそのまま軽い足取りで近付いてきた。
「やっぱり、神崎さんで合ってた? 違うかもしれないけど、一か八かで呼んでみた」
「……本当に、私のこと知ってるんですか?」
「だから言ったじゃん」
悪びれもせず笑う。
理緒は少しだけ眉を寄せた。
「……あの、覚えてなくてすみません。どこで会いました?」
「俺、達也の小・中・高の同級生の佐藤誠。佐藤は日本に多すぎるから、誠って呼んで」
理緒の表情が、わずかに止まる。
誠さんは気にした様子もなく続けた。
「君ちゃんと会ったことあるのは小学生の頃。でも、高校の時に達也の写真で君の顔見たことあったからさ」
「……だから、私には記憶がなかったんですね」
理緒は小さく頭を下げる。
「すみません。……兄の友人ですか?」
「うん。寮で同室だった」
「……同室」
思わず、その言葉を繰り返す。
理緒の知らない兄の時間が、一瞬だけ頭をよぎった。
誠さんはそんな理緒を見ながら、軽く笑う。
「ね、時間ある? 少し話さない?」
理緒は一瞬だけ迷ってから、小さく頷いた。
「……はい」
「じゃあ、2号館のカフェテリア行こう」
「いえ……私、2限から授業なので……ここでお願いします」
「2限、どこの教室? 何の授業?」
「1号館の英会話です……」
「じゃ、俺もそれ受ける」
「えぇ!?」
理緒は思わず声を上げた。
「英語はやっといて損ないし。俺、ゼミと必修以外は暇だしさ」
「でも……」
「いいからいいから。授業始まるまで話そう」
「……はい」
1号館103号室。
席に着くなり、誠さんが理緒のほうを見る。
「で、神崎さんは俺に聞きたいこととかないの?」
「え……聞きたいこと、ですか?」
「うん。兄の寮生活とか、シスコンっぷりとか」
「シスコン……?」
理緒は首をかしげる。
冗談だと思って流そうとするが、誠さんは平然としていた。
「そう、シスコン。妹の写真持ち歩いてたし」
「……まさか」
「まぁ、君一人じゃなくて家族写真だけど。あれは完全にムッツリシスコンだと思うぜ」
「そんなはず……」
「兄妹、仲良かったんじゃないの?」
その言葉に、理緒の指がわずかに止まる。
「……いえ。兄が中学に入ってからは、ほとんど話していません」
「へぇ、思ってたのと違うな」
「……違いますか?」
「うん。あいつ、わりと君の話してたからさ」
「兄が……私の話を?」
理緒はまっすぐ誠さんを見る。
誠さんはたしかに頷いた。
「勉強できるとか、意外と負けず嫌いとか、周り見すぎるタイプだとか」
「……それ、私ですか?」
「そう」
理緒は視線を落とす。
「それは……昔の私だと思います。兄と距離ができる前の」
「ふーん」
誠さんは興味深そうに息を吐いて、理緒を見定めるように視線を上から下へ動かす。
「私が兄のように勉強できたら、ここではなくて、もっと上の大学へ行ってますよ」
理緒は誤魔化すように笑う。
「そういえば、兄の高校の同級生なんですよね。あんな名門高校から、なんでこの大学に?」
「俺? 起業したいから」
「……それ、本気だったんですね」
「まぁな」
誠さんは笑う。
「でさ、神崎さんも本当はもっと上いけたんじゃないの?」
「……そんなこと……」
言いかけたところで、講師が教室に入ってくる。
誠さんは軽くノートを開きながら言った。
「ま、とりあえずこの話はまたこの後な」




