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まだ恋とは呼べない距離で  作者: rio
大学生編
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29/48

第25話 同室とシスコン

毎日20時20分更新予定

全40話+番外編で完結となります。

晃サイドの続編を準備中です。

春の空気は、少しだけ騒がしい。


大学の正門をくぐった瞬間から、あちこちで声が飛んでいた。


「新入生歓迎でーす!」 「サークル興味ありませんか?」 「体験だけでもぜひ!」


色とりどりのチラシが視界に入る。


理緒はそれを避けるように歩いた。


「すみません」 「大丈夫です」 「興味ないです」


声を掛けられては断り、 また少し歩いて、 また断る。


その繰り返し。


誰かと揉めたいわけじゃない。


ただ、できるだけ静かに通り過ぎたいだけだった。


大学生活に、特別な期待はない。


友達がたくさん欲しいわけでも、 サークルで青春したいわけでもない。


講義を受けて、 必要な単位を取って、 穏やかに卒業できれば、それでいい。


いや。


そういう四年間がいい、と自分に言い聞かせていた。


理緒は人混みを避けながら歩く。


笑い声が聞こえる。


新歓の写真を撮っているグループ。 連絡先を交換している女子たち。 もう打ち解けたみたいに話している新入生。


眩しい、と思った。


別に嫌いじゃない。


でも、自分がその中にいる想像ができなかった。


高校生の頃も、ずっとそんな感じだった。


誰かと普通に話せる。 笑うこともできる。


でも、どこか一歩引いた場所にいる。


踏み込まない。 踏み込ませない。


そうしている方が、楽だった。


理緒は小さく息を吐く。


キャンパス内の桜は、まだ少しだけ花が残っていた。


春なのに。


新しい場所なのに。


自分だけ、季節から取り残されている気がする。


ふと、 中学時代の図書室を思い出した。


静かな空気。 ページをめくる音。 隣の席。


もう何年も前なのに、 記憶だけは、まだ温度を持って残っていた。


あの頃の自分は、 もう少し前向きだった。


春は春らしく過ごせていた。


でも。


その続きを、うまく生きられなかった。


だからきっと、 私はまだ、あの時の時間のままここにいる。


「——あ、いたいた」


突然、すぐ近くで声がした。


理緒が顔を上げる。


知らない男子学生が、 こちらを見ながら笑っていた。


「あのさ、起業に興味ない?」


理緒は理解が追いつかずに固まる。


「起業。会社起こすやつ、興味ない?」


「……はい? 私ですか?」


「さっき、広報研究会でちょっと足止めてたでしょ。今、広報やってくれる人探しててさ」


そこまで言ってから、男子学生は少し首を傾げた。


「あと、君のこと何か見たことある気がするんだよな」


理緒は怪訝そうに眉を寄せる。


「……よくある、ナンパの手ですか?」


その男子学生は気にした様子もなく笑った。


「違う違う。本当に。俺も思い出せないんだけど……」


「すみません。私はあなたを知りません」


そう言って軽く頭を下げ、立ち去ろうとした時だった。


「待って待って! 起業のほうは? 興味ない?」


呼び止められて、理緒は小さくため息をつく。


「興味ありません。すみませんが、失礼します」


その日は、それで終わった。


---


翌日。


理緒が大学の門をくぐった時だった。


「神崎さん!」


突然名前を呼ばれ、理緒は思わず振り返る。


少し離れた場所で、昨日の“起業の男子学生”がこちらに手を振っていた。


――名前、知ってるの?


理緒は足を止める。


男子学生はそのまま軽い足取りで近付いてきた。


「やっぱり、神崎さんで合ってた? 違うかもしれないけど、一か八かで呼んでみた」


「……本当に、私のこと知ってるんですか?」


「だから言ったじゃん」


悪びれもせず笑う。


理緒は少しだけ眉を寄せた。


「……あの、覚えてなくてすみません。どこで会いました?」


「俺、達也の小・中・高の同級生の佐藤誠。佐藤は日本に多すぎるから、誠って呼んで」


理緒の表情が、わずかに止まる。


誠さんは気にした様子もなく続けた。


「君ちゃんと会ったことあるのは小学生の頃。でも、高校の時に達也の写真で君の顔見たことあったからさ」


「……だから、私には記憶がなかったんですね」


理緒は小さく頭を下げる。


「すみません。……兄の友人ですか?」


「うん。寮で同室だった」


「……同室」


思わず、その言葉を繰り返す。


理緒の知らない兄の時間が、一瞬だけ頭をよぎった。


誠さんはそんな理緒を見ながら、軽く笑う。


「ね、時間ある? 少し話さない?」


理緒は一瞬だけ迷ってから、小さく頷いた。


「……はい」


「じゃあ、2号館のカフェテリア行こう」


「いえ……私、2限から授業なので……ここでお願いします」


「2限、どこの教室? 何の授業?」


「1号館の英会話です……」


「じゃ、俺もそれ受ける」


「えぇ!?」


理緒は思わず声を上げた。


「英語はやっといて損ないし。俺、ゼミと必修以外は暇だしさ」


「でも……」


「いいからいいから。授業始まるまで話そう」


「……はい」


1号館103号室。


席に着くなり、誠さんが理緒のほうを見る。


「で、神崎さんは俺に聞きたいこととかないの?」


「え……聞きたいこと、ですか?」


「うん。兄の寮生活とか、シスコンっぷりとか」


「シスコン……?」


理緒は首をかしげる。


冗談だと思って流そうとするが、誠さんは平然としていた。


「そう、シスコン。妹の写真持ち歩いてたし」


「……まさか」


「まぁ、君一人じゃなくて家族写真だけど。あれは完全にムッツリシスコンだと思うぜ」


「そんなはず……」


「兄妹、仲良かったんじゃないの?」


その言葉に、理緒の指がわずかに止まる。


「……いえ。兄が中学に入ってからは、ほとんど話していません」


「へぇ、思ってたのと違うな」


「……違いますか?」


「うん。あいつ、わりと君の話してたからさ」


「兄が……私の話を?」


理緒はまっすぐ誠さんを見る。


誠さんはたしかに頷いた。


「勉強できるとか、意外と負けず嫌いとか、周り見すぎるタイプだとか」


「……それ、私ですか?」


「そう」


理緒は視線を落とす。


「それは……昔の私だと思います。兄と距離ができる前の」


「ふーん」


誠さんは興味深そうに息を吐いて、理緒を見定めるように視線を上から下へ動かす。


「私が兄のように勉強できたら、ここではなくて、もっと上の大学へ行ってますよ」


理緒は誤魔化すように笑う。


「そういえば、兄の高校の同級生なんですよね。あんな名門高校から、なんでこの大学に?」


「俺? 起業したいから」


「……それ、本気だったんですね」


「まぁな」


誠さんは笑う。


「でさ、神崎さんも本当はもっと上いけたんじゃないの?」


「……そんなこと……」


言いかけたところで、講師が教室に入ってくる。


誠さんは軽くノートを開きながら言った。


「ま、とりあえずこの話はまたこの後な」


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