4-06 第十三代魔女として召喚されましたが、使命など無視して先代魔術師の師匠を救います
どこにでもいる普通のOLだった茉莉香は、ある日突然異世界に召喚された。
見知らぬ城の中で杖を掲げた人々に取り囲まれて困惑していると、周囲の人々も何やら困惑している様子である。どうも、男性を召喚したつもりが、なんの間違いか女性である茉莉香が召喚されてしまったらしい。この国では召喚された男性は魔術師として国の繁栄を導く存在となるが、逆に女性は『魔女』として国を破滅に導くとされているのだという。
茉莉香は召喚に同席した王族の命令で殺されそうになるが、現魔術師であるエリアスの進言により第十三代魔女・マリカとして修業を受けることになる。知らない世界で人々に嫌悪の視線を向けられながら生きる羽目になったマリカの唯一の救いは、師匠のエリアス。彼は、枯れ専のマリカにとって、まさに理想ともいえるオジ様だった。
「召喚成功です!」
耳を劈くような声が響いて、はっと意識が戻った。
目の前に広がっているのは、歴史や美術の教科書で見たような荘厳な絵画があしらわれた高い天井。そして視界の隅に蠢く黒い何かだった。
手のひらに伝わるのは、ツルツルとした冷たい床の感触。どうも私は仰向けで横になっているらしい。
起き上がって周囲を確認すると、黒い何かだと思っていたのは私を取り囲む人々の頭だった。みな一様にフードのようなものを被り、私に向かって杖をかざしている。
「えっ、どういう状況?」
思わずつぶやいた声は、背後から浴びせられた大声にかき消された。
「エリアス、これは一体どういうことだ!! これは女ではないか!!」
驚いて振り返れば、男性が私を見下ろしながら叫んでいた。男性は優雅に波打つ長い髪と髭をたくわえ、大粒の宝石をふんだんにあしらった金の王冠を被っている。生まれてはじめて見るが、多分、王様というものなのだと思う。
しかし、なぜこの人は怒っているのだろうか。私は確かに女だけれども。
周囲の人々が慌てて宥めようとするが王は振り払うようにして更に大声で叫ぶ。
「ええい、エリアスはどうしたのだ。召喚で女が出てくるなど、前代未聞ではないか」
「へ、陛下、恐れながらエリアス様は召喚に多くの魔力を使われまして、現在、御前に出られる状況ではありません。ただいま総力を挙げて治癒に当たっておりますので、しばしお待ちを」
私から見て王のいる高みから反対側の方からそのような声が飛んだが、王の苛立ちは収まらない。ジロリと見下された瞳と目が合い、思わず体がびくりとする。それは王の方も同じようだった。
「くっ……! こっちを見るな、この魔女め!」
その言葉に周囲が一瞬静まり返った。そして、周囲の人々は私の方を見ながら眉をひそめ、小さなささやきだったものが徐々に大きなうなりとなっていく。
目に浮かんでいるのは困惑と恐怖だった。それらの色を浮かべた数えきれない瞳が、一様に私に向けられている。
魔女ってもしかして、私のこと? ずいぶんな言われようじゃない?
というか、訳が分からない。なぜ、私はこんなところにいるのだろうか。
小日向茉莉香、34歳。
友人たちが次々に結婚して家庭を作り、最近はなんとなく行き遅れ感が出てきたものの、どこにでもいる普通のOL。それが私だ。
今日は、待ちに待った新作ドラマが放送される日だったはずだ。シリーズもので、前作から実に四年ぶり。活動再開したばかりの久しぶりの推しの供給を、私はそれはそれは楽しみにしていた。
二十二時から始まるのに合わせて仕事を終え、帰宅していた途中だったと思う。家の近くのコンビニで、ドラマのお供に気になっていた新作のスイーツとお酒を買って、ご機嫌で信号を渡って。そして、ふっと空に輝いていた月を見上げたら……気が付いたらここにいた。
よく見れば私の周りには通勤バッグに、コンビニの袋が散らばっている。ヒールが片方脱げて見当たらないが、服も仕事帰りの格好のままだ。それが否が応でも私に現実を突き付けてくる。
見える景色は明らかに日本のものではないし、おそらく地球上のどこの国でもない。だって、あの王様のような鮮やかな緑色が地毛の人なんて地球には存在しないのだから。
もしかして、最近流行りの異世界転生っていうやつだろうか。
私も好きで読み漁っていたが、猫を助けてトラックに轢かれてとか、通り魔に刺されてとか、落ちてきた本に潰されてとか……一度地球で死んでから異世界に飛ばされるものばかりだったと思う。私には死んだ記憶がないが、最後に覚えている景色は交差点だから車にでも轢かれたということだろうか。
ただ、ひとつ疑問だ。
そういった異世界転生モノは、大体は特殊能力を持っていたり、男なら勇者、女なら聖女とかになって異世界の人々にチヤホヤされるのに、この場はどう考えてもそんな歓迎ムードではない。やっぱりどういう状況なのか分からない。
頭の中で色々逡巡して、思わずため息がこぼれる。
この状況に対して確かに気になることは多い。幸いなことに置いてきた家族といったような存在は私にはない。仕事だって、私の代わりはいくらでもいるだろう。けれど、何よりも心残りなのは推しが出演するドラマのことだ。
何とかして帰れないだろうか。おそらくこの場で一番偉いであろう王もいまだ怒っているし、周囲の人たちもどうすればいいか分からず困惑している様子だ。なかったことにして、元の世界に帰る。それがお互いにいいのではないだろうか。
チラリと腕時計に視線を落とす。アナログ時計は変わらず秒針を打っていた。
うん、まだ二十一時半。今ならまだ間に合う!
しかし、一体どうすれば帰れるのだろうか。先ほど『召喚』と言っていた。召喚なのであれば、召喚した人にお願いすれば逆に帰ることも可能なのではないか。確か、召喚した人は今――
「おい、お前! 先ほどから何をひとりでぶつぶつ言っている!」
思考に耽っていると、急に肩を掴まれた。痛い。
声が降ってきた方向を見上げると、私の肩を掴んできたのは鎧姿の男だった。確か、王の後ろに控えていた人だ。ファンタジーの世界だと護衛騎士、というものだろうか。金属に覆われた指が食い込む。
「つッ……」
私を見るその目は、憎悪に満ちていた。背後に見える王もまた同じ目をして私を睨みつけている。その向けられた敵意に、私の中で何かがプツリと音を立てて切れた。
私は推しのドラマを見たいだけなのに、ここに私を呼んだのはそっちじゃないか。なぜこんな扱いを受けなければいけないのか。
「……何なのよ」
私の心の中に、激情が渦巻くのを感じた。それは、これまでなるべく目立たないように生きてきた私にとって、推し以外に対して久しぶりに感じたものだった。自分自身の内なる感情に少し戸惑うものの、その熱は抑えがたく私を飲み込んでいく。
帰りたい。元の世界に。
召喚だとか魔女だとか私にはどうでもいい。ここがどんな世界か、なぜ召喚されたのかだなんて知りたくもない。
早く帰りたい。推しのいる世界へ。
……そんな目で、私を見ないで。
「私は元の世界に帰りたいのよ」
そう言って、私はいまだ肩に載せられたままだった不躾な手を掴んだ。すると、ジュゥっという音がしたと同時に、金属がどろりと溶けていく感覚がした。
「うわあああ!! て、手が……!!」
騎士がそう言って私のそばから跳ね飛ぶ。
もだえる騎士の手からは煙が立ち上がっていた。その様子を見てか、あれほど不快な視線と囁きに満ちていた周囲が一気に静まり返る。
私の内側から熱が湧き起こる感覚がする。それは体中を波のように駆け巡り、五臓六腑を熱で満たしていく。毛穴という毛穴から溢れた熱が噴き出て、視界がゆらゆらと揺らめく。とても気分がいい。
私は膝に手をつきながらゆっくりと立ち上がった。勢いで熱気が頬を撫でた。
一方で、王から怒りの色は消え、へたりとその場に崩れ落ちたのが見えた。私に向けられる驚愕に歪む表情は、思いのほか悪くなかった。
「私は一刻も早く元の世界に帰りたいの、ここに私を召喚した人は誰なのよ」
もっと怯えればいい。私を召喚したことを後悔して、謝罪して、元の世界に送り返してくれさえすれば。
でも待って? 送り返してくれるのは、エリアスとかいう私を召喚した人だ。こいつらではない。じゃあ、この不快なやつらは……いらない?
おもむろに指先を王に向ける。向こうの世界にいたときは決してありえなかった。けれど、今なら何かができる気がした。
その仕草を見て、王は目を見開き体をびくりと震わせる。私が何を考えているか察したようだ。
「こ、殺せ! この魔女を殺せッーー!!」
「……うるさい」
「そこまでだ」
王の叫びをきっかけにからだの熱が一気に溢れようとしたその時、私の後ろから声がした。澄んだ声だ。それも、聞き覚えのある声。
同時に、私の熱が一気に冷めた、強制的に放出させられたといっていいかもしれない。急激に力が抜けて私は膝から崩れ落ちる。
床に触れた手がガタガタと震えているのがわかった。背後からカツンカツンと足音が聞こえる。張り詰めた空気に、今度は冷や汗が出てきた。
私は何を考えた?
王を殺そうとした。この国一番の偉い人を。それが失敗に終わったいま、私がしようとしたことは決して許されることはないだろう。
————殺される。こちらに向かってきている、私を封じた人に。
足音が真後ろに迫り、ぎゅっと目を瞑る。
すると、肩にふわりと手が置かれた。優しい手だった。そして小さく「失礼」という声がしたと思えば、私の体は誰かに抱きかかえられた。俗に言う、お姫様抱っこの格好である。
驚いて私を抱きかかえている人の顔を見る。そこで見た横顔に私の瞳はまた見開かれた。
「あ、あなたは……」
間違えるはずがない。私は彼らを推していたのだから。でも、彼は……四年前に失踪したはずだ。なぜ彼がここに? それに、私が知っている時よりも二十歳くらいは年齢が高くなっているように見える。
混乱する私をよそに、彼は王に、そして周囲に言い聞かせるようにして高らかに言った。
「この娘は、第十二代魔術師である私——エリアスが預かります」





