4-05 〈ドクター・デュラハン〉生首令嬢と首なしメイド
19世紀、倫敦。新聞記者のアランは英国各地を騒がせる怪盗「美顔伯爵」によって、最愛の妹マギーの顔を盗まれる。
失意の彼の前に現れたのは、「ドクター・デュラハン」を名乗る黒衣の淑女と機械技師の男だった。彼らは妹に仮の顔を与え、立ち去る。
「今見たことは他言無用でしてよ」
「もし話せば、貴方の妹は二度と、本当の顔を取り戻せないでしょうね」
「そんなに気になるなら、ご自分で調べてみてはいかが?」
そんな淑女の挑発に乗り、アランは彼らについて調べ始める。彼女「達」もまた、体を奪われた被害者であるとも知らずに……。
※この物語はフィクションです。実在の人物や歴史とは一切関係ありません。
今朝の倫敦は曇り空で、今のアランの心中を表しているかのようだった。
馴染みの老医者と共にアパートへ戻り、きしむ階段を上る。やがて、アランと彼の妹が暮らす屋根裏部屋にたどり着いた。
「先生。くれぐれも、妹を不安にさせるようなことは言わないでくださいね」
「分かっておる。ワシはこれでも医者じゃぞ」
アランは医者の姿を見て、不安になる。寝起き眼にボサボサの髪、白衣の下はパジャマと、まるで説得力のない格好だったが、今頼れるのは彼しかいなかった。
アランは一呼吸置き、ドアをノックした。
「マギー、僕だ。ドクターを連れてきた」
「……」
返事はなかったが、構わずドアを開けた。
部屋の中から廊下へ、風が吹き抜ける。賊が逃げる際、窓を破ったせいだ。大家の叔母が見たら、悲鳴を上げるに違いない。
妹のマギーはベッドの上に腰掛けていた。アランと老医者に気づき、顔を上げる。横で、老医者が息を呑んだのが分かった。
マギーには顔がなかった。耳の手前で、前髪ごとすっぱりと裁断されていた。
どういうわけか、血は一滴も出ていない。意識もある。
さらに奇妙なことに、彼女の断面は良質な石炭のごとく光沢を帯びた黒に染まっていた。時折、水面に浮かぶ波紋のような虹色の紋様が、浮かび上がっては沈んだ。
「どうですか、先生?」
老医者は神妙に頷いた。
「間違いない。本物の"美顔伯爵"のしわざじゃ。ワシが診た他の被害者の顔も、こうなっておった」
アランは予告状を握りしめた。
悔しかった。妹が狙われていると分かっていたのに、止められなかった。
♦︎
最近、「美顔伯爵」を名乗る賊が、英国各地に出没している。
文字通り、顔を盗む怪盗で、犯行直前には律儀に予告状まで出す。その美的センスは独特で、百年に一度の美貌と名高い人気舞台女優の顔から、小汚い浮浪者の顔まで盗んだ。
また、「伯爵」を名乗ってはいるものの、正確な年齢や性別、階級など、素性は一切分かっていない。目撃者はいるにはいたが、「犯人は全身ツギハギの男」だの「異国の刀を使って、被害者から顔を切り取った」だの、眉唾な情報ばかりだった。
倫敦で新聞記者をしているアランもスクープをモノにすべく、美顔伯爵を追っていた。まさか、自分の妹が標的になるとは思いもしなかった。ましてや、顔を盗まれても死なないなどとは。
今のマギーは目が見えず、話せず、食事もできない。暗闇の中、飢えによる死を待つばかりだった。
「先生。妹は一生、このままなのでしょうか? これではあまりにも惨すぎます」
ならばいっそ、と心にもないことをアランが口走ろうとしたのを察し、老医者は彼の言葉をさえぎった。
「だから、ここへ来る前に"専門家"に電話をかけてきた。そろそろ着く頃じゃ」
「専門家?」
そのとき、アパートの前に馬車が止まった。二人分の足音が上がってくる。一人が先に、屋根裏部屋の前に到着した。
「ドンドン!」と、激しくドアをノックされる。対照的に、小鳥のさえずりのように澄んだ若い女性の声が、ドアの向こうから聞こえてきた。
「ご機嫌よう。こちら、スミス御兄妹のお宅でよろしくて?」
「えぇ、そうですが」
アランが返答するや否や、バーン!とドアが開け放たれる。黒いドレスを纏い、顔を黒いヴェールで隠した淑女が、ズカズカと部屋の中へ入ってきた。ベッドの上のマギーに目を留め、真っ直ぐ向かっていく。
その異様な雰囲気に、アランは危機感を覚えた。妹の前に立ち、淑女の行手を阻む。
「なんですか、貴方は? 妹に何を……」
しかし淑女は全く意に介さなかった。無言でアランを押しのけると、マギーの前で膝をついた。
「ご心配なく。治療を終えたら、早々に立ち去りますわ。そもそも、わたくし達を呼んだのは貴方がたでしょう?」
遅れて、大きな鞄を提げたメガネで細身の男が、息を切らしながら部屋に入ってくる。機械技師か、男からはオイルの臭いがした。
「階段、きっつ。お嬢、置いていくなんてひどいじゃないですかぁ」
「うっさいですわね。美顔伯爵は待ってくれないのよ。お前がモタモタしている間に、被害者が増えたらどうするの?」
突然やって来た怪しげな二人組に、老医者は「間に合ったか」と安堵した。
「アラン。彼らが専門家の、ドクター・デュラハンじゃよ」
「ドクター、デュラハン?」
アランは眉をひそめた。
デュラハンは知っている。アイルランド島に伝わる、首のない妖精だ。あるいは死神とも呼ばれている。だがなぜ、そんな不吉な妖精の名を通り名として使っているのだろうか?
「僕は、ただの運転手兼荷物持ちですけどねー」
メガネの男は鞄を床に下ろし、開く。中は蛇腹になっており、大量のあるものが収納されていた。それを目にした一瞬、アランは「彼こそが美顔伯爵なのでは?」と疑った。
入っていたのは、大量の女の顔だった。血色が良く頬は薔薇色で、今にも瞼を開き、微笑みかけてきそうなほど、生気に満ちていた。
「これ、本物ですか?」
男はニンマリと歯を見せ、笑った。
「よく出来てるでしょお? 僕の最高傑作なの」
そして何を思ったか、アランの手をつかみ、ひとつの顔の頬へ指を押し当ててさせた。
「ひッ!」
アランの全身が総毛立つ。が、その感触は人間のそれとは違い、妙な弾力があった。
「まさか……作り物?」
「そのとおり!」
メガネの男は得意げに指を鳴らした。
「材質はトップシークレット。少なくとも、人間ではないよ。さぁ、警察が到着する前に、移植を済ませてしまおう。君の妹君に近い顔を選んでくれたまえ。細かい調整は後でするから、直感で選んでね」
アランは言われるまま、妹の顔に最も近い顔を選んだ。
「へぇ、結構可愛い子じゃないか」
「自慢の妹です。つい先週、結婚が決まったばかりだったのに……」
メガネの男は鞄から顔を取り出す。顔は仮面のような形状になっており、裏はマギーの断面と同じく、光沢のある黒に虹色の波紋が浮かんでいた。
男は仮面を持ってマギーのもとへ行き、彼女の顔の断面へあてがう。一方、淑女はポシェットから凝った意匠の小箱を取り出すと、中から赤みを帯びた黒い刃のメスを手にした。
「大丈夫よ、メイ。貴方にだってできるわ。断面に刃を這わせるだけでいいんですもの」
小声でささやき、メスを構える。そしてあろうことか、断面と仮面の間にできたわずかな隙間に、メスを差し込んだ。
「何をッ」
「まぁ、見てなさい」
動揺したのはアランだけで、メガネの男も老医者も平然としていた。
淑女はメスを隙間に差し込んだまま、顔のまわりを一周する。すると、メスをあてがった箇所から、仮面がマギーの顔にくっついていった。メスを引き抜き、メガネの男が持ってきた前髪のサンプルを額に貼りつけると、ほとんど元の妹の顔に戻っていた。
よくできた作り物だ、とアランは感心した。これなら、婚約者や周囲の目も欺けるかもしれない。
だが、マギーが顔を取り戻したわけではない。暗闇の中、飢え死ぬ運命は変わらない……そう思っていた。ところが、
「え?」
仮面の瞼がゆっくりと開いた。顔を上げ、青いガラスの瞳がアランの姿を捉える。
「お兄様?」
口が動き、妹の声で話す。作り物とは思えない、なめらかな動きだった。
アランはよろよろとマギーの前に膝をつき、彼女の手を取った。
「マギー、俺の姿が見えているのか?」
「はい。さっきまでは何も見えなかったけれど」
信じられなかった。作り物の仮面が、本物の顔のように動くなど、奇跡か魔法としか説明しようがない。
「いったい、どうやって」
淑女はメスを小箱へ戻し、冷たく言い放った。
「今見たことは他言無用でしてよ。警察にも職場のお友達にも話してはダメ。記事にするなんて、もってのほか。それが条件で治したのだから。もし話せば、貴方の妹は二度と本当の顔を取り戻せないでしょうね」
そして仕事は終わったとばかりに、部屋を後にした。
「ま、待ってくれ!」
アランは淑女を追う。たとえ身内が被害者だとしても、記者であるアランには真実を追い求める義務がある。
淑女は一度足を止めかけたが、「行くわよ」と再び歩き出した。足早に階段を下り
メリッ
……下りようとして、踏み板がへこんだ。
はずみで、淑女は前へよろめく。アパートの階段は急で、落ちれば下の階まで真っ逆さだ。
「危ない!」
アランが手を伸ばす。間に合わず、空をつかんだ。
ところが、
「貴方、記者でしょう?」
淑女は一切動じることなく、先の踏み板に手をつくと、
「そんなに気になるなら、ご自分で調べてみてはいかが?」
喋り続けながら、軽業師のように回転し、
「もし合っていたら、教えて差し上げてもよろしくてよ? 私達のこと、美顔伯爵のこと……」
手すりを飛び越えた。空中で一回転し、陽気なポーズを決めつつ、玄関へ着地する。
ちょうど、地上階の部屋から出てきた大家の叔母が淑女を見て、あんぐりと口を開いた。
「それでは、ごきげんよう」
淑女はスカートのすそをつまみ、階段の上から見ていたアランと叔母に対し、優雅にお辞儀すると、足早に出ていった。
「ちょっと! 階段を踏み外すなんて危ないじゃない! 私の顔に傷がついたらどうしてくれるの?! ……えっ? 私がちゃんと足元を見ていなかったせい? 嫌よ、下を見ながら歩くなんて! そんなの全然優雅じゃないわ!」
外から、淑女が一人で言い争う声が聞こえてくる。まるで頭と体が別人のようだと、アランは訝しんだ。





