4-03 拝啓、悪役令嬢のお嬢様――あなたの婚約破棄を防ぐために十年頑張ったんですが!?
俺は十年かけて、悪役令嬢セレスティアの破滅フラグを全部潰してきた――はずだった。
ところがある夜、彼女が王太子から婚約破棄されたとの報せが届く。
前世で妹が遊んでいた乙女ゲームでは、ここから彼女は断罪され、伯爵家ごと没落する。
当然、従者の俺――レオンもただでは済まない。
守ってきた未来も、俺の人生設計も、全部おしまいだ。
――そう絶望していた俺の前に、当の本人はなぜかご機嫌で帰ってきた。
「だって、ずっと好きな人がいたんだから!」
……待て。その相手って、まさか。
婚約を元に戻して破滅を回避したい俺と、十年越しの恋を叶える気満々のお嬢様。
どちらも一歩も譲らない。
そのうえ、潰したはずの断罪イベントまで、ゲームとは違う形で次々と起こり始めて――。
守るべきなのは、俺が思い描いた未来か。それとも――彼女自身の幸せか。
悪役令嬢×鈍感従者。十年分のすれ違いから始まる、主従ラブコメ!
その夜、ローデンベルク伯爵家は、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
「お嬢様が、王太子殿下から婚約破棄を言い渡されたんですって!?」
廊下を使用人たちが駆け回る。
「旦那様は!? 旦那様はどちらに!」
「さっき書斎に入られてから返事がありません!」
「奥様が気絶なさいましたーっ!」
メイド長は頭を抱え、庭師までなぜか屋敷の中へ飛び込んできている。
そんな大混乱の真ん中で。
「…………終わった」
誰にも聞こえない声で、そう呟いた。
何がって?
伯爵家の未来が、である。
ついでに、これまでの俺の努力も全部。
なぜなら――婚約破棄の先に待つ結末を、この世界で俺だけが知っているから。
ここは、前世で妹がプレイしていた乙女ゲームの世界。
そして俺が仕えている伯爵令嬢セレスティアは、物語の最後に王太子から婚約破棄を言い渡され、破滅する。
――典型的な『悪役令嬢』だった。
✦ ✦ ✦
俺が潰してきたはずの破滅フラグ。
それが、よりにもよって最後の最後で――。
「……くそ」
ふと顔を上げると、廊下の壁に掛けられた十年前の肖像画が目に入った。
ぶかぶかの執事服で緊張した笑顔を浮かべる俺と、その隣ですました顔の小さなセレスティア。
『あなた、今日からわたくしの従者なの?』
『そうらしいです』
『ふうん。あまり賢そうには見えないわね』
見た目こそ同い年だが、こっちは前世の記憶持ち。八歳の少女の憎まれ口くらい、笑って流せる。
それより気になったのは、その姿だった。
金色の髪に澄んだ青い瞳。子どもながらに、ずいぶん整った顔立ちをしている。
……それにしても、どこかで見たような?
記憶を辿ろうとしたところ、セレスティアが得意げに口を開いた。
『まあ、難しいことは頼まないから安心なさい。わたくしの言うことを聞くくらいなら、よわよわな頭のあなたにもできるでしょう?』
彼女は可愛らしく笑った。
『それすらできない、ざーこな従者だったら困るもの』
……前言撤回。
こいつ、可愛い顔してめちゃくちゃ生意気だ。
『顔は可愛いのに、ずいぶん残念なお嬢様ですね』
『か、可愛いって……なっ! 従者のくせに生意気よ!』
『先に言ったのはお嬢様でしょう』
早々に言い合いを始めた俺たちを見て、伯爵夫人はなぜか楽しそうに笑っていた。
『ふふ、ずいぶんレオンと気が合うみたいね。せっかくだもの、記念に二人の肖像画を描いてもらいましょうか』
どう見ればそうなるのか。
並んで座らされた俺たちは、画家から何度も「もう少し仲良く笑ってください」と頼まれた。
もちろん無理な話だ。表面上こそ笑顔を作っているものの、椅子の下では今まさに、お互いの足を踏み合っている。
ぷくっと頬を膨らませ、そっぽを向くお嬢様。
その横顔を見た瞬間――胸の奥に、妙な引っかかりを覚えた。
『……お嬢様』
『なによ』
『改めて、お名前を聞いてもいいです?』
不意にまっすぐ見つめられて面食らったのか、彼女はほんのり頬を染めると、それを隠すようにつんと顎を上げた。
『セ、セレスティア・ローデンベルクよ。あなた、自分が仕える主人の名前も覚えていないの?』
――セレスティア・ローデンベルク。
名前を聞いた瞬間、前世の記憶がまとめて殴り込んできた。
『ふーん。そんなに見つめちゃって……もしかして、わたくしに惚れたのかしら? ざ、ざーこのくせに、見る目だけはあるのね』
あどけなさの残る顔立ちに、ゲームで見た彼女の面影がはっきり重なる。
主人公ミイナに嫉妬し、嫌がらせを繰り返した末に断罪される――あの悪役令嬢だ。
『……まさか、マジか』
『ちょ、ちょっと。人の顔ばっかり見てないで、返事くらいしなさいよ』
しかも俺は、攻略対象でもなんでもない。
最後には破滅する悪役令嬢に仕える、ただの従者だったのだ。
✦ ✦ ✦
それから十年。
俺はずっと彼女の側にいた。
わがままで生意気な可愛いクソガキ――もとい、お嬢様をたしなめつつ、礼儀作法の稽古にも勉強にも付き合った。
一緒に破滅して人生終了なんて、絶対にごめんだ!
その甲斐あって、今のセレスティアは社交界で『白薔薇の令嬢』と称えられる完璧令嬢だ。
王太子ユリウスとの仲も悪くない。少なくとも俺には、殿下も彼女を大切にしているように見えた。
これならもう、ゲームのような断罪なんて起こらない。
――そう思っていた。なのに。
「婚約破棄って……俺の平穏な人生設計が……」
膝から崩れ落ちそうになった、そのときだった。
屋敷の外で、馬車の止まる音がした。
「お嬢様が夜会からお戻りになったぞ!」
ただでさえ騒がしかった屋敷が、さらに大きくざわめく。
そして――。
「レオン! ねえ、レオンはどこ?」
聞き慣れた声が飛んできた。
「……お嬢様?」
「レオン! お嬢様がお呼びだ!」
急いで玄関広間へ向かうと、ちょうどセレスティアが馬車から降りてくるところだった。
月光を弾く淡い金髪に、あの頃と変わらない澄んだ青い瞳。
薄桃色のドレスが、彼女の華やかさをいっそう引き立てている。
可愛い顔で俺を「ざーこ」と煽っていた生意気な少女は、今では誰もが振り返るほど美しい令嬢になっていた。
「セレスティア様!」
「遅いわよ、レオン」
「申し訳ありません。……その、大丈夫ですか?」
「何が?」
「何がって」
俺は言葉を失った。
おかしい。明らかに、いつもの落ち込んだときの顔じゃない。
十年も側にいれば、口元の緩み方や声の弾み方だけで、こいつの機嫌くらい嫌でも分かる。
これは――。
「お嬢様」
「なによ」
「もしかして今……ご機嫌ですか?」
彼女の肩がぴくりと揺れた。
「……別に?」
「嘘ですね」
「嘘じゃないわ」
「右の口角が上がってます」
「上がってない」
そう言いながら、セレスティアはさりげなく口元を手で隠した。
怪しい。
顔を覗き込むと、わずかに頬を赤くして、ぷいっと横を向く。
どう見ても落ち込んでいる人間の顔じゃない。
……なんだ。そういうことか。
「な、なによ。そんなにじっと見て……変な顔でもしてる?」
「いえいえ、屋敷に『お嬢様が婚約破棄された』なんて話が伝わってきてたんですよ。いやあ、噂って怖いですね」
張り詰めていたものが一気にほどけて、思わず大きく息を吐いた。
「よ、よかったぁ……!」
「奥様にお知らせしないと!」
「旦那様も書斎から出ていただかないと!」
さっきまでの大騒ぎが嘘のように、屋敷中にほっとした空気が広がった。
「いいえ、されたわよ?」
さらり。
今日のお茶の銘柄でも答えるような軽さだった。
「……え?」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「王太子殿下に?」
「そうね」
「大勢の貴族が見てる前で?」
「結構、見物人が多かったわね」
確認するたびに、セレスティアは何でもないことのように頷く。
「じゃあ、なんでそんな平然としてるんです!?」
とうとう耐えきれず叫ぶと、俺の声が玄関広間いっぱいに響いた。
さっきまで安堵していた使用人たちの視線が、一斉にこちらへ集まる。
けれどセレスティアは一瞬きょとんとしただけで、
「だって」
何がおかしいのか、にっこりと笑った。
「婚約破棄されるように頑張ったんだもの」
「…………は?」
「計画通りよ」
そう言って右手を上げ、人差し指と中指をぴっと立てる。
――ぶい。
昔、俺が教えた勝利のポーズだった。
「何やってんですかああああああっ!」
「ちょ、声が大きい!」
「大きくもなりますよ! あなたが婚約破棄されないよう、俺がどれだけ頑張ったと思ってるんですか!」
「知らないわよ、そんなの!」
頭を抱える俺に、セレスティアも負けじと声を張る。
これまで、わがままをたしなめ、勉強に付き合い、ミイナとの仲まで取り持ってきた。それなのに、当の本人が進んで婚約破棄されにいっていたとは。
「十年ですよ! 俺の十年!」
「そんなの頼んでないもの!」
「恩知らず!」
「従者が主人に言う言葉!?」
気づけば、いつもの言い合いになっていた。
「そもそも、なんでわざわざ婚約破棄なんてされたんです!」
「だって仕方ないでしょう?」
「何がですか!」
セレスティアは一瞬だけ言いよどみ、視線を泳がせた。
「……ずっと、好きな人がいたんだから!」
言い切ったあと、彼女は頬を赤くしながら、ドレスの裾をきゅっとつまんだ。
「口うるさいし、わたくしのお菓子を勝手に取り上げるし、すぐ説教する人」
「そんな男のために婚約破棄したんですか。今すぐ殿下に謝って、婚約を元に戻してもらいましょう」
「……でも、ずっと側にいてくれたわ」
ん?
「失敗すれば一緒に怒られて、泣けば笑うまで付き合ってくれた。欲しいものも探してくれたし、熱を出せば一晩中側にいてくれた」
「…………」
「わたくしが王太子妃になれるように、誰より真剣に考えてくれてた」
んんん?
ずっと、お嬢の側にいた男?
……はて。
「……誰です、その男」
彼女は一瞬だけためらってから、そっと顔を上げた。
目が合うと、恥ずかしそうに唇をきゅっと結ぶ。
それから、おそるおそる伸ばした人差し指を、ちょこんと俺に向けた。
「あなたよ。……わたくしの、口うるさい従者さん」





