4-02 アシュカトラの最強門番は、盗賊姫を逃さない。
戦乱の世が明け、国家アシュカトラに平安が訪れてから二百年。
湖上に築かれた聖都には、科学、芸術、産業など、最も進んだ技術を集め繁栄を極めている。都と外の街々を結ぶのは、厳重な検査所を備えた「二十一の関門」。新たな知識や発明は、国が定めた期間を過ぎるまで、関門の外へ持ち出すことは許されない。
青年ヴェノムは、関門を守る長。最難関とされる二十一番を統括し、聖都から文明を持ち出そうとする「盗人ども」へ鉄槌を下す。それが彼の日常。
少女フォリナ・サロは、盗賊団の姫。東果てにある「溝」に身を潜め、聖都に独占された宝を奪還する日を待ち続けている。それが彼女の生きる理由。
文明を守る者と、取り戻す者。相容れない正義を抱く二人が出会ったとき、揺るがないはずだった世界の秩序が、ついに軋み始める。ヴェノムは盗賊団とその姫を落とすことが出来るのか——色んな意味で。
二十一の門が順に開く音で、アシュカトラの民は朝を知る。
湖の向こうに第一門の鐘が三度鳴り、続いて第二門、第三門。低い音が水面を滑り、聖都から放射状に延びる石造りの堤道を伝っていく。
第二十一番の門衛隊長ヴェノムへ届く頃には、夜闇色を抱いていた空も白く霞み始める。
「通行証を示せ! 荷物はすべて台の上へ!」
紺の制服に身を包んだ門衛たちが、長蛇の列を誘導している。毎朝の光景を、ヴェノムは監視塔から見下ろしていた。
「次。前へ出ろ」
灰色のシャツを着た男が、布袋と通行書を検査官に差し出す。
「……市場に染料を届けた帰りで、間違いないな」
「はい。これから村に帰ります」
「ん? お前、後ろにも何か持っているな?」
検査官が腰を指差した途端、男が駆け出した。ヴェノムは即座に手すりを乗り越える。
「逃亡者だ!」
ヴェノムの体が空を舞い、下の荷車の幌を踏んだ。その反動で人々の頭上を越え、逃亡者の進路へ先回りする。
男が物売りを押し退け、赤い果実が石畳へ散った。その一つが湖へ落ちるより早く、男の手首を取って石床に伏せさせれば、小さな革袋が転がり落ちる。
「それだけは返してくれ!」
「俺たちから逃げてまで、外へ持ち出したかったものは何だ?」
門衛が男を拘束する横で、ヴェノムは小刀で袋の糸を切る。現れたのは、握り拳ほどの瓶。陽光に聖都医薬院の銀印が輝いた。
「第三種熱病の薬か。専有期限は、あと七年」
「娘が病気なんだ……!」
押さえつけられた男は、顔だけをヴェノムへ向けた。
「これがあれば助かる。娘に飲ませたら、すぐ瓶も割る。だから……!」
「薬師に成分を調べさせない保証などない。どこかで売り捌くつもりかもな」
「そんなことしない! 頼む……たのむよ……」
男が絶望の声を絞り出す。痩せた頬、擦り切れた袖。革袋には不揃いな花の刺繍がある。ヴェノムはそこから視線を逸らし、小瓶を仲間へ差し出した。
「シカリ。これは押収庫へ。こいつには、盗人の印を入れろ」
「了解」
「娘が死んじまう! お前ら、それでも人か!?」
悲鳴を背中に負い、ヴェノムは黒髪を掻き上げる。革底が監視塔を昇る音だけが、しばらく重く続いた。
そして午後の鐘が鳴った頃、彼のブーツはまた地上の埃を踏んでいた。
「オレ、盗んでねえよ!」
検査台の前で喚いているのは、声変わりすらしていない少年。
「これはお前の持ち込み品の中に無い。聖都で手に入れたものだろう」
広げた少年の荷物に、色鮮やかな焼き菓子が見える。
「姉ちゃんに持って帰りたかっただけだ」
「聖都の品を無断で持ち出せば、文明漏洩罪に当たる」
「でも、店のおばさんが持ってけって……」
少年の声が途切れる。検査官は記録を進め、処罰係へ向けて片手を上げた。
「待て」
「……隊長?」
ヴェノムは台の上から菓子を手に取る。皺だらけの包装紙を伸ばした瞬間、片方の口端がくっと上がった。
「検査官、よく見ろ。専有期間は先月で切れている」
指摘を受けた検査官は、慌てて眼鏡を引き寄せる。
「持っていけ。旅の途中で食うなよ。姉さんにちゃんと渡せ」
「……オレ、行っていいの?」
手袋の人差し指が、小さな額を軽く弾いた。
「ただし、次からは貰った物も全て申告しろ。隠した時点で疑われるからな」
「いて……けど、ありがと」
少年は赤くなった額を押さえながら、門衛隊長を見上げて笑った。
——戦乱の終結から二百年。
この国の平和が続くのは、関門のおかげだと人々は言う。
湖の中央に築かれた聖都からは、二十一本の堤道が外界へ伸びている。人も荷も、外へ出るには必ず門を通り、通行証と携行品の検査を受けなければならない。
新しい薬。改良された種。壊れにくい車軸。長く火を保つ油。保存の利く食品。全ての発明には専有期間が設けられ、それを過ぎるまで外へ出すことは許されない。
文明は、力である。秩序なく広がる力は、往々にして愚者の手に堕ちる。
その哲学の下、「文明を守る」門衛たちは英雄そのものだった。禁制品を見抜く眼と法令知識、瞬時の判断力、それに高所を駆け抜け盗人を捕らえる身体能力。過酷な試験を越えた者だけが、紺色の制服を纏う資格を得る。
中でも、第二十一関門には精鋭が揃う。反逆者の潜む「溝」へと続いているからだ。そのため密輸、逃亡、武力衝突の発生件数が最も多く、「最難関」と呼ばれていた。
そして、その監視塔に立つ男が、ヴェノム・アシュカトラ。この国の第二王子である。
月が青空に白く浮かんで見えたその日、関門前に砂塵と悲鳴が舞った。
「盗人か!」
「三人います! 強行突破する気です!」
ヴェノムが監視塔から見下ろすと、三つの鉛色の影が地上を駆けていた。
「西側を塞げ!」
命じるなり、自らも塀の上を飛ぶ。
一足ごとに、視界に長い外套を着た一団が大きくなる。鉛色の外套たちは人の多い中央路を避け、橋の脇に連なる倉庫群の入り口に近づいた。
突然、体格の良い逃亡者が立ち止まる。黒く光る器具を取り出すと、こちらに向かって腕を真っ直ぐに伸ばした。
「伏せろ!」
ヴェノムの叫びと乾いた連射音が、同時に空気を震わせた。人々が一斉に身を伏せ、周囲では窓硝子が派手に砕け散る。門衛の一人が後方へ倒れ、赤い飛沫が石壁へ散った。
「どうして外の人間が、銃を……?」
隣で、シカリの太い声が揺れた。
「その答えは、奴らから聞こう」
ヴェノムは柱を蹴る。
二度目の銃撃が足元の石を砕いたときには、相手の懐に滑り込んでいた。剣の鍔で銃身を押し上げ、空いた腕で肘を取る。骨の軋む感触とともに男が崩れ、そのまま足を払って石畳へ伏せさせた。
「拘束しろ。銃には触るな。技術院を呼べ」
門衛にそれだけ指示すると、即座に走り出す。残りの二名は既に倉庫街に入っていた。
――先頭のあいつ、少年か。やけに俊敏だ。
ヴェノムは小柄な逃亡者に視線を定め、動きを読もうとした。敵は背に荷を負っているにも関わらず、塀を越え、柱を蹴り、細い手すりの上さえ速度を落とさない。まるで何度も駆け抜けたように。
――こいつら、俺の門の構造を熟知してやがる?
冷たい感覚が背筋を走る。
「北へ向かっている! 舟を用意したか!?」
シカリが叫ぶと、長身の逃亡者が振り向き、筒状の器具を投げた。床へ落ちた瞬間、白い煙が一気に広がっていく。
ヴェノムは襟から保護マスクを引き出した。視界は利かないが、足音と金具の擦れる音を追い、倉庫の外壁を登った。
屋根へ這い上がったとき、逃亡者たちが二棟先に見えた。そこへ、追いついたシカリが銃を構える。
「この際、仕方ない。撃つぞ!」
バツン、と鈍い音が空を裂き、弾は小柄な逃亡者の背中を確かに捉えた。はずだった。
外套の表面に銀色の波紋が一瞬だけ走り、衝撃に膝を突いた身体は、倒れることなく再び立ちあがろうとする。
「……防弾繊維だと? しかも、あの薄さで?」
シカリの当惑声。ヴェノムも一瞬だけ目を瞠ったが、そのまま剣を抜いた。
「抵抗するな! 荷を下ろし投降せよ!」
警告にも、逃亡者は怯まない。袖口から取り出した短刀が、迫るヴェノムの前髪をひと束切り飛ばした。この期に及んで、まだ狙いを定める精神力があるらしい。
ヴェノムは剣の腹で受け、短刀を横へ殴り捨てる。そのまま一歩踏み込み、返す刃で背負った荷の留め具を断った。重い包みが、どすんと屋根を叩く。
「く……っ」
「逃すかッ!」
身軽になった途端、逃亡者は再び跳ぼうとする。しかしヴェノムは外套のフードを掴むと力任せに引き戻し、羽交締めにした。
その鼻先を掠めたのは、甘い花の香り。戦いの最中にはあまりにも場違い過ぎた。
「はあ……?」
フードの下から現れた顔を見て、自分でも間抜けだなと思う声が漏れる。
腕の中にいるのは、せいぜい二十歳を越えたばかりの娘だった。汗に濡れた長い栗色の髪が頬へ張りつき、その隙間から、翡翠色の大きな瞳がヴェノムを睨み上げている。瑞々しい果実を切り分けたような唇が、わずかに開いた。
「今日はここまでだ」
その声まで、高く澄んでいる。
「なんだと?」
ヴェノムが目を見開いた刹那。細い膝が跳ね上がり、油断した右腕を容赦なく蹴りつけた。
「……ッ!」
少女は瞬く間に屋根の縁へ飛び、隣の荷揚げ塔へと降り立った。そこで銃を構えた長身の仲間と合流すると、ゆるりと振り返る。
「次は群れで来る。お前たちは、骸にして私の王座に飾ってやる」
「待て!」
追おうとしたヴェノムの足が止まる。
「……くそ」
門衛が優先するべきは、持ち出されようとした聖都の財産の確保。
ほどなく煙が薄れ、他の門衛たちも屋根へ集まってくる。ヴェノムが盗品を部下に引き渡したところで、シカリに肩を掴まれた。
「ヴェノム! お前、大丈夫か!? 血が出てるぞ」
「掠っただけだ。それより……俺としたことが、逃した」
前髪と一緒に、頬も少し斬られていたらしい。指先についた赤を眺めながら口元が緩んだ。
「……シカリ」
「なんだ」
ヴェノムは、あの華奢な体が消えた方角を見つめ、細く長いため息をつく。
「あの女盗賊は……絶対に俺が捕まえる」
「は」
「……今の子、とても気に入った」
「はあぁあ!?」
第二十一番関門の屋根に、シカリの絶叫が響いた。





