4-01 いつかみんなZを殺す
俺にはどうしても果たさなねばならない使命があった。
妹への誕生日プレゼントを手に入れることだ。入手困難で大人気のボソボソドロップシールを手に入れ妹のご機嫌を取らねば、俺のインターネット回線は物理的に切断されることだろう。
そのため早朝の街を訪れた俺は突然喋るぬいぐるみに声をかけられる。
「君は今日から人肉番長だよ!」
人影の消えた街、人を喰らう巨大なG!
世界に何が起きているのかは知らない。巨大なGを倒す気もない。
ただ、妹にインターネット回線を切られる前にプレゼントを手に入れ自宅に帰らなければならないのだ──走れ、俺!
「君は今日から人肉番長だよ」
「俺が……人肉番長……!?」
見たことはおろか、聞いたこともない存在に抜擢されてしまった。
時刻は午前5時。朝焼けが東の空に広がり始めた頃だった。
俺はゴミ捨て場のヌイグルミをじろりと睨んだ。喋るのは大した問題ではなかった。多様性の時代である。ヌイグルミにも喋り出したくなる時があるのだろう。それが今だったという訳だ。
「さぁ、僕と契約してゴキブリ番長を絶滅させよう!」
「おっと、きな臭くなってきたな」
俺には生態系がわからない。高校の授業料をドブに捨て、ネットでレスバし楽しく暮らしてきた。けれども害虫という邪悪に対しては、人一倍敏感であった。
今日は人の少ない明け方に家を出て、隣町までやってきた。3日後が妹の誕生日なのである。誕生日までにボソボソドロップシールを手に入れご機嫌を取らねば、ネット回線が物理的に切断されることだろう。
「残念ながら時間がない。俺はショップで開店待ちをしなくちゃならないんだ」
「友達に待っててもらえば?」ヌイグルミが言った。
殺意が芽生えた。友達なら数え切れないほどいるが、皆画面から出てきてくれない。なにゆえ早朝のサンリオショップに転売ヤーよろしく並んでくれようか。無理である。
俺は拳を握りしめた。ゴキブリ番長なるものを絶滅させるよりコイツを殺したほうが100倍早い。
まさに拳を振り下ろそうとしたとき、ふと強い違和感を覚えた。
街が妙に静かなのだ。
小さくてかわいいボソボソドロップシール復刻版という超レア物の発売日であるというのに、顔見知りの転売ヤーすら見当たらない。
競争率が下がるのは喜ばしいことに間違いはないのだが、ここまで人っ子ひとりいないのは逆に不気味でもあった。
何やらしきりと話しかけてくるヌイグルミを無視しながらしばらく歩くと、運良く道端でいつもジジイを散歩させている柴犬と出会った。こいつはいつも朝が早いのでこれ幸いとばかりに何があったのか訊こうとし、はたと気付く。首輪から伸びたリードの先にジジイがついていない。
「おい、ジジイはどうした」
「キューン……」
「なんだ、喋れないのか? 多様性への理解が乏しい奴め」
柴犬は悲しげな顔をしながらいつもの散歩道をとぼとぼと歩いていく。
やがて目当てのショップにたどり着き、更に眉をひそめた。誰一人として開店待ちをしていないのだ。明らかに何かがおかしい。
たまたまバックヤード横にいた、見知った顔の男を捕まえ肩を揺さぶる。
「お前はこのショップの店員だな? これはどういうことだ。なぜ誰もいない!」
「ひぃ……っ!」
「お前は喋れるだろう? 説明してくれ」
なにしろ妹の機嫌次第で俺のインターネット回線の生死が決まる。回線が死ねば、ディスプレイの向こう側にいる友人達とも喋れなくなる。ツイ廃である俺がしばらく沈黙すれば死亡説が流れるかもしれない。友人達に余計な心配をかけさせる訳にはいかないのだ。
最初は俺を見てひきつった顔で怯えていた男は、こちらに敵意がないと悟るとようやく重い口を開いた。
「……Gが出るんです」
「G? ゴキブリのことか? それがどうした」
「ただのGじゃないんです。あれは人を喰います。夜行性なので昼間は被害も少ないのですが……開店待ちの徹夜転売ヤーたちは皆、やられてしまい……」
「朗報じゃないか!」
始発前の徹夜待ちは重罪だ。いい気味だと言わざるを得ない。
しかし店員は悲しげな顔で首を横に振った。
「貴重なお客が誰もいなくなってしまったので、ここは閉店することになりました」
「なんだと? ボソボソドロップシールは買えないのか!?」
「そもそも発売日は昨日でしたし、入荷すらしてませんからね。この街はもう終わりです。僕は被害が少ない地方へ転勤になったので、この店が二度と開くことはないでしょう。あなたも気をつけて。もう遅いかもしれませんが」
発売日が今日ではない? そんなバカな。
昨日の夜、確かにそう確認した──はずだ。
いや、それより閉店だと?
この街唯一のショップが??
空いた口が塞がらなかった。唖然とした顔で去っていく元店員を見送る。
「ゴキブリ番長の恐ろしさ、わかった?」ヌイグルミがクソほどムカつく表情でこちらの顔を覗き込んでくる。「さぁ、僕と一緒にゴキブリ番長を殲滅しよう!」
死ぬのはお前だ。
そう言いかけた、その瞬間。
突然黒い何かが視界を横切った。
「まさか……っ!?」
そのまさか、である。
驚きの声が漏れる。
つやつやと黒光りするボディ。長い触覚。関節からは無数の柔毛がびっしりと生えている。番長と呼ぶに値する巨大なGが眼前へと降り立ったのだ。
「人肉番長! ほら、出番だよ!」
「嫌なんだが?」
「ぼーっとしてるとやられちゃうよ!」
ヌイグルミがそう忠告した直後、Gが彗星のごとく俺の周りをビュンビュン飛び回り始めた。蚊の次に不愉快な羽音が何度も耳元をかすめる。殺意、である。
「くそ、速すぎて残像しか見えない!」
Gを躱しがてら、足元に落ちていた鉄パイプを手に取る。なぜ落ちていたのかは知らない。
カンカンカン! キィン!
速さでは負けている。だが、力では俺の方が上だ!
「人肉番長!」ぬいぐるみが叫んだ。「ちゃんとやって! 描写が足らないし、君の実力はそんなものじゃないはずだよ!」
「面倒だろ。言わせんな」
「わかった。君の妹に連絡するね」
ヌイグルミがどこからともなくスマホを取り出した。
「おい」やめろ、と制止する言葉より早く、鋭い黒爪が目の前を横切る。上体を捻って躱す。植え込みに足を取られ、派手に転んだ。前足の先に伸びた黒い爪が太ももの皮膚を抉った。Gの黒光りした顔が視界に大写しになる。至近距離で見た真っ黒な目は、酷く濁った色をしていた。きっと俺も今、同じ目をしている。太ももに刺さったままの爪を左手で捻り上げる。甲高い悲鳴のような音を上げ、関節からばきりと折れた。返す刀でGの首を狙う。黒いボディが素早く浮き上がる。避けられた! 転がりながら距離を取る。態勢を整えようと身を起こした時、すでに奴の姿は消えていた。
「どこに行ったんだ……?」
さすがゴキブリ番長、消えるのも早い。だが目の前からいなくなったので、まぁ良しとしよう。
「しかし困ったな。ここが閉店するとなると他の店舗は随分遠くなる」
「行くしかないんじゃない?」ヌイグルミがスマホを弄りながら言った。「君の妹の誕生日は明後日でしょ」
「……誕生日は3日後のはずだが?」
「君の日付感覚がずれてるんじゃないかな。ほら、インスタのプロフにも書いてあるでしょ」
ヌイグルミがスマホの画面を掲げる。『誕生日まであと2日☆』というカウントダウンのデコ文字とキラキラの背景が目に入った。見たことがあるアイコンだ。妹のアカウントと、この怪しげなヌイグルミが相互であることに衝撃を受けた。ちなみに俺はサブアカ含め全てブロックされている。
「お前……本当に妹と知り合いだったのか……」
「好きぴ同士だよ。いいでしょ」
まさかお砂糖か? という言葉をすんでのところで飲み込む。以前バーチャル用語をうっかり口走り、妹にボコボコにされた記憶が蘇った。同じ轍を踏みたくはない。
「仕方ない。行くか。走れば誕生日までには帰ってこれそうだ」
「ついでにゴキブリ番長も見つけ次第シバいてほしいな」
「見つけたらな」
当然の如くついてくる気でいるヌイグルミをあえて拒否はしなかった。
体内時計の狂いを指摘してくれた恩もあるが、タッチパネルが反応せずスマホが使えない俺からすれば、情報収集という面でもこいつが一緒にいれば役に立つ場面もあるはずだ。なんせこの情報社会の中で自宅のパソコンしか使えないとなれば不便な事この上ない。外出時はことさらだ。
「ところでその足で走っていくつもり?」
ヌイグルミが俺の太ももを指さす。
ゴキブリ番長と死闘を交わした際に負傷した太ももは、肉が抉れ骨がむき出しになっていた。CEROでいえばBというところだろう。たぶん。
「あぁ……さすがに何か巻くか」
血の出ない乾燥した太ももへ、ショップから拝借した大判ハンカチを巻いた。ちいさくてかわいい柄だ。もちろん帰宅したら中古価格を調べるつもりでいる。
「気をつけてよ。君は痛覚がないから無茶をしがちだけど体が物理的に壊れたら動けなくなっちゃうんだからね。貴重な意思疎通ができる個体だってことを自覚してもらわないと!」
だからこそ人肉番長に指定したんだからね、とヌイグルミが得意げに胸を張った。
そうだ、俺には痛覚がない。食欲もなければ睡眠欲もない。おまけに自然治癒力もなかった。
俺はゾンビだ。
正確に言えば、ゾンビウィルスに感染したくせに自我だけはしぶとく残っているゾンビである。
ヌイグルミが朝日の向こうへ指をさす。
「あっちにゴキブリ番長が逃げたみたいだ。ついでにショップもこっちの方向だね」
眩しさも感じない目を細め、俺は走り出した。
誕生日までには必ず帰ってきてみせる。
時刻は午前6時。柔らかな光が差す、新しい1日の始まりである。





