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4-20 アズキバーを腹に入れるな!(物理)

臓器移植の慢性的なドナー不足を解消するため、WHOは禁忌の新技術「AB移植」を導入した。患者のDNAを転写した植物を培養し人工臓器とする革新的手法は、瞬く間に世界を席巻する。しかし数年が経ち、次々と報告される“副作用”が社会を蝕み始める。

ジャーナリスト・井村まひるは、被害者の証言を集めながら、亡き姉が反対し続けたこの手術の闇を暴こうとしていた。巨大市場と国家が後押しする“凍てつく悪魔”に、彼女はただ一人立ち向かう。そんな中、まひるのもとに一人の外科医から謎の電話が届く——。

 差し込む日光が、ティンダル現象を起こして白く濁る。わたしが脇を濡らす汗を感じているあいだ、対面する女性は、わなわなと指を震わせていた。

「寒そうでしょう……。本当に寒いのよ」

 わたしは同情の表情を浮かべてうなずいた。

 取材した人物は、これで26件に上る。自然体のテンポを取るのが大変だ。馴れとは恐ろしいもので、これではまるで、わたしが誠意を欠いているように思える。不信感を押し殺すように、わたしはかぶりを振って、手に持ったペンをノックした。

「いいのよ、いいの。わたしが悪いの、わたしが……」

 自己嫌悪に襲われたように、女性は胸を掻きむしった。今度こそ本心からの怒りが沸き起こったのを感じた。

「大丈夫です。こんなこと、わたしが必ず止めますから」

 そう言って、わたし、井村まひるはペン先をノートに下ろした。



 冷気そのものが心胆寒からしめるものとなったのは、いつからだろうか。この白い水蒸気が、涼から恐怖の象徴に変わったのは、どの地点だろう。

 外に出た瞬間、夏の気だるい熱気が口の中に飛び込んでくる。道路からの輻射熱が喉を焼き、思わずむせてしまった。

 夏か。

 幼い頃は氷菓で猛暑をしのいだものだが、もちろん今はそんな気分じゃない。

 なんとか息を整えると、わたしはバッグからヴォイスレコーダを取り出して、録音スイッチを押した。

「臓器移植手術の数に対するドナーの不足は、長らく医療現場を悩ませてきた」

 何度となく繰り返してきた、単調な説明だ。

 患者『だった』方と会った日は、いつもこうして録音することにしている。そうすることで、なんとか狂気に呑まれないよう、わたしは足掻く。

 恐らく、わたしは恐いのだ。この、常軌を逸した現実が。


「なぜ移植用臓器は慢性的に不足するのか。それには、まず人間の免疫系から説明するべきだろう。

 免疫反応とは、非自己に対して身体が起こす一連のシステムと定義されている。

 病原体、あるいはその他の異物が侵入したとき、マクロファージ等は好中球遊走刺激因子を放出し、それに誘引された白血球は、捕食という形で対象を排除する。その際にIL-1を始めとするサイトカインが分泌され、周囲の組織は炎症反応をもって白血球の活動をサポートする。

 これが一般に言う免疫反応の定義であり、スギ花粉によって引き起こされる鼻炎も同様のメカニズムとされている。

 我々は生まれながらにして排外主義者である、とも表現できるだろう。

 では、いかにして体組織はその自己と非自己を識別するのか」


 駅前にはデモの行列が並んでいた。中には被害者の方もいて、口からあの禍々(まがまが)しき白い息を吐いている。

 迂回しようとしたのだが、わたしに気付いた人が「頑張れ」と声をかけてくださった。

 感謝よりも先に申し訳なさでいっぱいになってしまう。一介のジャーナリストのわたしにできることなど、ごくわずかなのだから。泣きそうになった目を細め、わたしは頭を下げることしかできなかった。

 呼び止めたタクシーに乗り込みながら、もう一度録音スイッチを押し込む。


「ヒトを始めとする脊椎動物には組織適合性抗原と呼ばれる遺伝子領域が存在する。ヒトの組織適合性抗原の場合、それらはHLA抗原と呼称され、その型はA、B、C、D、DP、DQ、DRとあり、それぞれさらに数十種類ものクラスに細分化される。

 これこそ体組織が彼我を識別する認証コードであり、この強固な錠前を破らない限り、移植した組織は白血球からの攻撃にさらされる。それが、何億人単位のドナーをもってしても、レシピエントたちが移植手術を受けることのできない理由だ」


 半分ほど録音が終わったときだった。

「あんた、反対派かね」とタクシードライヴァが振り返って尋ねてきた。

「ええ。旭出版の井村と言います」

「へえ、こんなベッピンさんがね。わしの家内がこないだ受けたんだけどよ」

「……AB移植を?」

 ドライヴァはどこか悔しそうにうなずいた。信号が青になって前を向き、顔色は窺えなかったが、きっと彼の瞳には憎しみの色が浮かんでいたことだろう。


「安かったんだ。これしか選べなかった。あれは悪魔だよ。凍り付いた悪魔だ」


 アパートの前で下ろしてもらったとき、わたしはドライヴァの顔を直視できなかった。

 何が第四の権力だ。何が国民の声だ。

 ドアをくぐった瞬間、涙を抑えられなくなる。喉をせり上がる嗚咽をぐっとこらえて、取り出したレコーダを震える指で握る。

 どんなに無様でもいい。わたしには、この惨状を記録する使命があるのだ。


「以前よりクローニング処理された豚や牛で、移植用の臓器を供給する計画は進められていた。だがその手法は、一部地域で適応できないという欠点を抱えていた。たとえばイスラム教徒やヒンズー教徒の多い南・東南アジアや、中東といった場所だ。

 では人工臓器となるが、こちらは定期的なメンテナンスが必要となる。そもそも初期投資費用が大きく、困窮した人々では手が届かない。

 そして20XX(ピー)年、とうとうWHOは打開と称して禁忌の邪法に手を染めた。

 それがAB移植、正式には、あず、あ……あじゅ……うっ、うぅっ」


 そこまで言うと我慢が利かなくなった。

 玄関で膝を折り、子供のように泣きじゃくりながら、わたしはこの世の悪という悪を恨んだ。タイトスカートが汚れるのも構わない。ただ、叫びたかった。

 わたしはヒーローじゃない。無力な一般市民だ。何もかも放り出せたら、どれほどいいことか。被害者と同じく、痛みに泣き叫ぶだけの弱い人間に過ぎないのだ。


 リヴィングルームに戻ってきた際、テーブルの写真と目が合った。快活そうに微笑む女性は、3年前に他界したわたしの姉だ。お酒が好きで、友達と飲むためにいつも棚に焼酎クロキリをキープしていたことを想い出す。

 多臓器不全にもめげずに、最後まで反AB移植を貫いた、わたしの人生における永遠のヒーローだ。

「ごめん、姉さん。わたし頑張るから」

 謝るように言って、わたしは毅然と顔を上げた。

 そうだ。まだ、わたしにもやれることがある。


「それがAB移植、正式名称『Azuki-beans Bar xenograft』。

 プラスミドベクターを介して、患者の皮膚組織からDNA配列を転写したアズキを成育し、その種子のペーストを成型することで、人工臓器とするものだ。

 もともと日本はあずきバーを始めとして、豆類の加工が盛んに行われていた。

 そこに、この話はまさに一大イノベーションだった。持ち上がった初期段階からベンチャー、大企業問わずあらゆる組織がAB移植を研究したのも納得できる。

 そして一度メソッドが確立すれば、あとは資本主義に特有の過剰供給、過剰消費が待っていた。結果、その甚大な『副作用』が明るみに出るまでに、手術を受けた患者はじつに5000人を数えるとすら言われる」


 さっき会った人の白い息を思い出す。

 わたしは奥歯を噛み締め、怖気づくまいと自らを戒める。

 AB移植はこれまで苦痛のさなかにあった人々に、まず、かりそめの希望を与え、のちにそれ以上の絶望をもたらした。

 凍てついた悪魔よ、とわたしはつぶやく。


 お前は許されざる罪を犯した。死んだ方がいいと嘆く人間の怨嗟を聞いた事はあるか。その薄紫色の肌で、お前は今もなお人々の身体をむしばむのだ。熱エネルギーと引き換えに、人が人たるために必要な、命と活力を奪うのだ。

 わたしは絶対に負けない。


「AB臓器の特徴は、その優れた恒常性にある。自らの熱エントロピーを限りなく増大することで、最低限のエネルギー以外はすべてレシピエントの身体に還元するのだ。

 問題は、AB臓器そのものの発する冷気にある。いくらシールドされていても、その平均温度は零下20度にも達する。レシピエントはみな終わることのない低体温症に苛まれ、ここ数年のあいだで自ら死を選ぶものまで出てきた。

 わたしは、この手術が人道にもとるものと確信している。たとえこの身が朽ちようと、力ある限り声を上げるつもりだ。それが遺されたわたしたちの役目なのだから」


 録音停止のスイッチを爪ではじいて、わたしはぐったりとソファに沈む。わたしの軽い身体では生地があんまりへこまなくて、なんか嫌な気持ちになった。

 敵は30兆円の規模を誇る市場だ。立ち向かう者など、とっくに消えた。わたしだって、遠くないうちに記者クラブの名簿から外されるだろう。

 もっと出世するんだったな、と自嘲した。

 中学生のときは、姉のような警察官を夢見ていた。でも愚痴ばかり聞かされて看護師を目指すようになった。それで予備校講師を経てから、最後は記者というよくわからない仕事に就いた。

 ずっと流されるように生きてきた。姉が死んで、初めて自分で行動するようになった。


 天国でも笑っていて欲しいな、と写真に祈る。

 姉は無神論者だから、こんな願い、きっと怒られてしまう。でも現実のひどさを見ていると、せめて死後の逃げ場くらいは欲しいと願うようになる。

 ぼうっとしていると電話が鳴った。

 表示されたナンバーは見覚えのないものだった。市外局番で都内の番号と知った。

「はい、旭の井村……」

「赤城病院だ」

 ドスのきいた声が聞こえてくる。どうせ嫌がらせだろうと身構える。


 だが、続く言葉を聞いて、吐いた息まで白く凍ったような気がした。

 子機を持つ手が震える。そんなはずがない。

「今、なんて」

「だから」

 男はいらいらと繰り返した。


「AB移植の現場を独占取材させてやる。貴様にアズキバー手術の真実を見せると言ってるんだ」

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