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4-18 忘れてしまったいつかの君と

 嘘が誰かに信じられたとき、いつの間にかそれが「真実」になる。

 そんな世界のおかしさに神谷 透は気が付いていた。


 ある日、そんな透の前に自分を知っていると語る女性、雨宮灯が現れる。


 彼女はいったい誰なのか。なぜいま、ここにいるのか。自分は何を忘れているのか。


 忘れていた「真実」を思い出すほど、変わっていく「現実」。

 それでも透は、彼女のことを知ろうとしていく。

 この世界は真実だけで回っていない。

 そう気づいたのは果たしていつだったか……それすらも覚えてない。


 多分最初は小さなことだった。

 アイスのあたりの棒が欲しくて当たったと友達たちに言い張ったら、裏面を見ると本当に当たっていたり。

 忘れたはずの宿題を「持ってきた」と伝えたら、カバンの中に入っていたり。


 もしかしたら、ただ本当に運が良くて、ただ入れたことを忘れていただけで、そうだったのかもしれない。

 偶然だと思っていた頃は世界を疑うなんてしてもいなかった。

 ただ今にして思えば、あれは本当に起こっていた「真実」だったのか、分からないのだ。






「なぁ、昨日休講になったのがあったけどさ、代わりの授業いつやるか知ってるか?」


「……え? 昨日は全部の講義あっただろ」


「無かったって」


「あった。俺最近は授業全部出てるし」


 ここ最近は全部の講義は普通に受けたはず……そんな風に思いながらスマホを確認すると、確かに3限が休講となっていた。

 理由は担当教員の体調不良、らしい。ついでに軽く調べると代講は土曜に入っていた。


「……あぁ、すまん。俺の勘違いかも。代講は土曜らしいぞ」


 そういってスマホをしまう。

 別に珍しいことじゃない。記憶違いなんて誰にでもある。

 世界は、そういうことにしておけば大体うまく回る。


「マジかー?! 休みの日まで来る必要あるのめんどくせー」


 隣で嘆いている幼馴染の工藤を傍目に、



「……昨日の晩に提出したよ」


「さっすが忘れっぽいくせに優等生、じゃあ教えてくれねぇか?」


「ちょっとは自分で考えろ」


「男の友情ってもんは無いのかよ、けちー」


 そもそもやってないから内容が分からないし。


 突然、眠気に襲われて足ががくんと沈む。


 スマホを見ると、すでに完成されたレポートがあった。

 タイトルは俺が考えそうなもので、内容もちゃんとある。

 編集、提出日時は昨日の午前1時過ぎ。


 こういうことは、昔からたまにあった。


 誰かが何かを言う。嘘であっても本当であっても、誰かが信じる。

 そうすると、いつの間にか嘘が本当に、本当が嘘になっていることがある。


 ……正確には、最初からそうだったことになる。


 昨日、俺はレポートを書いた。

 昨日、そのレポートを提出した。

 昨日、レポートを完成させるために起きていた。


 たぶん、教授に聞いても「昨日提出されていた」と答えるだろう。


 そういう世界になっている。


 少なくとも俺にとってはいつも通りであり、不思議なことではない。


 ただ一つだけ問題がある。


「……昨日の俺、こんな遅くまでどこで手間取ってんだよ」


 世界が変わっても、俺は変わってしまったことを知らない。分からない。

 でも、俺以外の世界はそうなっている。それだけだった。






 別れて大学を出るころには、そんなちっぽけなことは忘れていて。

 しいて言うならここまで講義を受けたり歩いてきたりした疲れと、昨日に遅くまで起きていたらしいことを訴える眠気と格闘しながら帰路に就いた。


 夕方の町はいつも通りの風景。

 信号が変わる。横断歩道を人が歩く。コンビニでは買い食いでもしているのか高校生が談笑し、疲れ果てたサラリーマンが半額の弁当を買い込んでいる。


 どこにでもある普通の一日。


 駅に向かう途中で近所の公園を横切る。

 昔、よくここに一人で遊びに来ていた。

 どの遊具でもまんべんなく遊んでいて、ブランコに滑り台、鉄棒に空中シーソーと子供が遊ぶには十分すぎる物が揃っていて──

 ふと、足を止めた。


「……こんなのあったか?」


 公園の端に、まるで木で隠れるかのように小さな銅像があった。

 少女の形をした、昨今の情勢では撤去でもされてしまいそうな少し時代遅れな銅像。

 長い間外にさらされていたのか青く錆び付いていた。

 こんな銅像があったなら一度くらい目にしていてもいいはずなのに、見覚えがない。


 スマホを取り出して公園について検索する。

 市の公式サイトには、公園の整備記録、現在ある遊具、そして銅像の設置の記録まで残っていた。


 その記録によれば、この銅像が置かれたのは28年前らしい。


 チャットアプリを開き、工藤に銅像の写真を送る。


『これ、昔からあった?

 俺の家近くの公園』


 アプリを開いたまま待っていると、すぐ既読、返信が付いた。


『また例の物忘れか?

 まあ俺は家そっちじゃないし、分からん

 マップの写真の履歴だとずっと前からあるし、あったんじゃないか』


 返信をしばらく眺めて、スマホをポケットにしまった。


 第一、俺が覚えていないだけかもしれない。

 少なくとも木の陰で見えづらい場所にはあったし、気付かずに過ごしていたのだろう。


 それに、世界は真実だけでできているわけじゃない。

 なら俺の記憶が間違っている程度、別に問題ないだろう。


 考えていたことも思いも一度飲み込んで、ブランコに腰掛ける。


 手持ち無沙汰になって、結局再びスマホを取り出しネットサーフィンを始めた。

 SNSを見てみれば嘘か本当か分からない情報が飛び交い、辟易する。誰もかれもが嘘を真実としまいと信じ込み、真実を嘘にしようと騒ぎ立てる。この世界では真実と嘘にどれほどの違いがあるのだろうか。

 対して物語は楽だ。明確に現実ではないと理解できて、嘘を嘘として楽しめる。真実には成り得ない。


 日が沈み始め、あたりが夕焼けに照らされる。

 帰宅ラッシュで車が増えてきたのか夜に近づくにつれて車の音が増え、スマホの画面だけが眩しく光って周囲の景色から浮いていく。


 俺もそろそろ帰るか、と顔を上げた。


 ふと、公園の入り口に一人の女性が立っているのが見えた。

 年齢は大学生の俺と同じくらい。黒い長髪を流した、ワンピース姿。


 暗くなる寸前の赤い空間に街灯の光が差し込んで、彼女を明るく照らし出す。


 彼女の瞳が、俺の顔から離れない。

 ずっと探していたものを見つけたように。


「……やっと、会えた」


 しんと静まり返った公園で、そのつぶやきがやけに頭に響いた。

 念のため周囲を見渡してみても、自分と彼女以外は誰もいない。


「……俺?」


「うん」


 ゆっくりと近づいてきて、普通に話せる程度の距離まで縮まる。

 相も変わらず俺の顔を見続けていた彼女は、小さく笑った。


「申し訳ないけど、君は誰?」


 顔は優しいままだが、ほんの少しだけ笑みが消えた、気がした。


「……やっぱり、覚えてないんだ」


「俺、君と会ったことがあるっけ?」


「あるよ。ずっと前に」


「悪いけど、全然覚えてない。ごめんね?」


「うん、わかってる」


 その顔は、笑っているのに寂しそうで。

 俺がそう思い込んでいるだけかもしれないが、放ってはおけなかった。


「名前を聞いてもいいかな」


(あかり)。雨宮 灯だよ」


 やっぱり、聞き覚えがない。

 ただ忘れているだけなのか、それとも──


 考え込んでいると、灯が一歩近づいてきたのが見えた。


「私はあなた、(とおる)君のことを知っている」


 また一歩近づく。もう彼女との距離は、俺の目と鼻の先。


「あなたが何を考えているのかも」


 たった一言。

 その瞬間、初めて背筋が冷えた。


 彼女は、俺を知っているという。

 俺が忘れているだけかもしれない、彼女が人違いをしているだけかもしれない。


 けれどもし、嘘が真実に、真実が嘘になっているとしたら。


「……君は、本当に俺と会ったことがあるのか?」


 困ったように灯は笑った。


「それを思い出すところから、始めようか」

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