4-17 ブーケ・トス(2056年オリンピック競技採択決定)
ブーケ・トス。それは幸せを運ぶイベントであり競技である。投げられたブーケは必ず幸せを運び、適した人のもとへ運ばれる。運ばれなくてはならない。
邪魔など、決して許されてはならないのである。
人生の伴侶に対して執着があるのは当然のことだ。なにせ、伴走者となるのだ。どれだけの条件があってもありすぎということは無い。
かといって、おのれ自身がだれかの最良の伴走者に成れるなんて自信がある人も、そう多くはないだろう。
最良とは、いいことずくめである必要がある。
仕事をしつつ、家事も万事。それからユーモアも欠かせないだろう。浮気を疑わせるような言動をしないとか、信頼できるとかも必須。趣味が合うと、なおのことよいだろう。上を目指せばきりがない。きりがないし、全てを求められても参ってしまう。
そこそこ、と、まあまあを繰り返して、人間というものは関係を紡ぐ。
のだが、本日、最強の結婚相手が手に入る魔法のイベントが開かれたのである。
76kg級ブーケトス。
ブーケ・サーバーはブーケトス歴25年の空川由紀子。ブーケトスが公認大会競技になってからまだ2年である。アマチュア界の一競技として扱われていた時から、この道に足を踏み入れていた歴戦のプロだった。
「第1投、試球です。ブーケ・レシーバーの皆様はお手を出しになりませんように」
会場アナウンスを受けて、由紀子は人差し指を掲げる。指す先は世界記録。数ヶ月前にライバルに塗り替えられた世界記録を、奪い返さんとする姿勢であった。
「76kg級・結婚式レギュレーション。通算53回目の挑戦となります。レギュレーション規定上、結婚と離婚を繰り返すは空川由紀子。剛腕辣腕、普段は酒場の女主人。そしてひとたび式場に立てば、原初にして最優の投手ッ!!」
会場アナウンスは、すでに実況の手に渡っていた。
「そのたくましい腕は、ブーケを投げるため。
その力強い指はブーケを取りこぼさないため。
地を揺らす踏み込みは、遠くまで幸せを届けるため!! 世界記録を賭けた第1投、始まります!!」
開始を告げるチャペルの鐘の音が鳴り響く。
鳴り響き終えるのを待って、空川由紀子は踏み込んだ。
まずふわりとトスされるブーケ。
ドン、という踏み込みの音。
舞い上がる純白のウェディングドレス。
アンダーから振り上げる掌が、ブーケの底に仕込まれたインパクト専用基部に手が当たる。
インパクトの乾いた音と同時に、ブーケは空高く投げ出されていく。
緩やかに、山のような軌道を描いて空を駆ける。
「すごい、高いッ、高いぞ!!」
太陽光を浴びて、ブーケは綺麗に空を舞っていた。観客や、実況の熱とは裏腹に、空川由紀子や、レシーバーらの心は冷めていた。
高さは十分。勢いも十分だが。
——角度が悪い。
頂点から落ち始めたブーケを見ながら、山岡は心を切り替え始める。着地点すらあまり見ずに、次のブーケを手に取り、精神を研ぎ澄ませる。
「着地。記録が、ああ、38m44……!! 高度はかなりのものでしたが、飛距離は今一歩及びませんでしたね……」
「いえいえ、ここまででも十分世界記録圏内です。が、肝心要は第2投になります」
──実況も解説も、今聴く必要があるってのかい?ら。今必要なのは、鐘の音ひとつ。
空川由紀子は自分に言い聞かせる。感覚全てを耳に集めんとして、鐘の鳴り始めを聞き逃すまい、と雑音を切り分ける。
そして、ゴーン、という荘厳な音が聞こえるや否や、由紀子は踏み込んだ。
「今度は時間を使わずに……!!」
解説のどよめきすら置き去りにして、ブーケをトスする。
踏み込みは不要。先ほどよりも控えめなインパクト。そして、打って変わって、ゆるやかな軌道。
当たり前だが、2投目で評価されるのは、空中回転の美しさと軌道、それからキャッチまでの滑らかさ。式場の芸術と呼ばれるのも宜なるかな。
「軌道も緩やかだ……これは!! クイック・トス……!!」
「それは、つまり、鐘が鳴り終わる前にレシーブまで完遂させようとしているアレですか!?」
「ご認識のとおりです。速度が求められ、なおかつレシーブ不良や回転数不足になることから近年流行はしていませんでしたが……これは……!!」
──知らないね、そんな流行なんて。要は、そこにレシーバーがいればいいんだろ?
空川由紀子は信頼をしている。
歴戦のレシーバーが今回ここにいることをしんじている。そして、第1投の結果なんてものに惑わされないと、信頼しきっている。
由紀子の信頼する歴戦のレシーバーは、すでに反応していた。時宮翼。同じレギュレーションで、ずっとトップサーバの座を争い続けている好敵手だった。
彼女の着地地点までの動きはなだらか。見極めも、姿勢にも余計な力みは見受けられない。
記録を争うライバルであるとか、余計なことを全てかなぐり捨てて、最良の受け取りとなるべく動く。まず間違いなく綺麗な受け取りとなるはずだった。
はず、だったが、手に渡る寸前で。
それは発火した。
「ノー!!」
時宮から触っていない、の意が示される。
複数人がゴチャついたときに淑女的に身を引く宣言だが、それは今となっては不可解な言葉であった。
一番近くにいた時宮が触っていないというのに、
いったい何が起きてブーケが発火などするものか。
それだけが、問題であった。
☆
空川由紀子──ブーケトスが完遂されていない以上、まだ結婚は儀式的になされておらず、山岡由紀子と呼ぶべきかもしれない。あるいは届出の瞬間にこそ結婚が成り立つというのであれば空川でも構わないがだとすればこの壮大な儀式はなんのためにあるのだろう──は即座に現場に駆けつけた。ブーケが燃えるなど、ありうべからざることだ。かかっていた記録はどうなることか、わかったものではない。
どすりどすりと地を揺らしながら、由紀子は力強く駆けた。
「翼!!」
「私じゃ」
「腕見せなッ!!」
由紀子は翼を強引に掴み寄せて、検分をする。
衣服の乱れ、なし。
それから、火傷の様子もない。
そこまで確認して、由紀子は翼の手を離した。
「ひとまず、アンタが無事で良かったさ」
「……私を疑うんじゃないのか?」
「アンタの上で燃えたんだから怪しく見えるってか? アンタがそんなことするわけないじゃないか。今日だって、アタシの結婚式のタイミングまで離婚期間を引き延ばしてくれたんだろ」
「そんなのいつものことだろ! 貴方の結婚式を引き延ばしたのは私の結婚式が遅れちまったからじゃないか」
「この競技をやる以上そんなの持ちつ持たれつ。いいっこなしだよ、で」
──アタシたちの競技の邪魔をしたのは誰か、わかるかい?
由紀子は目で語りかけた。
翼は首を振って答えた。
「でも、そうそう自然発火なんてするはずがない。なんらかの意図が」
「山火事だって自然発火で起きるだろう? 摩擦熱か何かでそうなることも……」
「もしそうだとして、それなら、貴方の1投目の方がよほどだったでしょう?」
疑われなくなった時宮翼はすでに落ち着きを取り戻し、鋭く指摘をした。
勢いも、速度も、そしておそらく回転数──綺麗さはともかくとして──だけで言えば1投目の方が発火可能性があったのは間違いがない。
「なるほど、じゃあ誰かが火矢でも射かけたか、あるいは」
その言葉を引き継ぐように、空川由紀子の夫が言葉を被せた。
「あの、これは、ほっといてもいいのかい?」
白を基調に、パステルピンクを取り入れた花束。
花束の底の部分には遠くへ届けるための半球が仕込まれている、見慣れたもの。
53回目の夫となるべきものが持っていたものこそ、投げるべき競技用ブーケであった。か野崎まどか
「事前に、すり替えられてたんだろうね。なら、ある程度近くにいたレシーバーたちが候補か」と時宮翼。
「すり替える動機なんざ誰にあるっていうんだい」と由紀子が返せば、時宮はすかさず目線を他のレシーバーに向けた。
「なんでございますの、ワタクシを疑っておられるのかしら?」
街角洋子。空川由紀子も知っているアマチュアレシーバーであった。多くのブーケトス競技大会シーンで、ブーケを受け取ろうとしている人だった。
「ワタクシがブーケを受け取ってなお、一度も結婚をてぎていないことでイベントに恨みを持っているとでも? そんなの、ワタクシの婚活市場における価値だけであり、このイベントに遠因があるわけないじゃないですの」
心外ですわ、と街角洋子は憤慨し続けている。
「別に、あなただけじゃないけどさ」といえば、「じゃあ俺様かい?」と別の声が挟まる。
「智彦。疑われているのですか。私の孫を疑おうだってどういう了見でございましょう?」とまで。
チャラチャラした売れないホストみたいな男と、和服姿のレシーバーも、話に噛みつき始める。
米川トネ・米川智彦の祖母孫ペア。これも皆よく知っているアマチュアレシーバーであった。
孫曰く、「参加条件に性別があるとか、差別じゃね? 俺も結婚したいし参加するわ」
祖母曰く、「参加条件に独身かどうかが見られるなど、あってはなりません。独身の炙り出しにも繋がりかねない悪しき風習です。既婚独身関係なく参加をすべきでしょう。よって私も参加します」
共に現状の競技シーンを憂うものであり、動機はありうる。
「動機なら、うちも疑うべきだね」と、また別の声も挟まる。プロレシーバーの孤村優の声だった。
「幸せを届けるといいつつ、幸せの形を結婚なんて文脈に限定させてるの、おかしいとずっと言ってきた私も十分怪しいだろう?」
ブーケはすでに投げられた。
誰がブーケを燃やしたか。
着地点はまだ見えないでいる。





