4-13 底の、また底へ
帝都から訪れた学者とその助手。二人の案内役を任された下っ端役人のおれ。滞在期間の半分が無事過ぎた三日目の夜、三人は〈馬と盃〉亭で酒席を囲む。学者はおれにある依頼をするのだが。
宵口の〈馬と盃〉亭はにぎやかだ。
店の戸をくぐると喧騒の圧にまず耳をやられる。
酒杯を空にしてはまた次の酒に手を伸ばす。とどまることないおしゃべりと怒声。酔漢どものあまりの狂態に驚いたのか、ガドナスが何か呟いた。脇に控えたお付きの小僧も頷く。案内役のおれは人混みをかきわけて、三人分の席を確保した。
まっこと、街の底が抜けた先に落ち込んで更に止まることなく転げ落ち続けているような、まあどうしようもない連中がたむろしている場所だった。かくいうおれにしても、他人のことがいえる身分ではなかったし、だからこそ常連としてささやかな稼ぎを落とすのが日課になっているのだが。
で、ガドナスだ。
こいつは王都からお忍びで来た学者様だ。
地方都市の習俗を記録に残すのが主な仕事なのだという。その現地ガイド役を仰せつかったのが田舎の木っ端役人であるおれで、調査期間である七日七晩を過ごして王都に無事御帰還頂くまでお守りをするのが役割だ。普段上役の目の届かない片隅でのらくら怠けていると、こういう時誰もやりたがらない役目を押し付けられる。
望まれるままに道案内すると、学者と助手は、街路に残る消えかけた印章の痕や、崩れかけた屋敷跡を写生し、じいさんばあさんの記憶する大昔の事件や口伝やら童謡やらを、細々記録していく。その横でおれはぷらぷらしながらあくびだけしていればいいので、退屈だが、大してすることもない楽な仕事ではあった。そうして三日間が何事もなく過ぎた。
飲みに誘ってきたのはガドナスの方だった。町民の日々の楽しみを観察したい、民衆の生の声を採録したい。そんなことをいった。
仕方なく、この品が良いとは言い難い店に連れてきたわけだが。
酒場は好きだが、あくまで気の置けない奴らと一緒であればの話だ。興味深げに周囲を見回しては酒杯にちょっとずつ口をつけるこの学者。挙動や口調から受けるのは壮年という印象だが、顔の下半分を覆う藪のような髭を取り払ったらつるりとした肌の青年が現れても不思議ではない、年齢不詳な活力を感じさせもする。節制しているというよりも、元から酒にも会話にもさほど興味がないといった風情で、会話を振ってもどうにも取り付く島がない。
その横にちょこんと控えているのが助手兼秘書だと自己紹介した小僧だ。どう見てもまだ子供なのに酒場まで付いてきた。研究のためだからと酒杯も四回は空けている。栗色の髪に広い額、ぎょろりと銅貨のようにでかい目をし、ひょろひょろと草の根のような身体つきだが無闇と食う。酒も飲む。何故かおれのことをちょいちょい睨む。
「君は」とガドナスがいった。“君は”ときたよ。この辺りじゃとんと耳にしない二人称だ。酔いどれどもの喧騒のなかでも、その声は妙にはっきりと届いた。「君は、『レゴリス奇譚集』を知っているか」
おれが首を振ると、小柄な助手が横から口を出した。
「ここ、アーウィンの町は帝国の西の果てに位置しますが、この地にかつて、地上の富の全てを集め、一千万の民が住まう、栄耀栄華を極めた都がありました。それがレゴリス。驕りと退廃により神の怒りを買い、贖罪の劫火に焼き尽くされ滅びたという伝説の都です」
酔いもあってか立て板に水でよくしゃべる。
「百万の書物が蔵された図書館も炎の中に崩れ落ちたと伝えられますが、司書の命がけの献身により僅かに焼失を免れた本もあった。その中の一冊が、市井の人々の声を採取した貴重な資料、『レゴリス奇譚集』になる」
ちびりと酒を舐めた。
「内容としては、盛り場に集まった男女の、酒の席での悲喜こもごもを描いたエピソード集成といったものでして、概ね下品な笑い話ですがたまにほろっとさせるような人情噺もある。遠方から訪れた旅人の語る奇妙な土地の話もある――といった具合。書名から受ける印象以上に複雑な仕立てになっています」
そしてガドナスを見上げ、
「先生は、『レゴリス奇譚集』の研究をライフワークになさっているのだ」と締めた。
「今のところ大した成果は上がっていないがね」ガドナスがいう。
「先生以外、あの本の価値を正しく理解できている人はおられないではないですか。大切なお仕事です」
続きそうだったのでおれは手を上げた。二人がこっちを見た。
「で、それとおれに何の関係が?」
「現在、巷間に流布しているのは『レゴリス奇譚集』の写本だ。原本から数えて何世代目の子孫かはわからんが、相当離れていることは間違いない。伝言ゲームの始まりと終端ではどうしたって齟齬が出る。字句の写し間違いどころではなく、語られる逸話自体、本によって増減があるのだ。写本間の異同も重要な研究課題ではあるのだが、何分大元の原本がなければ確かな評価が下し難いのも事実だ」
「失われた『レゴリス奇譚』の原本を先生はずっとお探しなのだ」と助手。
「編纂者はブリアルドスとのみ知られている。これが個人の名前なのか、一群の伝承者が共同で用いた呼称なのかも定かではない。――ところで、仄聞したところでは、町はずれに巨大な地下空洞があるとか」
嫌な予感がした。
たしかにある。裁ち落としたような垂直の崖が。
壁面沿いにはかろうじて人ひとり通れる程度の狭さの細道があって、これを下っていくと洞穴の入り口に至る。そして、薄っすらと記憶に残る名前のひとつが。
「その名も“ブリアルドスの暗渠”、と呼ばれているのだろう?」
「土地の人間は」おれは少し間をおいて答えた。「“穴倉”って呼んでますがね」
「案内してほしい」
おれは黙った。
それはおれの仕事の範疇を超えている。“穴倉”は奥に進むにつれ道が幾つにも枝分かれしていく。これまでも何人とない物好きが探索したが、暗闇の中をうろつきまわった挙句何も見つけられずに帰ってくるばかり。いかにも何かいわくありげな洞窟だが、要するにただの穴であり、でかいミミズが這い進んだ痕がたまたま道になっただけ、といわれてもおれなら納得する。
「よくわからんのですがね、その昔の、物本書きの原本ですか、それがあんな広いだけの穴倉にあるとは思えない。何より、道楽で足を運ぶには危険な場所だ」
「――レゴリス奇譚集にも“暗渠”の記述があるのだ」ガドナスはじっとこちらを見つめる。「泥に沈んだ書庫の物語として。その内には百万の書物が蔵されていたと書かれている」
「おとぎ話でしょうが」つい、ため息が出た。
「史料だよ。第一級の。読み解くすべを心得た者が読めば、然るべき知恵を与えてくれるのだ。君が呼ぶところの“穴倉”には、何かしら手がかりが残っている可能性が低くない、と私は踏んでいる」
どさ、と重い音がして、テーブルの上に革袋が置かれた。助手が巾着から取り出したのだ。袋の口から、店の灯りを反射する、鈍い輝きがもれる。
「不用心だな、ここでそんなものは出さない方がいい」
「追加報酬だ。足りなければ、まだ幾らかは用意できる」ガドナスの腕が伸び、前腕を掴まれた。荒っぽくはないが、無闇に力がこもっていた。「お願いだ、この機会を逃したくない。私も何かと忙しい身でね。次にこの街を訪れることができるのがいつになるか見当もつかない。今回しかないのだ。今しか」
革袋を手もとに引き寄せた。手の中に、これまで経験したことのない重みがあった。
“この機会を逃したら”こんな大金を手にすることがこの先あるだろうか?
魅力的な依頼ではあった――待ち受ける危険を度外視するなら。
酔って気が大きくなっていたのはあるし、学者の思いつめたような形相に気圧されたのもあるが、結局のところ決め手になったのは、毎月のツケの支払いに頭を悩ませるような生活にうんざりしていたという一点に尽きる。
おれは革袋を懐中に収めた。
「無駄足だとは思いますがね。後で返せなんて言わないでくれよ」
「言わないさ」ホッとしたようにガドナスの手が緩んだ。「危険を冒すだけの価値はある」
しかしまあ。
おれたちがどちらも間違っていたなんて、人生ってままならないよな。





