4-12 男装の騎士は女装の王子を守りたい!
騎士を夢見る令嬢ディアナは、弟との決闘に敗れ夢を絶たれた。押しつけられたのは「深窓の黒百合」と呼ばれる第二王女ビクトリアの護衛職。しかし楚々とした姫君の正体は、王家の跡目争いから逃れるため女として育てられた王子だった。剣を取れば敵わない。守られるのはいつも自分のほう。それでもディアナは誓う。誰にも本当の姿を見せられないこの人を、守り抜く騎士になると。
守る立場の護衛が守られてしまった。しかも、王女に。
ディアナの性格からすれば、ここは己の不甲斐なさに絶望する場面のはずだ。しかし、血を流して倒れる賊と短剣を持つ王女ビクトリアという構図を前にして頭が真っ白になった。それくらい、ビクトリアが放った袈裟斬りはあまりにも見事だった。体格差のある相手を一撃で沈めるなんて女の腕ではできない。
「だから言ったでしょう? 護衛なんて必要ないと」
「ビクトリア様、あなたはもしや……」
ディアナが先を続けられないでいると、ビクトリアはゆっくりとこちらに振り返った。すみれ色の目がディアナを捉える。
「……誰が女だと言った?」
*
遠くで鳥がさえずり、春のゆるんだ空気が人々の眠気を誘う。だが、アシュバートン家の中庭は剣呑な空気に包まれていた。兄のベネディクトを挟んで、妹のディアナと弟のダニエルが、練習用の細身の剣を持って対峙している。これから姉弟による決闘が始まるのだ。
「これが最後のチャンスだ。分かってるな、ディアナ」
ベネディクトの声が厳かに響き、ディアナは黙って頷いた。燃えるような赤い髪を一つに束ね、トラウザーズと膝丈のブーツを履く姿は少年のようだ。胸から胴体にかけてコルセットのような防具を着けているのに、丸みを帯びた体の曲線が隠しきれないのが忌々しい。
「本当にやるの? 別にそこまで深刻にならなくても……」
「ふざけるな! 真剣に取り組むのが礼儀ってもんだろう! 手加減したら承知しないからな!」
唇を真一文字に引き結ぶディアナに対し、ダニエルは俯き加減で、つま先で土を掘っている。そんな弟に苛立ちながらも、ディアナは、頭の中で何度も作戦を確認した。
(正面から挑めば負ける。だが、ダニエルは技量的にはまだ未熟、拙さを馬鹿力で押し通すだけだ。無駄な動きを誘発させ、疲れが見えた隙を狙えば勝機はある!)
本音を言えば正々堂々と戦いたい。だが、男女の間には絶対的な力の差が存在する。
子供時代のディアナは腕っぷしが強く、いじめっ子を次々となぎ倒しガキ大将的なポジションに君臨していた。二歳下のダニエルは弱虫で、彼女の背中に隠れてばかり。弟を庇ううちに彼女は一つの夢を抱いた。騎士になりたいと。
それがいつからだろう。ダニエルに身長を越され、剣術も負かされるようになったのは。ディアナは、男女の間には、努力ではどうにもならない生来的な格差が存在すると知った。幼い頃は女子の方が成長が早いが、思春期になれば男子にすぐに追いつかれ圧倒的に引き離される。
先祖代々勇敢な騎士を輩出するアシュバートン家の一員として列せられる夢はいつしか遠のき、十七歳になった今、父から「弟と対決して敗れたら騎士の夢を諦めること」と最後通牒を言い渡されたのだ。
(どうしても負けられない……この戦い!)
右足を前に出して腰を落とし、構えの姿勢を取る。ディアナが大きく息を吸ったところで、ベネディクトが声を上げた。
「では行くぞ。1……2……3!」
兄の合図で両者同時に地面を蹴る。さっきまでやる気がなかったダニエルは、人が入れ替わったように鋭い剣戟を振るう。ディアナは右に左に体をひねってかわしながら、冷静に弟の動きを観察した。
(相変わらず大振りでワンパターンだ。これならしばらくかわせるだろう)
俊敏性なら自信がある。むしろ、唯一、ダニエルより優る長所と言えるかもしれない。
こちらの思惑を気取られないように応戦を挟みつつ、ディアナはじっとその時を待った。
(そろそろバテて…………こないな? もしや、持久力が付いてきたのか?)
目算では、ダニエルが痺れを切らしてボロを見せる頃合いなのだが、切先は寸分もぶれず、むしろ激しさを増すばかり。逆に、息が乱れつつあるのはディアナの方だ。ここで一つの疑念が生まれる。
(この短期間でまた腕が上がった……? 悔しい! なんでこいつばかり!)
ほどなくして、ダニエルの上半身がわずかに揺れた。普段の彼女なら疑問を持ったはずだが、この時ばかりは「すわ好機!」としか思わなかった。一気に腰を落とし上半身を前にせり出し、相手の間合いに潜り込む。そして、彼のわき腹めがけて細剣を突き出した。横から撃ち据えれば勝利——。
「あっ……」
狙いは正確。しかし、剣先がわき腹に触れようとした瞬間、ダニエルは強引に押し返した。剣が持って行かれて腕がぐいと捻じ曲げられる。腕の痺れと共に体が浮く。
(ああ……これが『差』なのか)
彼女は地面に叩きつけられ、剣が落ちる音を聞いた。
「勝者……ダニエル!」
ベネディクトの無慈悲な声が響く。この時になって、初めてダニエルは大きく息を吐いた。勝ったのに嬉しそうではない。その態度を見て、ディアナはかえって腹を立てた。
(ふざけるな……! どいつもこいつも!)
その後は怒りのあまり記憶がない。ベネディクトがダニエルに何やら助言しているようだがどうでもいい。ディアナは肩を怒らせながら自分の部屋に戻った。そして、そのまま部屋に篭り、夕食の時間になっても出てこなかった。
*
頭から布団を被って悶々とするうち、いつの間にか意識を失っていたようだ。太陽はすでに高く上り、カーテンの隙間から眩しい光を放つ。ディアナはしばらく目をしばたいていると、前日の記憶がまざまざとよみがえった。
(何がいけなかった? いや、全てだ。意地汚く勝ちを取りに行こうとした自分がバカだった)
己の浅はかさがほとほと嫌になる。とは言え、正々堂々と切り込んでも結果は同じだっただろう。どんなに足掻いても意味ないのに、もう一度昨日に戻ってやり直したいなどと無駄な思考を繰り返すのだった。
そこへ、部屋のドアを騒々しく開けて使用人のハンナが入ってきた。キビキビした行動で窓のカーテンを開ける。
「いい加減起きてくださいまし! さっきからご主人様がお呼びですよ。あらあらまあまあ、おぐしがザンバラになってますよ!」
でっぷりとした中年の婦人のハンナは、小さい頃からディアナの世話をしてきただけあって、使用人ながら遠慮というものがない。世話焼き女房のようにあれやこれやと手を出して、ぐずるディアナにドレスを着せた。
「こんなこと言うと怒られそうですがね、将来を考えると良かったんですよ。奥様も安心してました。ダニエル坊ちゃまはでかしたと」
「何ですって? それでも親なの?」
「親だからですよ。奥様はディアナ様の幸せを一番に祈っておられます」
櫛で髪をすかれながら、鏡台越しにハンナを睨みつける。母の考えてることはお見通しだ。
ディアナは不機嫌な顔を隠さないまま居間へと降りた。ドアを開けると、父と母がソファに座り、父の後ろで無表情のベネディクトと気遣わしげな顔のダニエルが立っている。
どう見ても家族団らんの雰囲気ではない。家族会議だ。そう察した彼女は、自然に背筋を伸ばし表情を改めた。
「おはよう、ディアナ。そこに座りなさい……昨夜はよく眠れ……てはいないようだな。昨日の結果については、今さらとやかく言うつもりはない。当初の約束通り、分かってるね?」
近衛騎士として高い地位にいる父は、豊かな口髭をなで、静かな口調で切り出した。
「そうですね。完敗です。それで、私は修道院にでも送られるんですか?」
「何バカなことを言ってるの! 私も父上もあなたの幸せを第一に考えてるのよ!」
「いわゆる『女の幸せ』ってやつでしょ? 結婚して夫に囲われて——そんなの嫌!」
「修道院とは極端だな。それで変わるのならとっくに入れてたよ。でもまあ、似たようなものかもしれないが」
「似てる? どう言う意味ですか?」
「お前には、ビクトリア第二王女の護衛をしてもらう」
「第二王女? 『深窓の黒百合』ですか?」
アシュバートン家が仕えるランドルフ王室には一男三女の子がいる。その中で、表舞台に滅多に出てこない第二王女ビクトリア。神秘的なイメージと相まって「深窓の黒百合」という二つ名が付いている。
「修道院と王宮とどっちがいい? 選ばせてやろう」
「父上のいじわる……そんなの決まってるじゃないですか」
「じゃ、王宮に手紙を書こう。これで決まりだ」
ホクホク顔で揉み手をする父をディアナは睨みつけるが、他になす術はない。かくして、彼女はビクトリア王女の住まう宮殿に出仕することとなった。
*
そうと決まれば話は早い。数日後にはビクトリア王女に謁見していた。
(黒百合のイメージにぴったり……なんてお美しい方なの)
目の前の王女は、艶やかな黒髪をすらりと伸ばし肌は白磁のように滑らかだ。上質な紺のレースであしらわれたドレスは肌の大部分を隠し、首元はフリルで覆われている。
「あなたがアシュバートンの娘、ディアナね」
庇護欲をかき立てられるほど弱々しい声が謁見の間に響く。しかし、次の一言でディアナは全身がこわばった。
「生憎だけど護衛は要らない。自分の身は自分で守れるもの」
後ろに控える侍女と衛兵が息を呑む。ディアナは耳まで真っ赤になってわなわなと震え出した。それでもやっとの思いで声を振りしぼる。
「きっとお役に立ってみせます。どうかおそばに置いて下さい!」
そうでなければ修道院しか道がなくなる。祈る思いでビクトリアを見上げると、すみれ色の目が値踏みするようにこちらを検分した。
「しょうがないわね。ただし、私の部屋には決して入らないで」
この時のディアナはまだ知らない。この方を守るという誓いがどれほど厄介なものになるかを。





