4-10 流しの聖女はご入り用ですか?
よくある婚約破棄のはずだった。縋りついてくるはずの婚約者を自身に都合いい駒にするための断罪だったのに、破棄された当人は大喜びで国を出て行ってしまうのだった。
一応は婚約者だったはずの男の口から出た言葉に、脳裏で何かがパリンと砕け散った感覚がして、聖女アーミアは知らず喜声を上げた。
「喜んで承ります!!」
「―― は?」
場は王宮大広間、左右に主だった貴族を並ばせ上座に2人の男女、下座にアーミア1人を立たせた断罪のテンプレートであるにもかかわらず、それぞれの表情はテンプレートとは全くの逆であった。
本来なら、というか、男女の方の予想ではアーミアが涙ながらに必死で取りすがってくるはずだったからだ。だが現実はこれまで見た事もない満面の笑みで婚約を破棄するという一方的な宣言を承諾したのだ。呆気にとられようというものである。
それは、重要な発表があると言われて招集された、両側に控える貴族達にとっても同様で、困惑の声がそこかしこから漏れ始める。
この場で全く揺らいでいないのが、本来最もうろたえるはずだったアーミアただ1人というのが何とも皮肉である。
「いっ、いい度胸だな! さすが聖女を騙る悪女だ! この僕や国をずっとだましていただけはある。図々しい事この上ない!」
「そ、そうですわ! 愛し合う私達を引き裂いて王族にまで成り上がろうだなんて、身の程を弁えなさい!」
「愛し合う? 引き裂く?」
頬に片手を当ててコテリと首を傾げたアーミアは、次いでポンと手を打った。
「まあ、おめでとうございます!」
「馬鹿にしないで!!」
輝かんばかりの笑顔で寿がれ、女が反射的に言い返す。しかしアーミアは動じず言葉を継いだ。
「だって私とそちらの殿下との婚約は陛下に決められた政略的なものですもの。殿下と心を通わせる方がいらっしゃるならその方と結ばれる方がずっといいじゃないですか」
「な ――!」
女の顔が驚きで歪んだ後、隣の男に目を向ける。
こんなはずじゃなかった。
全身でそう主張しながら見やった男の顔もまた、狼狽に固まっていた。
父親である国王から命じられた意に添わぬ婚約者だった。少しばかり能力があるだけの、取るに足らない平民出身の汚らしい女だ。自分になんて釣り合うはずのない女。何もかもが気に入らなくて、恋人である公爵家の娘の方が日陰に追いやられる立場になっている。そんな理不尽がまかり通ってたまるかと、いつもいつも歯噛みしていた。
そんな時、父王が外交のため国を開けることになった。好機だと思った。その上、産後の肥立ちが悪い妃を里帰りさせるため、兄である王太子が帯同すると言い出し、わずか数日ではあったが城を預かる流れとなった時、これは本当に天命だと思った。
聖女、と抜かす身の程知らずの女に立場を弁えさせろ、と言われているのだと。
そうして彼我の差を突き付けた上で、すがりついてきたところを正しく使ってやろう。そう思っていた。
幼い頃に対面させられた時からずっと、人形のように無表情で生気のない目をしていたこの女が、初めてその能面をかなぐり捨てて自分にすがってくる様はさぞかし気分が良かろうと思っていたのに。
今、断罪されたはずの女は今まで見た事もないほど生気に溢れ、満面の笑みを向けてきている。
―― なんだそれは。ふざけるな! どこまで僕をバカにする気だ!
平民のくせに、王子の婚約者である事が不満だと言わんばかりに。
そう感じた瞬間。言ってはならない言葉が彼の口から迸っていた。
「貴様など国外追放だ! 身一つで出ていくがいい!」
「殿下!?」
傍らの公爵令嬢が悲鳴を上げ、貴族の間からも大きなどよめきが上がる。が、言われた当人は飛び跳ねそうな勢いで「はい!」と答えるや、ぺこりと頭を下げた。
「じゃ、失礼しまーす! さようならー!」
あッ! と誰かの声がした時には、アーミアの姿はわずかな光の粒子を残して消えていた。
「転移魔法! そんな!」
「聖女はどこに!?」
「殿下! なんて事を!」
「誰か使いを! 屋敷に戻っているかもしれん!」
「そうだ結界がある。転移魔法じゃ通過できないはずだ!」
「馬鹿め! 聖女がその結界を張ったのだぞ!」
「結界はどうなる!? あれがなくなったら我が国の守りが!」
悲鳴と怒号に塗れ騒然となる場に忌々し気に舌打ちし、この混乱を引き起こした原因は追いすがる令嬢を顧みる事もなく足早にその場を立ち去ったのであった。
さて、晴れて自由の身となったアーミアとは言うと、小高い岬の上に立ち、生まれて初めて目にする紺碧の海原に歓喜していた。
「これが海! すごいわ!」
絵画でしか見た事のない光景に1人はしゃぐアーミアの背後にふと、音もなく黒い影が現れた。
「アーミア様」
涼やかな声の主は、それに相応しくすらりとした長躯の青年であった。頭髪から磨き抜かれた靴のつま先まで黒一色、伏せた顔と両手にはめた手袋だけが白く、閉じた瞼の下の瞳もまた漆黒なのであろう。そんな彼がアーミアへ恭しく傅いている。
「遅くなりました。申し訳ありません」
「あら、カイル。むしろ速かったわね。ご苦労様」
突然話しかけられたにもかかわらず、アーミアは驚きもせず振り返った。
「大丈夫だった?」
「はい。すべて恙無く」
カイルはゆっくりと頭を上げながらニンマリと笑った。
そして、打って変わってふわりと優しく微笑む。
「さあ、あの忌々しい呪いは消えました。どこに行かれますか?」
用無し。
そう罵られて、1つ目の呪いが弾け飛んだ。
国外追放。
そう言われて、2つ目の呪いが掻き消えた。
2つとも、アーミアをあの国に縛り付けるために幼少期にかけられた軛だった。
それ故に、アーミアはこれまで感情を封じられて道具のように生き、転移魔法持ちながら国外に出られないように制限をかけられていた。
だが今はもう、その縛りは消え去った。
彼女の自由を脅かすものは何もない。
「そうね~、どこにでも行けるのは魅力だけど、どこに行くか決めるのは難しいわね。でもまあ、とりあえず」
と。アーミアは無造作に自分の長い金髪をつかむと、惜しげもなくバッサリと風の刃で切り落とした。同時にその色が平凡な茶色へと変化する。
「見せかけの聖女スタイルは却下ね。全く、誰の好みか知らないけど、聖女は金髪碧眼じゃないとダメだなんて、馬鹿じゃないの?」
「お待ちを。整えます」
カイルが卒なく取り出した鋏で毛先を切り揃えるのに身を任せ、アーミアは大きく深く息を吸った。
「これが海の香りなのね。なんかちょっと臭い」
クスクスと笑う。
「ねえ、美味しい物、あるかなあ?」
「ございますよ。たくさん。お口に合わなければ私がお作りします」
「カイルの荷物、持ち出せたの?」
「アーミア様のお荷物もすべてございますよ」
カイルはアーミアの髪から左手を離して自身の腰に付けた小さなバッグをポンポンと叩いた。
「もちろん、これまでの報酬もすべて回収しております」
「私の報酬、あったんだ?」
「会計上は計上されておりましたよ。ですから、しっかり回収しました」
「あはは、じゃ、何も心配いらないね!」
アーミアは整えられた髪を揺らして笑った。
「自分で聖女と名乗った事もなければ、これからも名乗る気もないけど、好きな国に行って好きに人助けをしてもいいわよね?」
「もちろんでございます、アーミア様」
鋏を腰のバッグにしまい、恭しくそう答えたカイルはしかし、あの国にだけは永遠に足を向けるまい、とほくそ笑むのだった。





