環境
ではいきましょうか、とニーナの声で、一緒に来ていた護衛と離れ、ルミアたちはニーナについて歩く。修道士たちは最後尾のシドヴィスの後ろを、俯いたまま静かに歩く。
先ほどから見えていた王都の修道院は、白い大きな建物だった。白いと言っても、色が燻み、灰色に近い。その色は建物の古い歴史を感じる外観だった。飾り気はなく、ひび割れた壁に、荘厳さはない。
修道院の隣に併設された新しい石壁でできた灰色の建物。それが去年、新しく建てられた診療所だった。3階建ての箱のような建造物は、教会や修道院の建物とは全く違う雰囲気を醸し出している。
開け放たれた無機質な扉、そこから漂う薬品や独特な香の香り、清潔にされた石床、咳き込む誰かの声に、抑えた声の会話。
「こちらへ」
ニーナは顔を下げたまま、小声で案内をする。
「こちらの1階では、診察と軽い処置のみを行なっております。2階は長期の処置患者のためのベッドの用意がございまして、本日はそちらと3階の特別処置室をご案内いたします」
「あぁ、頼むよ」
階段を上がり、廊下を歩く。その病室の扉は全て開けてあり、患者やその家族が廊下に立って、レオ達を迎えていた。彼らは静かに頭を下げ、胸に手を当てる。
レオは彼らに優しく微笑みながら近づいて、「お加減はどうですか?」「よくなりますよう、祈ってます」など、一人一人に声をかけて廊下を歩いていく。
流石にルミアから手を離したレオは、この国の第一王子として仕事をしていた。白い布を被った王子は、励ましの言葉を丁寧に、1人ずつかけていく。ルミア達はその後ろをついて見守った。
いつの間にかジオルドは、レオの隣で彼を守り、シドはルミアのすぐ後ろにいた。ニーナはレオの側で、患者のことを労わりながら間に入って、説明する。
廊下に人が溢れかえり、歩みは遅く、つかえては止まりを繰り返した。廊下に出れない患者にまで近寄り、声をかけ続けるレオを見たルミアは、この国の『王族』という存在を、間近で感じた。
ルミアはレオの労わりの言葉を聞いて、自然と微笑みながら、患者を神眼で見ていた。足を痛めた老人とその家族。内蔵が弱った婦人や、病気で寝たきりの壮年。髪が真っ白の痩せこけた男性は、迷宮で魔物の毒を浴びて以来まともな生活を送れなくなったそうだ。
(呪いでもなんでもないのに歩けず、弱ってる…)
(毒の後遺症なんて書いてない…なのに顔色が悪いし、咳き込んでる)
(足がないのに状態異常の風邪?…元気そうに見えるのに)
(欠損は神眼に現れるけど、状態異常じゃない…うーん)
廊下に並ぶ患者の中に、1人だけ雰囲気が違う人が立っていた。皆、レオに注目して、涙を流して喜ぶ者や、頭を下げて祈る者がほとんどだった。
けれども、彼だけは違った。彼は目に包帯を付け、窓の外から吹く風に、髪を靡かせポツンと立っていた。
(目が見えないんだわ…)
ルミアはその男性を神眼で見ようとした。けれど、その包帯に撒かれた顔を、スッとルミアに向けた。まるでこちらが見えるかのようなタイミング。ルミアには彼の目は見えない。けれどはっきり、視線を感じた。
『 サイラス・デュー27歳(男) 魔力:A 冒険者ギルド・ルビーランク
視覚機能損失 』
ルミアはただ、彼に視線を向けただけ。彼はルミアに向かって手を合わせ、祈っただけ。
たったそれだけの仕草に、ルミアはひどく違和感を感じた。
(彼は見えていない。レオの声の方向がわからず祈っただけ…でも…)
ルミアは彼の前を通った時、彼の顔はルミアを追っていた。
(違う。私を見ている?)
少女はその包帯で隠れた目に、視線を向けた。じわり、と白い包帯が僅かに濡れていく。
(…泣いてる)
「ルミア、前」
「え?えぇ、ごめんなさい」
気付かぬうちに、レオとの距離が離れ、シドに言われて距離を詰めた。廊下はあと少しで通り過ぎる。ルミアは後ろが気になったが、自分にできることはないことを改めて思い、切り替えて歩いた。
1時間以上が経過し、慰問は無事、終わった。
レオたちは3階の医院長室へと案内され、医院長不在の部屋で一息ついていた。慰問という公式行事に初めて参加したルミアは、出されたお茶を飲んで、深いため息をついていた。
「お伝えしたとおり、医院長はまだ決まっておりません。ですので、現在はまだ形だけです」
「診療所は新しい試みだからね。今後、各領地に建てていくなら修道院とは別にした方がいいかもしれないね」
「はい、思った以上にベッドが足りず、当主も予想外だったようです」
ニーナとレオは、診療所について話していると、扉をノックされ、ダニエル・ヘイレストが入ってきた。ジオルドとシドは軽く頭を下げ、ニーナは立ち上がってレオに頭を下げると、静かに退出した。
ルミアも軽く会釈し、軽く微笑む。見慣れた親戚のような感覚を覚え、緊張感が少し緩んだ。
「殿下、遅くなり、申し訳ありません」
「ううん、まだ落ち着かないみたいだね」
「はい。ここ3ヶ月、患者が急増いたしまして——」
ダニエルはレオの正面に座って話を続け、レオの隣に視線を向けて止まった。
「…ん?ルミアちゃん?」
ダニエルは目を細め、ルミアを確かめるように胸ポケットからメガネを取り出して、かけた。
「お、お久しぶりです。ダニエル様」
「驚いた…気付かなかったよ。でも…どうして…」
レオは得意げに笑って、ルミアのメガネをダニエルに説明した。ダニエルは顎に手を当てて、感嘆していた。これもシドの犠牲あってのことだ、とレオは終わりに告げたが、シド本人は、ただただ迷惑そうに壁に寄りかかって、太々しい態度だった。
「メガネを見せてくれませんか?」
「ダメだよ。これを外すと大変なことになるんだ。僕が」
「殿下が?ど、どうなるんです?」
「ヘイレスト公。そんな話をしに来たんじゃないでしょ?」
「…あぁ、殿下…わかっておりますとも。では案内致します。それと、ルミアちゃんは見るだけだからね、いい?君は何もしてはいけないよ」
ダニエルはルミアに念を押す。低い声で、静かに、諭すように。
「…はい。かしこまりました」
(重々しい…何もしてはいけない…じゃない。何もできないんだから)
ルミアは神眼で見てきた患者の症状が『状態異常』ではないことに疑問を持っていた。この診療所にいる患者は、ダニエルたちの治癒では治せないということ。
治癒魔法は万能ではない、と以前ダニエルとエリックはルミアに言っていた。再生ではなく、修復だとも。
それでもルミアは自分の女神の加護で、何かできることがあるかもしれない、と頭の端で考えていた。可能性を捨てきれなかったのは、それだけルミアにとって、女神の加護は未知の力だったから。
(もちろん、自分にできることはしたいとは思ってる。でも、だからと言ってシドたちを困らせたくないし、王族の格上の存在として崇められるなんて嫌)
(さっきの『視覚機能損失』なんて、神眼で見なくてもわかる)
(なんでこんな時にエデンを連れてこなかったんだろう。彼女に聞けば…もしかしたら…)
ルミアは迷宮から戻ってきて、自分について深く考えることが増えていた。エデンに普通の人とは違う、”異質な自分”について相談した時、彼女は『悩んでも仕方ないことは悩まない方がいいわ』といって、研究や新しい魔道具の制作を勧めてきた。
なので、ルミアは3ヶ月、起きているエデンを捕まえては、研究に没頭していた。
けれど、そんな平穏な日常は、周囲に流されて、強制的に考えざるを得なくなる。
彼女の置かれた環境——その環境が、自然と彼女に影響する。
診療所にいる自分の存在はなんだろう、と客観視したり、患者から見た自分はどう映っているのだろうか、など。修道士にとって、私は遊びに来た、ただの公爵令嬢として映っているだけなのだろうか、と。
目立ってはいないだろうか。
変な行動はしてないだろうか。
レオの隣で、ちゃんと公爵令嬢として、微笑みが保てているだろうか。
ダニエルに案内されて向かう廊下。ルミアはどこへ連れて行かれるのか知らされていない。
(また言われるがまま。それは何も知らないから。霧に包まれてるみたい)
以前、女神の聖典で”女神”と会った時に言われた言葉を何度も思い返していた。
『私にしかできないことをやって欲しい』
『制限のため少しの加護しか与えられない』
『時間が惜しい』
『この世から精霊がいなくなってしまう』
『私を信じて』
(女神は一体、私に何を伝えたかったの?)




