スフィラの恋
目が覚めるとアディはいなかった。あれは夢だったのだろうか、と眼を擦った時、指に何かがはめられていたことに気づいた。人差し指にシルバーのリングが付けられていた。シルバーというには輝きがなく、鉛色をしたただの金属のリング。魔導具でもなく、何も書かれていない。
不思議に思い、じっと見ていると、ユナが部屋に声をかけて入ってきた。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう。アディ見なかった?」
「アディウス様なら朝早くに出掛けられましたよ。スフィラ様と一緒に」
ルミアは鏡の前に座り、長く伸びた白銀の髪を後ろへ流した。鏡を見て、まだルミア自身も白銀の髪に慣れてなかったようで、そうだったと思い出す。
「姉様と?」
「はい。修道院に向かわれたそうです」
「…なんで?」
「さぁ、わかりかねます。今日はお茶会に参加されないと聞きましたが、どうされますか?」
ユナはルミアの髪をくしで整え、支度を始めた。ルミアが人差し指のリングを見ていると、ユナがぼそっと呟いた。
「アディウス様の髪の色ですね」
「…アディはもっと艶があるよ」
「そうですね」
ユナは眉を上げてニヤッとした。
「何?」
(なんか知ってる?)
「いえ、別に」
支度が終わったルミアは、朝食も取らずに姉を探しに行った。ユナには部屋に籠ると言って、退室してもらった。きっと監視があるだろうと思い、分身を作ってしばらく時間を稼いだ。
馬車には乗れないので、空を飛ぶことにした。認識阻害マントで空から修道院らしき建物を探す。
民家が等間隔に立ち並ぶ中、農家の家とは明らかに構造が違う建物を見つけた。横に広がるその建物には、学園の研究塔に似た丸い屋根があった。
(きっとあれだ。下に黒い馬車がある!)
ルミアは風を纏い、修道院らしき建物へ風を切った。茶色い木で作られた素朴な建物で、その裏には木の杭で作った柵の中では子供達が洗濯物を干していた。子供達の中にはルミアより年上の子供もいて、黙々と皆、協力して背伸びして服を干していた。
修道院について、学園の研究塔の資料に書いてあったので、ルミアは役割を理解していた。修道院といっても教会があり、孤児院が併設されていて、民家とは違う構造だった。
ルミアはマントを着たまま表に周り、開け放たれた教会の中へと入る。教会の聖堂には石で作られた女神像が祀られていた。その前に教壇があり、たくさんの椅子が並べられていた。
人の気配がなかったので、聖堂の隅々を見て回った。すると聖堂の横に廊下が続いていた。その先から声がした。ゆっくり、ルミアは音を消して近づいた。
小さな部屋があり、扉は開け放たれた応接間だった。そこにスフィラが木の椅子に座り、対面して座っていたメガネをかけた、金髪の男性と深刻そうな会話をしていた。斜め後ろからしか姿しか見えなかった。それ以上踏み込めば、木の床が軋んでしまいそうだったから。
けれど会話を聞いて、咄嗟にルミアは隠れた。
「私はただ、嫌がるあなたに薬を塗っただけです」
「えぇ、わかってますわ。でも、これはあなたの色。島の伝承の真似事かしら?」
「なんのことだか。それより、どうしてこんなところまで?」
「どうしても…会いたいと思ったんです」
「スフィラ様、私は治癒魔法を授からなかった落ちこぼれです。それにアヴァロフ家で—」
「理屈じゃない!会いたいと思った。あの時、私は弱っていた、それは確かなの。それが打算だとしても、私はあなたに救われた」
スフィラの声は上擦っていた。顔を見なくても、泣いているとわかったルミアは、立ち去ろうかどうか迷った。けれど、動こうにも気になってしかたなかった。
「イグニス様。あなたはこれを私にくれた。このポーション入れ、特注なんですってね」
「アクセサリーにしただけです。持ち運びやすいように…」
「金と緑はあなたの色。これを見るたびに思い出すわ。忘れられないように?それとも私の勘違い?」
「エルフとは関係ないですよ」
「知ってたんですね。エルフの話」
「……」
「私、あなたが落ちこぼれだなんて思ってません。私のこと、アヴァロフだと知らなかったんでしょ?だからあんな—」
「処置しただけです。医務室員として、他の生徒と同様に……まさか、アヴァロフ家のスフィラ様だったなんて…今日知ったんです。だとしても、こんなところまで来るなんて思ってもみませんでした。それに父は私を追放したんです。籍はヘイレストでも、最南端のここに飛ばされた、いわば左遷ですよ」
「だったら何?交流すら許されないの?あの時の話は嘘だったの?これを私以外にも送ってるの?」
「送ってませんよ。それに…あなただったから…」
ルミアはこれ以上聞いてはいけない、と流石にその場を離れようとした。一歩、音を立てないように足を前に出した。その足元にはさっきまでなかった白い粉が撒かれていた。
『B:小麦粉 小麦の粒をすり潰して作った粉
パンや麺、菓子など、料理に使う 』
違和感に気づき、頭を下げて足元を見ようと頭を下げた。
パラパラ…
粉は自分の頭の上から落ちた。
(!?)
気づいた時には遅かった。後ろから見えない手が的確にルミアの口を押さえこみ、強い力で引き寄せられた。けれどルミアは声を出すわけにはいかなかった。
「…ミア」
耳元で名前を呼ばれ、誰の手かわかった。
「—!?」
(アディ!?)
ルミアは腰を掴まれて隣を歩かされていた。そのまま教会を出て、子供たちが走り回るのを横目に通り過ぎ、丘を登り、海岸が見える窪地まで無言で歩き続けた。マントは脱がず、誰にも認識されず。
「お前無茶しすぎ」
「ごめんなさい。ちょっと気になって」
アディはマントのまま突然、ルミアを苦しくなるほど抱きしめた。お互いに顔も姿も見えないのに、お互いがお互いを認識していた。
「くるしい…ごめんなさい…」
(お仕置きのつもり?)
「はは。飛んできたのか?」
アディは力を少し緩めたが、抱きしめたまま話す。
「…なんでわかったの?それに粉」
「お前ってさ、本当にバカだよな」
アディは笑いながら、明るくバカにしてきた。昨日は泣いていたくせに、とルミアは思い切り力を込めて抱きしめ返した。
「…わざとユナに修道院に行くって伝えたんだ」
「アディは私が来るってわかってたの?」
「さぁな」
「…それにリング。アディでしょ?何これ」
「ひみつ」
「……ムカつく」
ルミアはアディの体から熱が伝わり、昨夜の静かに涙を流した顔が忘れられなかった。またすぐどこかに消えてしまいそうな、あの顔が頭に何度もちらつく。
だからしばらくは体を突き放せなかった。ルミアにはわからない、アディの悲しい出来事を想像してしまった。もしかしたら、と思うことがルミアの中であったからかもしれない。
「なぁ、計測器作ってくれないか?」
「計測器?なんで突然?」
「マナとか魔力とかの数値がわかる感じで…小型で運びやすい物」
「なんで?」
「秘密」
「言わないと作らない」
「あっそ。じゃいい」
「……アディ、最近変だよ?大丈夫?」
「お前はもう帰れ。ユナが叱られてる」
「え!?」
「じゃぁな」
アディはそう吐き捨てるとルミアから離れ、気配を消した。彼はいつも突然現れて、突然消える。あまりにも別れがあっさり過ぎて唐突に取り残された気分になるルミア。
「もう!なんなの!?」
ルミアは急いで屋敷へと戻った。ユナが叱られていると聞いて、できる限り急いだ。けれどユナは叱られておらず、ルミアが屋敷から抜け出したことも知られてなかった。
アディに騙されたことがわかると、何も信じられなくなった。ユナに修道院に行くと伝えたところから計算されていたと思うと、自分が考えて行動したこと全てがアディの手の内なんじゃないかと、恐ろしくなって何もしたくなくなった。
ルミアは10歳にして人間不信に目覚め始めたかもしれなかった。初めての親元を離れての散々な社交パーティーだった。
(もうパーティーでは踊らない)
正規のルートで7日間、馬車の中で固く誓った。




